真白にオレンジ、そして青

書き殴ってくスタイル

点と点を強引に繋ぎながら服の感想を殴り書く

 

 

 

 

※attention※

私の感想、所感が盛大に書き殴られております

 


2020年のフライデードラマに某所所属の存在しないエラーコードなバディ物語があったんですけど(面倒くさい言い回し)。

そんなドラマMIU404の公式ファンブック内に、綾野剛さんが「この台詞を言うならこの衣装だよね」と発言されていた、という記述がありました。

衣装スタッフの方々の尽力だけでなく綾野さんご自身も私物を持ち寄ってスタイリングされたという。そんな衣装って、一体どういったものなんだろう?

こちらはそんな興味を抱いたオタクによる、服まわりに限った個人的な感想文です。

作品を観て服を探して、改めて作品を観たらこういうことを思ったんですよ、というだけです。それ以外の何ものでもありません。タイトルの通り点と点を強引に繋ぎ合わせて騒いでいるだけなので、自己満足です。そんな見方しちゃうんだね〜くらいで触れていただけたらと思います。ふんわりで。ふんわり止まりでお願いします。

ただネタバレは満載なので、ご注意くださいませ。

 

 

 

 

 


1話

この段階で「伊吹の衣装は役者のこだわりです」と言われている本作(公式ファンブックより)

・伊吹-1 C.E CAV EMPT(シナリオブック※以降省略#1 1〜124)

・糸巻1- Nirvana(#1 71〜115前)


目を引いたのは、人物の横にプリントされた文字。(画面を見て文字引っ張り出しただけなので、実物に書かれているものが違っていたらすみません)


『a world of potentialities or possibilities rather than one of things or facts』


※直訳です

B rather than A / AよりもB

A: one of things or facts / 物または事実のうちの1つ

B: a world of potentialities or possibilities / 潜在力または可能性の世界


1話を通して現在の伊吹の警察官として駄目なところ、出来ていないところ等を目の当たりにした志摩ってその実、伊吹の進退を握っているじゃないですか。だけど最後の最後に刑事の仕事の基礎から出来てない、その事実を把握したうえで伊吹を奥多摩に返すという判断ではなく「ひとまず、保留で」と伊吹との可能性のほうを選ぶ。この文章だけを単純に読んだとき、志摩のこの選択を思い浮かべました。志摩がこの時何にスイッチを押されてどう思ってその選択をしたのか、語られる場面が後にありますけど、ここで読む文章が、その内容とあまり意味を違えていないように思えてしまったんですよね。そして、それは一日志摩を隣で見ていた伊吹からも言えることなのではないかなと。「俺たち、良い相棒になれそうじゃん」と、またはそれに近しい予感じみたものを、既にどこかで感じていたのではないかと思ってしまったんです。

ちなみに上記の文章で正しかった場合、理論物理学ハイゼンベルクの文章がヒットしました。翻訳を見つけられていないので、どんな流れでの言葉だったのは分かっていません。調べられたら追記します。

ところで。なんで伊吹は勤務初日から糸巻さんに、マキマキ!なんて思った以上に親しげなんだろうと思っていたのですが。1話で着ている糸巻さんのTシャツ、Nirvanaのニコマークだったんですよね。今後2回ほどNirvana関連の服を着る伊吹です。知らない土地でちょっと親近感湧いたんでしょうか、なんて思ったりもしました。

しかしながら2019年の、4月5日という日に着られるNirvana!ハハッ

 

 

2話

・伊吹1-sacai(パーカー/#2 1〜8)

・伊吹2-sacai(ジャケット/#2 9〜82)

ジャケット内のパーカーは見えず未確認です


この回の伊吹は、真っ白です。柄も文字もメッセージ性のあるものは何も着ていない、というのが2話の伊吹です。

綾野さんってバラエティなどで自分が誰かの引き立て役に回るとき、全身真っ黒になるじゃないですか。それに似た感じがしたんですよね。

「切なる願い」

加々見の言葉を聞いて、姿を見て、作中の彼らは何を思うか。私たちはどう思うか。想いを個々に委ねた上で、俺は加々見無実派〜って、真っ白な服で加々見を追いかけるんですよ。「加々見を信じる刑事がひとりくらいいたっていいじゃん」て。

一方で疑うことが警察の仕事だという志摩が黒いインナーとカーディガンを着て、だけど加々見が犯人であるとも犯人ではないとも、どちらの可能性も捨てていないからカーディガンの袖口に白が乗る。

ふたりの意思を服の色に反映させて、真実を突き止めに山梨まで走っていく。そして向き合ってごはんを食べる。2話は信じ方の違いを見せつけながらも深まったコンビ感を感じさせられて、とても好きです。

 


3話

・伊吹1-millennium parade(#3 11〜18)

・伊吹2-Radiohead(#3 21〜35)

・伊吹3-millennium parade(3話伊吹1と同じ/#3 41〜46)

・伊吹4-BALR. (#3 48〜84)

・伊吹5-sacai × NIKE(#3 87〜91)


この回で目を引いたのは2点、millennium paradeとRadioheadです。

伊吹を役作るなかで、伊吹だったらこういうファッションなんじゃないか、伊吹だったらこの台詞のときこの服装だよね、と衣装の提案を綾野さんがしていたということでしたが、もうひとつ、このコロナ禍のなかで自分に出来る応援は何だろう?とも考えておられたそうで(シネマスクエアvol.125)。3話と4話の撮影中に自粛期間が始まって撮影が中断することになってしまったため、このふたつの回は撮影時期の異なるシーンが混ざり合っていると言います。元々バンドTシャツを着る設定の伊吹ではあったから、そのチョイスや役者の気持ちがどのタイミングのものかは分からないけれど、だけど伊吹が着るバンドTシャツのトップバッターがmillennium paradeなの、関係性を知った上ではあまりにも素敵に思えてなりませんでした。

そしてRadioheadは、虚偽通報者に初接触をする際の伊吹の衣装です。虚偽通報者の正体は、廃部にされた元陸上部の部員とマネの計5人。そしてイギリスのパブリックスクール(13〜18歳が属する)で出会った5人組バンド、それがRadioheadです。作中の5人に合致する、という以上にここでは、Radioheadの彼らが学生時代に出会い、その後ずっとバンドを組んでいるという事実に何より驚かされました。バシリカの高校生たちも、どうか長く付き合いを持ち続けてくれたらいいなと、そんなことを願ってしまった。そうだったらいいなあと、切に祈ります。

それにしても、このようなバンドTシャツの出現、リアルタイムで気付いた人にはどれだけの衝撃だったでしょう。気になるばかりです。だって絶対楽しいじゃないですか、こんなの。気付けるというのは知識者たちの特権ですが、とても羨ましく思えてなりませんでした。

 


4話

・伊吹1-sacai × NIKE(3話伊吹5と同じ/#4 1)

・伊吹2-BAD HOP WORLD 2020(#4 3〜109)


3話の続きから始まり、日を改めての密行日。青池透子を追いかけるこの回、伊吹が着ているものはBAD HOPのライブTシャツです。こちらは川崎出身のヒップホップグループで、2020年3月にコロナを鑑み無観客ライブ「BAD HOP WORLD 2020」を行いました。その際のTシャツ。書かれている文字は「Lift off」

ネタバレなのもそうですけど思うことがありすぎて、4話と「Lift off」に掛かるものについて、どうにも文字で書き表せないのですが、どうしたらこんなにもタイムリーなTシャツという名の作品に出会えるのか。ちょっと意味がわからない(褒めてます)。

すごく、伊吹っぽいなあって思ったんです。胸がいっぱいになる心地といいますか。

なんか言いそうじゃないですか、伊吹。分からないですけどもし間に合って、青池透子から顛末を聞くことが出来ていたら。伊吹は改めて、行け、届けって願ってくれそうだなぁと思ってしまって。そのルビーが結果、あの後どう扱われるのかは作中で描かれていないため分かりません。触れられていない完全なる余白部分だからこそ、その行く末を祈ることが許されるのではと思ってしまいます。

まあ、だけど志摩ならそういった場合どう警察は動くのか、動くことが出来るのか否か、色々把握してるんでしょうね。きっと。

追記(2021/3/14)となりますが、BAD HOPとこの回の接点。恐らく「Lift off」のメッセージだけではなく、ヤクザ絡みの事件だったからだと思われます。そう思ったのは、令和3年1月29日に公開となった映画『ヤクザと家族 The Family』の劇中歌としてBAD HOPの楽曲が使われているからです。青池透子を想うだけではなく、そこにいるヤクザたちにも想いを馳せさせるスイッチを、最終回が過ぎた約4ヶ月後に押されてしまいました。現代を生きる彼ら彼女らについて、色々と考えさせられるばかりです。

 

 

5話

・伊吹1-BALR. (3話伊吹4と同じ/#5 1〜31)

・伊吹2-LED ZEPPELIN(#5 33〜47)

・伊吹3-C.E/CAVEMPT(1話伊吹1と同じ/#5 50〜67)

・伊吹4-JOY DIVISION(#5 68〜86)

・伊吹5-NUMBER GIRL(#5 89〜90)


コンビニから着ているはBALR.のブランドパーカー。3話でも着てました。強盗事案を皮切りにマイちゃんと接しながら、伊吹は外国人技能実習生たちの現状をその目で見ていきます。Led ZeppelinのツアーTシャツ(1977)。こちらは日本語学校教室を訪れたりガマさんから話を聞いたりする際に着ているんですけど、正直、ここの掘り下げが上手く出来ていなくて。移民の歌(Immigrant Song/1970)はあるけどツアー時期とは違うなぁと思ってもいます。何か、これでは?という情報がありましたら教えていただきたいです。

そして外国人労働者を取り巻く様々な現実を聞き知った後、伊吹はそんな現実に傷つけられたマイちゃんに寄り添いに行きます。

『a world of potentialities or possibilities rather than one of things or facts』(文章合ってるだろうかという不安※前述)

1話と同じ服ですが、ここまでの5話の流れを見てくると、こんな世界だけど未来はあるはずだよって、訴えかけてるように受け取りたくなってしまうんですよ。

だけど伊吹のごめんねはマイちゃんに受け取られない。届かないむなしさ、やるせなさを感じてしまいます。

そして日が明けて志摩が水森の任意同行を求めるところから着ている服は、JOY DIVISIONのUNKNOWN PLEASURESです。学がなくて申し訳ないんですが、このTシャツにプリントされた図。これは初めて発見された、電波を放射するパルサーの波形なんだそうです。肉眼では見えない(こぎつね座の方向らしいです)けれど、発する電波を我々が受け取れたことからそこに在るのだと判明した。その時に目に見えるかたちで受け取った波形。目の当たりにしたもの。なんか、5話だなぁって思って。5話で描かれた外国人労働者は確かにこの日本国内に居て、彼らの現実は私たちの身近に在るんですよ。ここでの描かれ方がほんの一部であっても、氷山の一角だけであっても、この5話の中で垣間見た彼らの生活は存在しないものではない。一度発見された中性子星が無い存在にならないように。伊達メガネで誤魔化そうとしても、確かに彼ら彼女らはここに生きているんですよね。それを、忘れないでいたい。

とか、なんとか。色々と考えさせられてしまいます。

最後、もんじゃのシーンで着ているのがNUMBER GIRLの逆噴射パーカー。福岡のオルタナティブロックバンドです。だって訛ってましたからね、九重。直後、ダイレクトに相手の身内ネタ(?)を仕込んでくる伊吹、良い人だなあって噛み締めてしまいました。

 


・6話

・伊吹1-NUMBER GIRL(5話伊吹5と同じ/#6 3〜45)

・九重1-DENHAM(#6 47〜69)

・伊吹2-The Beatles(#6 47〜92)


九重と行動する前半は九重の地元、福岡のロックバンドNUMBER GIRLのパーカーを着ている伊吹。九重とのコンビ感が強調される感じがあります。脚本家の野木さんから後々言い表される伊吹と九重の、兄弟感。新鮮でたまらないです。

個人的には九重に貸した置きパーカーがDENHAMというデニムブランドのものなのですが、それを着た九重が陣馬さんから「ミスも失敗も〜」という言葉を受け止めているのが、本当に好きです。デニムって履いて履いて履き倒して、育てるものじゃないですか。こちらのブランドって他の回でも衣装提供をされてるので、いつ、どう出てきても注目されるブランドだったと思うんですけど、ブランド名を掲げた真っ赤なパーカーとして、九重にぶち当ててくる。ミスしても失敗しても何度でも立ち上がり育っていけ、とでも言うかのような。もう、作品から九重、彼を始めとした若者へのエールみたいじゃないですか。これからだろって。

なんて。分かりませんけどね。だけどそう欠片でも思えてしまう衣装のチョイスに、どうしたって色々考えてしまうんです。

そして何より、九重と一緒に伊吹が着替えたTシャツがThe BeatlesのA Hard Day's Nightなのが、すごく衝撃的で。伊吹からだとそうなるんだ…!という印象を抱くんです。6話って、言ってしまえば志摩回じゃないですか。この回、最後ひと息つくのが夕方っていうのが最高に良いなあと思っていて。新しい夜が始まる前に、ひとつ息をつけるんですよ。このTシャツはビートルズ初主演映画の撮影でとにかくハードな長い一日が終わり、ようやくひと息付けたと思ったらもう夜だった、といったメンバーの発言がタイトルの元になったそうなんです。なんというか、すごく伊吹視点だなぁと思って。真夜中に魘される志摩が胸の内に抱くものの正体を追って探して辿り着いて、次の夜を迎える前の夕方、もらったコーヒーでひと息つく。いやあ長い一日だったと、ここでいう「一日」を思ってしまうんです。夕焼けの景色があまりにも綺麗で、もう完全に言葉を持ち合わせていないんですけど、この感じ、良くない?って言いたくなるんです。あの日の夕方、志摩が香坂の一件のなかで確かに息をつくことが出来たんじゃないかって、願ってしまうんです。

 


7話

BABYMETALが取り上げられた回。と少し脱線。

・伊吹1-John Winston Ono Lennon(#7 1〜93)


公式ブックの表紙もこの回の衣装ですね。ジョン・レノンのNew York Cityです。ニューヨークで過ごしたジョン・レノンの生涯についての描いたドキュメンタリー映画のジャケット写真。「現在地」がタイトルなこの回と、個人的には何とも言いがたい絶妙な心地よさを感じてしまいます。彼らは様々なスイッチが押された結果、今そこで生きていて。だからこそここで押されたスイッチもまた、その先へ続いていく。7話って改めて「今」の関係性がよく見えて、そしてこの先へ進んだ時に得られる気付きが散らばっているように思えます。

ところで伊吹ってハムちゃんに、楽しいことこれからいっぱいしようぜって言うんですよね、この回。迂闊に外を出歩けない過去と現状を持つハムちゃんに、明るい未来の話をする。「お魚見ながらごはんが食べ」られなかった理由も考えてしまいますし、不意に5話あたりをちょっと思い出しました。俺たちがついてるって、直接言葉にして伝えてきたの?なんて、思ってしまいました。寄り添おうとして届かなかったものを言葉にして直接受け渡す、ように思えてしまうんですが、いかんせんこれは服だけで妄想を広げている話なので何がどうという話でもありません。そう感じてしまっただけ。7話の雑誌が11話にああした形で繋がるなら、ワンチャンその台詞も…とか思ってしまったんです。

ちなみに、スゥとモアが着ていたのは「BABYMETAL WORLD TOUR 2016 LEGEND - METAL RESISTANCE - RED NIGHT & BLACK NIGHT」のライブTシャツです。大切な宝物。

 


8話

Tシャツを調べていて怖いと思ったことはありますか?私はあります。

・伊吹1-John Winston Ono Lennon(7話伊吹1と同じ/#8 1〜10)

・伊吹2-Jimi Hendrix(#8 11〜17)

・伊吹3-LED ZEPPELIN(#8 19〜27)

・伊吹4-sacai × NIKE(3話伊吹5.4話伊吹1と同じ/#8 29〜33)

・伊吹5-Sonic Youth(#8 35〜45)

・伊吹6-Jesse Draxler(#8 52.55〜57)

・伊吹7(学生)-Bon Jovi(#8 53.54)

・伊吹8-(#8 58〜81)

※この8話伊吹8(と11話伊吹2)ですが、見つけることが出来ずにいます。探し方が悪いのかとも思うのですが、触れずにいることも伊吹との距離感かなと思わなくもないので、不明のまま進みます。もしご存知の方がいたらご一報いただけますと幸いです。


さてこの、話としては伊吹回に当たる8話ですが、こればっかりはほんと、リアルタイムで気付いていた方は絶句ものだったのではないでしょうか。この話のネタバレどころの騒ぎではないというか、思いっきり掘り下げたら若干先取られてるというか。ちなみに私は調べながら、やめてくれよ…とリアルに震えてsacaiのパーカーが出てきたタイミングでスマホを投げ飛ばしました。

冒頭は7話からの続きなので、ジョン・レノンがそこにいます。次に出てくるのがJimi Hendrix愛称ジミヘン、ハードロックの原型を作ったとも言われるアーティストです。伊吹の刑事としての原型を築いたガマさんの回だよ、とでも言いたいんでしょうか。ところで八王子市とあきる野市って隣接しているんですね。そういうのやめません…?色々考えて勝手に泣いてしまいます。

次に志摩とガマさん宅にお邪魔する際に着ているのが、LED ZEPPELINジョン・ボーナム追悼40周年のTシャツです。Led ZeppelinのTシャツは5話でも着ていましたね。こちらはドラマーであるジョン・ボーナムの事故死を追悼するものですが、彼の死を受けバンドは解散を選びます。彼なしでは活動を続けることは出来ない、と。はい。

志摩は言います。伊吹の勘が冴えない時はバイアスが働いている時だと。この回でバイアスが働いている場面と言ったら捜査会議の時かな、と思います。その時彼は、sacaiのNIKEコラボパーカー(3話終わりから4話冒頭に着ていたものと同じ)を着ています。バンドTシャツでないからこその情報のシャットダウン(8話は他が雄弁すぎる)に怯んでしまいました。でもバイアスが働いている場面だから、という理由で見ると2話で伊吹がバンドTシャツを着ていないのも、ある意味納得させられてしまうなと、今更思わなくもなかったです。が、このパーカーにぶち当たった時の喉がヒュッてした感覚はしばらく忘れられそうにありません。

そして、怪獣大決戦後のUDIラボへ向かう伊吹。服はSonic YouthのメジャーデビューアルバムGOOのジャケット、なのですが。描かれた男女2名は、イギリスでかつて起きたムーアズ殺人事件の犯人とその共犯者を通報した、共犯者の妹夫婦です。描かれているのは通報した側の人間である、とみると伊吹の仕事柄、おっ、と思うことがありますよね。けれどそのムーアズ殺人事件事件が、完全犯罪を目論み遺体を荒野に埋めた連続猟奇殺人、と聞いてしまうともう私はダメでした。どうしてそういうことをするの。

志摩が伊吹の元を訪れます。

迎え入れた際の部屋着はJesse DraxlerのNilosコラボTシャツ。彼はビジュアル、イラスト方面のアーティストです。日本語サイトがほぼなく、調べた当初真っ先に見つけた日本語が「漆黒を描くアーティスト」だったのには正直泣きました。バイアス云々ではなく、フタをされている、意識的なシャットダウン感を感じて呆然としました。ただでさえ内側に踏み込ませない伊吹がそこにいるというのに。

回想。伊吹少年はBon JoviのTシャツを着ています。Bon Joviの初来日って1984年なんですね。伊吹と志摩の生まれ年です。

8話ラスト。ここの服がまっっっっっっったく分かりません。いつも読めた文字や外的特徴を検索に突っ込んで探してるんですけど、こればっかりはどうしても見つけられませんでした(絵が絵なのでワード検索にビビっているのもあります)。見つけられたら嬉しいけれど、そこで与えられたメッセージがあったとして、それを受け取って自己解釈に興じてしまって良いのか、判断が出来かねます。だからいつか出会えればいいな、と思う程度に留めておいて、この時の伊吹と、この後に出てくる伊吹に想いを馳せるだけにしています。

単に度胸がないとも、いうけれど。

 


9話

・伊吹1-Sonic Youth(8話伊吹5と同じ/#9 1〜14)

・伊吹2-Nirvana(#9 20〜34)

・伊吹3-米津玄師(#9 38〜39)

・伊吹4-Vintage MARVEL Spiderman(#9 48〜114)


メロンパン号を洗う伊吹が着ているのは、8話でも着ていたSonic YouthのGOOです。この9話のタイミングで出てくる時こそ、通報した側の人間、という面を見るべきなのかなと、そう思うのは希望的すぎでしょうか。ちなみにですがその殺人事件、犯人は逮捕後に終身刑を受け、謝罪することなく釈放されたくない、死なせてくれと繰り返し79歳で亡くなったそうです。

ハムちゃんへの再聴取に同席することになった伊吹、ここでNirvanaのIn Uteroを着てきます。初めのうちは、原点回帰としての再出発的な意味かなとも思ったんですけど、多分このアルバムに楽曲「○○○○ me(※普通に書いていいのか分からなかったので伏せました)」が入っているからなのではないかな、と思いまして。Nirvanaのギタリスト兼ボーカルのカート・コバーンはこの楽曲を人生を肯定した反レイプ・ソングであると考えていると話し、また自身のメディアへの嫌悪感を表しているのではという視点を同楽曲に対し持たれていることについて、理解があったといいます。疑われ事情聴取を受けるハムちゃんへの、彼女を含めた数多の被害、または弱者の位置に立たされる女性に対しての、一種の寄り添いのように受け取れたら、少し救われるような気持ちになったんです。

伊吹はハムちゃんの味方と言いますか、自身と関わる人の背中を押してくれる人なのかなと思います。寄り添う姿勢を崩さない伊吹ですから。とは言え、そうだといいな、という希望的な話ですけどね。

そして分岐点のすれ違いが大きく描かれた、ハムちゃんお迎えのシーン。ここで着ているのは米津玄師のこうもりパーカー。聴取が続くハムちゃんの気持ちを和らげようとしてくれてるのかな、とその優しさを思います。背もたれの低いメロンパン号の助手席、後部座席から見たらきっと、フードに付いたこうもりの耳が良く見えていることでしょう。

伊吹も志摩も芝浦署のあの場で何も気付けなかったからこそ、始まりのスイッチは押されてしまったわけなんですけど。優しさを感じられてしまうから余計に、取りこぼしたスイッチが胸にきます。

そしてガサ入れする時の服。これテレビだと良く見えないんですけどスパイダーマンだそうです。スパイダー班!とも思いますが、スパイダーマンには作品のテーマ的な言葉があって。

『With great power comes great responsibility.』

(大いなる力には、大いなる責任が伴う。)

そして、9話の結末。なんかほんと、やるせないなあって。確実に間に合ったけど、一方では間に合わなかった。色々考えてしまう引きでした。

 


10話

・伊吹1-millennium parade(#10 3〜51)

・伊吹2-Kurt Cobain(#10 54〜95)

・伊吹3-Thirty Seconds to Mars(#10 60〜95)


3話で着たのとは別のmillennium parade、2019ライブTシャツからの幕開け。

ところで1話の時に4月5日にNirvana!とか言ってたんですけど。9話でも少し触れたカート・コバーン、この10話で着ています。で、4月5日との関係なんですけど、その日はカートが猟銃自殺を図った命日とされている日です。この作品で4月5日といえば第4機捜の始動日、そして麗子さんの命日ですよね…。なんて。まあでも、役者ご本人がNirvana好きっぽいので、正直あまり気にせずにいたいのですが。

そして久住にしてやられるこの回、カートのTシャツの上に羽織るのはいつものsacaiではなくThirty Seconds to Marsのジャケットです。人間の技術発展力について論じていた論文の副題がバンド名の由来だそうですが、久住の知略に全てが置いていかれる10話ラストを思ってしまって、その力に恐れ慄く心地でした。11話で九重が自分が機捜にいれば気付いて間に合ったかもしれないという旨の発言がありますが、この10話を思い返して、確かに…とその可能性を思ってしまったんですよ。掛け違えてしまったスイッチの行く先が本当に見えなくて、リアタイした日はTwitterを見ながら本当に震えましたね…。

 


11話

・伊吹1-King Gnu(#11 1〜19)

・伊吹2-(8話伊吹8と同じ#11 22〜33)

・伊吹3-THE NOVEMBERS(#11 37〜63)

・伊吹4- I ♡ JAPAN(#11 72〜90.94)

・伊吹5- Sacai(#11 93.96)

・伊吹6-米津玄師(#11 98)


綾野さんは自分に出来る応援をと考えていたけれど、11話の始まりと終わりのTシャツは、その想いがダイレクトにご本人たちやファンの人たちち届いたのではないかなぁと思っています。

始めに着ているのは2020年、初のアリーナ公演を含む全国ツアーの全公演を見合わせることとなったKing Gnu Live Tour 2020 "CEREMONY"のもの。終わりに着ているのは大阪公演以降を中止及び延期と判断された米津玄師 2020 TOUR / HYPEのものです。なくなってしまったライブツアーのTシャツを身に纏いながら駆け抜けて、同じく見送られたオリンピック開催地の足元、ゼロ地点からその先に向かっていく。すごく素敵な光景でした。

と、流れを戻しまして。

King GnuのライブTシャツから始まった最終話。応援、という意思を感じて静かに観ようと思っていたところ、だけど桔梗さんの挨拶を聞いて志摩をぶん殴るところまでを、例の8話で着ていた、私が把握出来ていないあのTシャツで現れた伊吹にほんと、ほんと何なのそのTシャツ…!となってしまったのも事実です。やっぱり知りたいんですね…。だって8話でも11話でも、ガマさんの逮捕だったり志摩からの「奥多摩に返す」発言だったりと、伊吹の内面を抉るようなシーンばかりで着てくるじゃないですか…。踏み込みたいけど、踏み込みたくない。気になるけど、知るのが怖くもある。いつか出会えたら思いっきり頭を抱えたいですね。

そして件のバットリ。というか盗聴のシーンから、伊吹はTHE NOVEMBERSのTシャツを着ています。こちらのバンドも新型コロナウイルス感染拡大を防ぐため、THE NOVEMBERS TOUR-消失点-の開催を見送られています。だからこれもきっと応援のひとつ。ですが。このTシャツはツアーグッズではなく、ドラムスが手掛けた「自分が欲しいから独断的に作ったアイテム」シリーズになります(ちなみに8話で伊吹の部屋に掛かってます)。独断的。それを着て、信じなきゃよかったという言葉を受け一人先行して久住と接触し、捕われてのバットリへ辿り着く。いや分かるけれども…。なんか、ほんと選び方が凄いなって改めて思ってしまいました。ここはもう、本当に。

I ♡ JAPANについては、志摩と伊吹、バカ2人のお揃いペアルック!以外の情報はいらないと思ってます。え?

桔梗さんの元に行った時の服装はsacaiのパーカー。2話冒頭で着ていたのと同じですね。なんかバンドTシャツの情報量があまりにも多くて、sacaiのパーカー見るとちょっと気持ちが和むようになりました(ただし8話のNIKEコラボ、お前はダメだ心臓に悪すぎる)。

最後は米津玄師のライブTシャツを身に纏い、0地点から再び走り出していきます。

 

 

 

 

 

 

ね。

 


というかほんと、調べ始めた当初はこんなに情報が盛りだくさんだとは思っていなくて、ほんと、うわあ、うわぁあと身震いしながら検索画面と睨めっこしていました。その時間が本当に、本当に楽しかったです。そうでなくても作品「MIU404」に触れている時間は本当に楽しい。衣装抜きにして作品の感想だけを溢れさせたいくらい。大好きです。

だけどこの場ではなにより、彼ならそうかもしれないと思わせてくれた伊吹藍、ここまで想いを込めに込めて詰め込んでくださった衣装担当の方々とそして、綾野剛さんに大きな愛と感謝と尊敬の念を込めて。

楽しかったです。

本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

 

 


最後に。

調べ方はほぼテレビ画面と向き合って一時停止してググる。だったのですが、9話のスパイダーマン、11話の米津玄師ツアーTシャツについては、テレビ画面からの判断が出来なかったのでネットから情報をいただきました。バンド、アーティストの情報については各公式HPやWikipediaを参考にさせていただいています。

情報に誤りがある場合は出来うる限りで修正いたします。ご了承ください。

ちなみに8話伊吹8と11話伊吹2の例のシャツについては、未だ検索チャレンジは続けています。ヒットしないけど。いつの日か判明したら、追記したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは。

いちオタクの感想文でした!

 

 

 

 


 

 

 

 

2020/3/14

文章まとめ直しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

科白劇 舞台刀剣乱舞/灯 綺伝いくさ世の徒花(※打ち消し線が入ります) 改変いくさ世の徒花の記憶 観劇直後の殴り書き

2020/7/17昼に観劇したものです。

 

 

 

 

 

 

パライソ……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


舞台刀剣乱舞、観劇致しました。

 


新型コロナウイルスの件があり、正直観劇を直前まで迷いました。

除菌と検温とソーシャルディスタンスを徹底したこの公演では本当に人と近付くことがなく、あるとすれば手洗いと観劇の熱冷めやらぬ退出時といった自らが距離を開けるべきタイミングのみなので、その2点くらいを忘れなければあとは本当にスタッフの方々の指示に従えばというような、とても心強い対策がされていました。関係者の皆様、本当にありがとうございます。

寒いと聞いていて、座席的に冷風直撃の気配がしたので秋物カーディガンとお腹用のマフラータオルと膝用のハンドタオルを用意してみました。元々の気温が高くなかったから、そこまで冷房をきかせていなかったのかも分かりませんが。

 

 

 

 

 

 

 


届けられた、他本丸での特命調査の報告書。

それを紐解く物語でした。


え、どっちがどっちの本丸??


って思ってしまった。


科白劇と聞いて、報告書を読んで過去を語り聞かせてくれるのかと思っていたんですけど、まさかの他本丸。他本丸の報告書。

講談師の方は刀装。報告書を手に入れた本丸の刀剣男士たちに視認される存在でした。なんてこったい。

 

 

慶長熊本に派遣された部隊は3組に分かれて様子を探っていくのですが個人的にはもう、もうですよ。そこ!!!山姥切長義と亀甲貞宗!!!!丁寧に物騒。丁寧に物騒(大好きありがとう)。あらぬ疑いを掛けられたことを逆手に取って交渉に持ち込む丁寧に物騒なコンビが個人的に大好きすぎたのですが、交渉の場で酒を勧められた長義はいうわけです「酒は飲めないんでね」

 

酒は!!!飲めない!!!!?????

 

あの本丸なら腹割るようになったのね…ってなるんですけど他所の本丸なら個体差!てなります。ただ情報を聞き出そうという場で自身の弱みを先に零すというのも手としては…手としてはあるのか…?とか思ってしまうんですがどうなんでしょう。策士なのか?と思いながら、どっちの本丸…てなりながら、長義を見ることしか出来ない。だってあの本丸での物語を知ってる刀剣男士は長義と歌仙のみじゃないですか。

だからどの本丸かの判断材料も含めて見てしまうんですけど、山姥切長義、ふたりで交渉持ち込んだ時に後ろ向いて亀甲に話を任せるんですけど、その時の首を傾げた雰囲気がすごい見知った山姥切国広を思わされて。どけ、だか替われ、だか言った時の言い方もどことなく山姥切国広の言い方を思い出したりもして。本歌〜!てなりました。亀甲と長義、元々あわよくばと話し合っていたのかなぁ…政府所属の監査官だった山姥切長義と並べる亀甲ほんと好き。あと椅子に座るときに両膝そろえて右に流す座り方が綺麗すぎて、これが国宝の座り方か…と心で拝みました。長義はどっかり座って思いっきり足組んでました。美しいが高慢、他に臆する事がないを座り方ひとつで体現しているようでしたがそう椅子!!!!!!椅子捌き!!!!!!!椅子滑るんですけどその椅子捌きがやばいんですよマジでほんと…山姥切長義が……椅子…あそこは山姥切長義のターンだと思う……心臓撃ち抜かれたかとおもった…


そして籠手切江と獅子王との会話の中で、この本丸は文久土佐の特命調査に小烏丸を向かわせていたと触れられる。あの本丸なのか、それとも同じ編成をしていた別本丸なのか…。長義が、歴史を守ることを刀の本能だと言い表すけれど、それは南海太郎朝尊がいればどの本丸にでも出会う可能性がある言葉だと思うから、そういった自本丸での物語に触れない限り生まれないだろう言葉については判断材料には出来ないなとも思うんですよね。

ところでここで獅子王が小烏丸の真似をするんですけどマジで本当にめちゃくちゃ似てるんで驚いて欲しい。平安太刀とか喜びそうでやばい。


にっかり青江がさ〜〜〜〜〜なんかもうにっかり青江なんですよ。私だってミュも観てる。向こうのにっかり青江も知っております。大磨上の大脇差の気配がする青江からも、脇差然とするにっかり青江からも揃って同じような声が聞こえてくるのはなんなの声帯にっかり青江なの??????

そして気付いたら二刀開眼によって斬られていたので脇差と打刀が来たら身構えるようになりました。ひと呼吸置くわけでもなく繰り出されるからもうね、あーッてなる。なった。

あと青江と亀甲のコンビがとてもとても好きでにこにこしてしまった。気が合うね!

 

キリシタン大名たちは血気盛んな方々もいたけど総じて慈悲深い方々なんですよ。なんですけども黒田孝高………………

 


ねぇ、やっぱり黒田官兵衛は怖いよ。


敵対する黒田官兵衛めちゃくちゃに怖いよ。

 

 

ていうか、わぁジョ伝と同じキャストだ〜とか思ってた私へ!!!喜んでる場合じゃないわ!!!!!

なに、なに放棄された世界で同じ時間軸を繰り返す中で別の時間軸で生きた己の記憶も持ち合わせるようになったって???????

ジョ伝の黒田官兵衛の記憶を持ち合わせる黒田孝高!!!!!が!だからこそ今の自分が同じ時間軸を繰り返していると気付いている男が!刀剣男士と対立する位置にいるの本当の本当に心臓に悪くてですね……………ていうか本当に怖くて………知略で丸め込まされるのでは、というのももちろんなんですけど、黒田孝高、最期に諦めるんですよ。どうせここで果てても時間はまた繰り返される、と…

願いが叶うまで繰り返してみせるという意志のある言い方ではなくて、今生を生き切ることを諦めてしまっているような語り口で。

ふと三日月宗近を思い出しましたよね。

その時に相対したのは山姥切長義まさかの一振りなのですが、ジョ伝の記憶に山姥切国広がいたと言われた時に自分こそが本科山姥切であると、刃持ちて語らうと言ってくるんですよ。刃持ちて。

ただ、この本丸の山姥切長義は凄く仕事人って感じのする刀で。ことを事前に把握して備えておきたいという。本能に従い歴史を守る。それだけのために刀を振るえる刀のようでした。

 

 


この放棄された世界が紡ぐのは花の物語か、それとも蛇の物語か。

 

 


ガラシャ様は夫忠興が憎くて、自分たちキリシタンの末路を嘆いて神の国を作り上げた。ガラシャ様と時間遡行軍の手により自身の結末を知った他のキリシタン大名たちも、生きたい、そう願って国を治めて天下を取ろうとしていた。不遇の死をなかったことに、生きながらえるために。キリシタンとして、ひとりの人間としての決意。

だけど地蔵行平と行動を共にして、細川忠興の刀であると、忠興の心もここにあると訴えた地蔵行平と縁を交わしてガラシャ様はもしや、と自身の心に気付いてしまって。忠興様に蛇と称された己の心。

己の内のまことはどちらかと、答えを探しに走れるガラシャ様はやっぱり強いひとだなぁと思ってしまう。

講談師の方が史実に触れてくれて、忠興様はどうしたってガラシャ様を愛していたんだなぁと思わされて。だからこそ、忠興様とガラシャ様の邂逅が美しかった。お前が憎いと、憎いのは愛おしいからだと咽び伏す忠興様に向けて、あなたが憎くて憎くて愛おしくてと、自身の心を確かめるように、愛おしくてと、心の内のまことはこれぞと確かめるように、泣いてしまうような声で繰り返すガラシャ様が、愛を持って確かに向き合えた忠興様に斬られようとする。


のを


斬れない忠興様。



斬り伏せてしまったガラシャ様を守らんとした高山右近………

 


ここ思わず別作品で過ちって意味のタイトルがついた壮大な曲が脳内をよぎりましたよね……

 

個人的に高山右近って大河の軍師官兵衛に出てきた高山右近のイメージが強くて、こう、綺伝でもあなたはそういうお人だった……みたいなキャラクターをしていてとてもとても慈悲深いお方で。

 

なのに!!!なんで!!そんな人に刀を振るわせるの!!!!血に染めてしまえるの!!!!どうして!!!!そんな美しい景色を血で染めてしまえるの!!!!!!高山右近にその手を血で汚させて!!!!!!!なんで!!!!!!!!


あの夫婦を好きだと思っていた人なのに…

 


夫を失って、ガラシャ様はガラシャ様ではなくなってしまわれた。

 


文久土佐の特命調査の時の土佐藩士たちのように、白く

 

 


……………土佐藩士ってさぁ、髪白くなって顔黒くなって服真っ黒になったじゃないですか?

 

 

 

 


ガラシャ様がウェーブのかかった長い白髪に金の肩章と蛇が柄として施され真っ白なパンツスタイルの麗人になるなんて誰が思った???????????????

 

 

 

麗しすぎてやばい。


忠興様と幸せに暮らして赤子に子守唄を歌ってあげていた(歌ありました)可憐なあの人が、ならざるものになって堕ちた先の姿が美しすぎていけない…

 

 

そして守ると言う地蔵に、ガラシャ様はそれは無用だと言って袖に手を伸ばす!飛んでくる長物!

 


薙刀!!!!!!!!!

 


ほんの少しの金を差し色にしたパンツ姿のまっっしろなガラシャ様が薙刀を扱うのが本当の本当に格好良くてですね……なにあれ……


なにあれ…。

 

 

ていうか地蔵行平が「姉上」と呼んでいた理由がガラシャ様に呼ぶよう言われたからなのやばくないですか。

それまではただ地蔵が逃げるがままだったのに、姉上と呼ばせることで立場を生じさせたの、やばくないですか…。

衝動的に連れ去ってしまって、刀の本能とは別にあなたに生きていて欲しいと願うその心はどこから来るのかと問われて、それは自分が持つ忠興様の心からだと伝える地蔵。心はここに。

だけどそれ以上にガラシャ様に鬼と呼ばれた歌仙兼定がもう!もうね…

細川から明智に渡った地蔵行平には弟という肉親の立場を提示し、夫忠興の愛刀を鬼と呼んだガラシャ様のお心は計り知れないけれど。鬼が来たのねと呟くガラシャ様の背後にボス戦1週目の寄り添う夫婦像があるの、本当に泣くかと思った。そしてガラシャ様から直接鬼と呼ばれた歌仙は、鬼と呼ばれたからにはと決意を新たにした歌仙はその胸に何を思ったか。

作中仲睦まじい夫婦の姿も見せてもらえたんですけど、その時そこに在ったんでしょうね、ふたりの会話に楽しそうに口を挟む歌仙がいて。その景色があまりにも尊くて咽び泣くところだったんですけど、忠興様の物語を持ち、ふたりの愛を近くで見てきた歌仙兼定なんですよね…


「鬼の妻には蛇がお似合いでしょう」

キリシタンの未来のためにいて貰わねば困ると守られ、キリシタンだからこそ自死を選べないガラシャ様を終わらせることが出来るのは誰かに斬られるしかなくて、夫を憎んだことを忠興様から許されたかったけれどもその夫は斬り伏せられてしまって、そんな彼女を忠興様の元へ行けるよう斬る、歌仙兼定。彼女が鬼と呼んだ刀。細川忠興の愛刀。


そして何よりガラシャ様の最期があまりにも美しくて、美しくてたまらなかったんですよ。

だって光に包まれる。光輪のような美しい金色の光に包まれて、そして砕け散る。手を合わせそうになった。まるで神を見たような心地になって、あぁ解放されたんだ…と思った。その後のEDで真っ白なキリシタン大名の方々が白地に金の装飾をされた衣装で出てくるんですけど、それがなんか、同じ時間軸を繰り返して繰り返して繰り返してきた彼らが、パライソに至った景色のように思えて泣きたくなってしまった。

 

キリシタン大名たちは、負け戦であると認めているんだと思います。

彼らは国を作るという目的があって動いていたのに、自身の姿も白く、白地に金の施しがある装いに変わっていて、刀剣男士たちと戦わなければならない時が来たのだと、そう悟って。

そのなかで、神はいないのではと嘆いてしまう。だけどそれに神はいるよって付喪神が返す。たまらなかったです。

獅子王キリシタン大名たちを鵺みたいなものだと出会った当初から言い表していて、なるほど特命調査に獅子王はもってこいなのかもしれない、と思わされました。存在の本質を見抜けるというか。おそらく時間を繰り返すなかで塗り重ねられた己の意志や、記憶も、色んなものが合わさって今の彼らが成り立っている。そんな彼らも文久土佐藩士たちのように、意志が残ってどこか朧になっている部分もあったのかもしれないけれど。今回のキリシタン大名たちは刀剣以外の武器を手にして戦います。あれらが海外の武器なのかは私の知識では全く分からない。槍しか分からなかったごめん。

キリシタン大名らも土佐藩士のように、縁ある物が形をつくった存在ではなかったのか。放棄された世界を構築するものは何なのか、謎は深まるばかりでした。

 

刀剣男士たちを取り巻く謎は、話が進むごとにどんどんどんどん深まるんですけど、その度にあの本丸の三日月宗近がチラつくんですよね…。何かがそこにある気がするんですけど、明確な答えは分からないまま。暗闇に手を伸ばしているような心地になります。

もっと情報を集めて、調べなければ。

と、入手した他本丸の報告書をソーシャルディスタンスのため(忠告ありがとう刀装講談師)に投げ渡された山姥切長義は、今回入手したもの以外にも多くの報告書が集まっているとして、自本丸が出陣した特命調査と異なる点を探し出そうとしていました。その熱は出陣した慶長熊本で、重大な何かがあったのだとしか思えなくて。

正直特命調査を比較して調べて異なる点を探す、という行為に驚いてしまったんですが、なんだろう、自分たちが相対した物語を史実の通りに戻す、物語を食って強くなる、物語を見届け受けとめる、とかいう次元の話ではなくなってるじゃないですかもう。もっと違う何かが起きていて、それを本丸総出で調べているような。何があったのか、本当に気になる……

ここでは情報共有が出来てるんだろうな、とか思いながら。


「おや主」と歌仙は、あの時の陸奥守吉行のように主に話しかけます。

この本丸での特命調査慶長熊本は、細川ガラシャ細川忠興の物語は、いつか必ず語ろうと。

そして、2020年に厄介なことが起こっていてその調査に乗り出す、それが終わったら。

 


的なことを言うんですけど、待ってそれは大演練の話ですか????????

(観劇した友人に言ったら、厄介ってマイナスなイメージの言葉じゃない?て言われました。なるほど、じゃあコロナのことかもしれない)

 

つまり報告書を入手した本丸が今まで私たちが見届けてきた本丸であって、彼らが今回見せてくれたのは他本丸で行われた特命調査の記憶であったということでよろしいのでしょうか。…悲伝から先の時間軸で平行する本丸が生じてどの本丸も居る時間軸が違うだけの同じ本丸とかそんなことはない…と思いたい…。

綺伝の文字にしっかり打ち消し線入ってますもんね。

あとOPとED歌わないし。番傘ないし。


そうなると今回の物語、刀剣男士を16振り見ていたということですよね…?

だから今回の物語を食った刀剣男士たちは別の本丸の彼らなので、あの麗しいガラシャ様にあなたは良き刀だと、夫もさぞあなたを自慢に思っていたことでしょうと微笑んでもらっていた歌仙兼定は、私たちが初めて目にした個体の歌仙兼定になる。

報告書を記した本丸の山姥切長義は周りから山姥切長義と呼ばれていて、周りに仲間がいる中で酒が飲めないのも自分から言ってしまえるあたり山姥切長義として受け入れられているんだなぁと思ってしまった。この本丸では慈伝のような騒動はなかったのではないかとすら。人様の事情を聞かされても歴史を守る為に斬るという判断がブレなくて、交渉の場でも引く気配を見せない山姥切長義めちゃくちゃに強いんです。長義の殺陣、変わらず速くて鋭利で大好きなんですけど、今まで見てきた本丸の山姥切長義は心も含めどう強くなっているんだろうなぁ。なんて思ってしまう。

個人的にはあの打刀な時間遡行軍が絡んできているのではと思うんですけどね、どうなんでしょう。あの物語を食うなら山姥切長義かなと思ってるんですけど…どうなんですかね。

 

事実なのは、ひとつの強烈な物語が目の前で紡がれていたということ。


あとひとつ歌仙で気になっているのが、本丸に合わせて立ち姿変えてましたか…?ていうことで。分かんないんですけど、最後どちらがどちらの本丸かに気付けた時、歌仙の立ち姿が見慣れたものになっている気がしたんです。役者の方が他キャストの身長に合わせて立ち姿を常より下げていたと聞いていたので、もしやと思ったのですが、どうなんでしょう。今まで見てきた歌仙はこちらだと、ふと思っただけなのですが、何か理由があったのならその辺りかなあと思いまして。

 


ところで発言はなく終わるカーテンコールでやっと分かったんですけど、慈伝で皆が横一列に並んで座長から挨拶があった時、隣で手を横に動かして皆々様、としてから礼をしていた山姥切長義。あれ今回もやっていたのでそれが彼の礼の仕方なんですね。慈伝で個人の礼は番傘を持ったものだったから、今回でやっと知ることが出来ました。そして忠興様が捌けながら自分の刀の柄に力強く手を置いていたのがとても印象的で。やはりあれは自慢の歌仙兼定なのではと…。盗みをしたって手離さない武士の魂。忠興様とガラシャ様が同じ方向に捌けていくのも素敵だなぁと思って見送りました。

あと最後にですね、作中では見なかったと思うんですけど真っ白いパンツスタイルのガラシャ様がカーテンコールでは肩で風を切るように捌けていってらして、見えなくなるまでしっかりと口角を上げて笑みを受かべている姿がどうしようもなく元宝塚スター七海ひろきさんで、ラジオとLINE LIVEの配信でしか知らないけれどきっとこの立ち振る舞いがそうなのではと、思えてしまってめちゃくちゃに格好良かったんですよ…………。あと三方に手を向けて礼をしてくださって、それがまた優雅で美しかったんです……

 

 

 

今回の報告書にあるように、細川ガラシャを討ち取ることが出来た。特命調査は終了した。けれども他本丸の報告書が沢山あるように、それは放棄された慶長熊本が繰り返す時間軸のなかのひとつを潰したに過ぎなくて、きっと討ち果たされた数だけ時間を繰り返しているのだろうと思う。そしてきっとまた、終わりを迎えて新しい時間軸が始まるんだろう。黒田孝高が思うように。

放棄された世界に終わりはあるんだろうか。

むしろ特命調査やらない方が良いのではとすら思ってしまう。どうやって本当の意味で終わらせることが出来るのか。三日月宗近の件とあまりにも似通った描かれ方に思えてならないんですよね…。

なにこれこわい

 

散々、どの本丸だなんだと言ってはいましたが、この作品は刀剣乱舞の舞台作なんですよね。数ある本丸のなかで重大なイレギュラーが生じてしまったひとつの本丸に焦点が当たっていただけで、作品はどんな本丸の物語だって描き上げることが出来るんですよね。報告書を集める本丸があるから、その報告書のひとつを描こうとする考えも凄いなって思います。どの本丸にも強い絆と心があって、強く強く前に進んでいる。役者は刀剣男士と向き合い、その心はどの本丸の刀になっても変わることなく。地蔵行平の慟哭を、歌仙兼定の叫びを、彼らが見届けた物語を胸に。

 

 

 

 

最後に思い出したから書くんですけど、虚伝で魔王織田信長が舞台の中心で背を向けて、両手を広げながら消えていくじゃないですか。あれ三日月宗近もやって、坂本龍馬もやって、細川ガラシャもやったんですけど、あの演出どう捉えたらいいと思います……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

観劇から2週間を過ぎ、元気でいることが出来ています。

元気に過ごせている今を噛み締めて。

運営の方々には感謝するばかりです。

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

最後に。

「これが刀ステです!これが演劇の力です!」

これほどにも力強い言葉を、大千穐楽の日に聞くことができたこと。本当に幸せに思います。

演劇を再開するなら役者も全員マスクで、という方針が発表された5月15日に丁度自身の配信があって、舞台上でマスクをしながらでも演劇は出来ると、新しい可能性として挑む人たちはきっといると話をしていた人の言葉なんです。

見せつけられたこの戦い続ける座組の力強さを、意志を、手繰り寄せた未来への灯を、自身の胸に咲かせて。いちファンではありますが、本当に、誇りに思います。

大変ありがとうございました。刀ステ、最高に格好良いなぁ…!!!

(2020.8.9追記)

 

 

 

 

 

 

ミュージカル『刀剣乱舞』三千年の子守唄第一部感想殴り書き

※2019/3/24のライブビューイング時に書いていたものが発見されました。

 

 

 

 

 

 

 

人が大勢死んだってのに、生き残った子が家康だと知って「この戦い、まだ終わったわけじゃないかもしれないよ」と言って笑った石切丸さんに、なんて??って気持ちになってしまったんだけど。丸根砦のくだりで、兵士たちが「死にたくない」と繰り返すのが辛かったんだけれども。人々の声に応えて祈っていたことを改めて思い出していた石切丸さんに、その死にたくないという声が届いてしまったんだろうなぁ…。それでも敵兵は切らねばならなくて、服部半蔵を名乗った時点で己の役割は背負ってしまっていて、石切丸さんしんどすぎない???って序盤でしんだ。てか、石切丸さんは主からどこまで話を聞いていたんだ…
にっかりさんが最後に、石切丸さんに大声で笑ってみせていたの、物吉くんが家康公に教えていたことまんまで、同じ時間を一緒に生きていたんだなあって、なんだかとても良いなって思いました。あとにっかりさんの、最初に赤子を喜んで抱いてくれる刀がいたぞって、後は任せたからねって感じで物吉くんに家康公を託していった時のあのにこにこ笑顔が大好きです。前も思ったけど、にっかりさんがにっかり青江過ぎて、ほんものはこれか、ってなる。ほんとすごい
倶利伽羅、重心が高めな印象だったんだけど、動きのラインが見やすくて気持ちよかった。軽いって言われて以降の殺陣のスピードが速くなっててマジかよ、って思ったし、その速さで左右バラバラに分かれて立ってた3人を確認して守りながら戦うの、そりゃ膝もつきたくなるな…と思ってしまったわ。3人にまとまっているよう伝えてしまえばもう少しやりやすかったのかもだけど、馴れ合わない刀だからかなぁ…。どうなんだろう。
背後で吾兵に何が起きたのか、自分が何を見逃してしまったのか、何を失ってしまったのか、それを察してしまう大倶利伽羅の表情にとても胸が苦しくなった。大倶利伽羅の戦い方って発展途上みたいな描かれ方をしている印象があって、興味深いなって思いました。
蜻蛉切さんがコミカルを身に付けるとは思っていなくてですね!?ただただびっくりした笑
千子村正は細々したところも特徴的で、1番眼が印象的だったかも。最初に徳川重臣の役目から離れていくときの、顔が隠れて表情の見えない村正のシーンが好きでした。
物吉くんってそうなんだよな、戦上手いんだよな。味方を鼓舞するのも、一斉に攻撃しましょうって指示するのも彼の役割だったし。でも感情的になる物吉くんも良かったな。だって家康公たちが大好きなんだもんな。蹴り技炸裂しててめちゃくちゃに格好良くて、その殺陣は物吉くんだからそうなのか、脇差がそうなのか、それとも貞宗がそうなのか、見たいという欲を持ってしまった。どんだけ動き回るの物吉くん。格好良すぎかな。

どの刀も赤子の温もりとして触れたときから、縁を結んだときから、一緒に生きて愛していったんだもんなぁ。
刀剣男士たちは皆がみんな優しい。

 

 

 

桜の森の満開の下〜孤独〜感想殴り書きまとめ

 

観劇日

12/8(土)昼、12/12(木)夜

※両日観劇後にTwitterにて殴り書いたものです

 

 

 

 

 

らいじんさんが頭から離れません……あれはズルい…
フェアリーも普通に笑っちゃってたもんね。楽しかったなぁ。そんでフェアリーの「ふふっ。ありがとう、らいじんさん」っていう桜の声がほんとにもう可愛くて可愛くて、あんスタのイベントで「お姉ちゃん♪」って言われる時のあれですよ、周りから悲鳴が漏れたもん。

すんごい、落ち着いた男性の声で語るフェアリーは全然ブレないんだけど、女房役をやる時の「え〜?出来るかなぁ??」って言い出すところとかほんと、あっ、フェアリーだ…ってなった。あと「死にたくない、死にたくない」って命乞いするところ、ほんとやめて…ってなった。

でもフェアリーの語り凄くて。段々と熱が入っていっているのが本当に分かって。アコガレと向き合ってから先はどんどん声が力が篭っていくように震えて絞り出すように語っていって、手でも表現し始める。ひとりの演者としてそこに立っていたように思う。全身で表現する人だった。「書くのだ」という時のあの景色、表情、見たかったな。

あんスタのレコーディングやイベントで、ぴょんぴょんするのは知っていたけれども、すんごいなんか、ぴょんぴょんする人だけれども、あの人は本当に全力で、身体を使って感情を乗せて表現する人なのだと、目の当たりにしました。高坂知也さん、凄いんだよ。凄かったよフェアリー。素晴らしかったです。

 

荒木さんと梅津さんの鼓毒丸しか知らないけれど、本当に演者が変わるだけでキャラクター性も動くんだなぁと思いました。なんだろう。引っ張られる台詞が違う。梅津さんの鼓毒丸では「不思議だなあ」という言葉が強く残って、荒木さんの鼓毒丸では「そうかそうか!」が強く残った。

「不思議だなあ」だけ取っても、梅津さんのほうはなんか、純粋に魔力を不思議がっている感じがあって、荒木さんのほうは魔力を不思議がる興味はあっても真に理解は示せていないような、そんなもんかね、みたいな距離感があるように思えた。「そうかそうか!」は、梅津さんのほうはツミ夜姫とのやり取りが嬉しいんだろうなという気配、笑ってる…!っていう印象が強くてそれこそ未来を夢見ている様子が見えた。荒木さんのほうはよく分かんねえけどツミ夜姫が言うんだからそうなんだろうな、という、梅津さんな鼓毒丸とはまた違った、お前聞いてる?感があって、台詞ひとつ取っても与えられる印象が全然違って興味深かった。

それと「ついでだからやってしまうよ」もそうだな。どちらのほうがどう好き、というよりは目の前にいるこの人が描き上げたキャラクター像を浴びることの楽しさ。違いを楽しむという、配役シャッフルの仕組みがなければ知り得ない楽しさがあるなぁと心底思いました。ツミ夜姫を背負うシーン、荒木さんのあれが本気だったのかは分からないけど、流れとしては自然に繋がる疲労具合だったように見えました。梅津さんマジで背負えちゃうんだもの。背負っていてもブレないから見栄えが良い。足もしっかり上がるし台詞も変わらず良く通る。でも荒木さんが自身でも出来るそれを捨てて疲れて見せにきていたとしたら…?っていう、見せ方、表現で訴える場所が個によって違うから生まれるタラレバ。何か答えを探しているという訳ではなく。やるやらないの取捨選択がある中で見せてきた役者のアプローチの違いを噛み締める。

そして荒木さんな鼓毒丸が女房7人を囲っているところ、ちょっとマジで観たかったですね…。ワイルドであって、粗雑さも垣間見える荒木健太朗さんの鼓毒丸。桜の下で狂う姿、とても良かったな…。そのシーン、梅津さんの時には角度的に色々と見えなかったから、何が悲鳴に繋がっていたのか、地面に伏した時そんな動きをしていたのかと思いながら見てました。蓋が開くのにびっくりしたもの笑

 

ツミ夜姫の存在は、私のなかで分からないもののひとつで。というか、ここまで掘るか!って思いました。正直。この女はこの過去を持った存在なのではと思わされる構図に、あっまじで???ってなった。いや物語に書かれた蛇足がただ思い出したからちょっと話してみただけの無関係で終わるわけないじゃんとは思っていたけれども、思ったけれどもそことあそこを繋げて掘り下げてそして「私の…」の台詞をぶち込んで来て、そう来るかぁあ!!!ってなった。大混乱した。まあ女に振り回されるのは楽しいから(語弊)良いんですけど。桜の下に埋まるもの、的な要素も入れてきて、なるほどなぁと思いました。物語そのままをストレートに作品にするだけじゃないんですよね。極上文學ならではの桜の森の満開の下なのだなと思わされました。ツミ夜姫は特にそう思った。彼女の過去を匂わせて、ひとつの個として存在させて、描く。そこにどんな意図があったのかは掴みかねているけれど。個人的に物語を読んだ段階では、ツミ夜姫は蛇足で描かれた桜の下で狂い死んだ母親そのものか、その母親が亡霊として年頃の、連れの男を殺された女に取り付いた存在か、桜に見た赤子の幻が母親の亡骸で形を得た存在か何かだろうと思っていた(首遊びというままごとに執着する点での想像)から、こう、大納言に「ツミ夜姫」と呼ばれたところで、ハイ自分の考え撤収ーーッ!!!って大号令出した。出したよ大号令笑

ツミ夜姫の正体としては誰にも分からないけれど。自分の考えのどれに近そうかと言えば、田淵法明さんのツミ夜姫は正体赤子のほうに近かったような印象で、首遊びが無邪気で巧みなように思えたからだと思う。轟大輝さんのツミ夜姫は正体母親のほうが近いと思えた。首遊びそのものよりも、遊びの中に込める怨みがよく見えた気がしたから。轟さんのツミ夜姫が「白拍子の首だよ!」と読み上げた時、その台詞を首に言わせていた田淵さんのツミ夜姫を思い出して、アプローチの個性…!となって、もう、痺れましたよね。そうも違っていたからきっと、田淵さんのツミ夜姫はどこか無邪気さをもって感じられて、少し離れてというか、どこか冷静にも感じられた轟さんのツミ夜姫は大人な気配を感じられたのだと思います。役者によってこうも違う。とても楽しいし興味深いことだと思えました。そしてどちらのツミ夜姫も、ただの美しい女にしか見えないのだから本当に困ってしまった。そこから男性の呻きが漏れることが異質に思えてしまったほどに。

ツミ夜姫は何者なのか。この作品において彼女は何者として描かれていくのか、興味は増すばかりです。次回作の副題「〜罪〜」は彼女の何かを指すのか、それとも別の何かなのか。どうにかして観たいと願ってしまう。この作品で描かれる彼女を、掴めるものなら掴んでみたいとただ、思います。らそして轟さんのツミ夜姫の時に観た、彼女の手の冷たさに気付いて鼓毒丸が立ち止まった場所が彼女と、舞台の上に置かれた首とを一直線にしてきたの、堪らないなあと思いました。あと物語の後半でミレンを牽制するような、威嚇するような気配を覗かせていたのは、彼女の未練に気付いていたからなのだろうか。

 

ところで山本誠大さんのミレン/アコガレ、めちゃくちゃに可愛いんですよ……………途中から、お嬢さん!娘さん!みたいな気持ちで見てたもん…….キャラクターって掘り下げたら、書き足したらここまで存在感を持った可愛らしい生き物になるんだなぁってほんと、かわいくっていじらしくて気丈な女性でした大好き…。山本さんのミレンは鼓毒丸への感情が溢れ出してからの可愛らしさが本当にすごくて、鼓毒丸の視線や気持ちがツミ夜姫に向くたびに今どんな顔してるのって目で追ってしまって、そのたびに胸が痛くなるようでした。だって鼓毒丸がツミ夜姫には笑うから…あの時の表情ほんとつらかったよ…?

でも都で家事を任されてはいても、特に縛られもせず井戸端会議が出来るくらいの自由はあっても、それでもあの屋敷(言ってしまえばあんな屋敷←)に居続けられるだけの盲目的というか、気にならないだけの動機があると考えることも出来るなと、思わなくもないし、その理由がそこにあるというのも納得出来てしまうなと思いました。……そういう解釈で描かれてしまったから、こう、鼓毒丸お前…ってなる……ばかやろ………って。

こちらが一方通行の想いを抱く女の子にうわぁ!うわぁあ…!ってめちゃくちゃ引っ掻き回されるのが山本さんのミレンだとしたら、梅津さんのミレンはスッとそれこそ三歩引いて前にも出てこないけれど、ただ想いを覗かせる時にはそっと鼓毒丸の隣に寄り添っている。なんとも静かな美しい人でした。山本さんのミレンにはもう可愛い…かわいい…って打ちのめされてしまって、本当に堪らなかった…めっちゃ好き…。梅津さんのミレンは静かだけれど、ツミ夜姫が鼓毒丸に頼み事をするべく耳打ちする時、鼓毒丸と合わせてピクリと反応していたり、食べてやりましょうか(あげましょうか?)の時にそっと崩した足を鼓毒丸に微かに寄せていて、ミレンおまぇえええって悲鳴あげるかと思った。ひぇえってなった。何でもないことのように言うくせに。そういう、ね。堪らないですよね。堪らないと言えば荒木さんの鼓毒丸、最初の方まじでミレンの顔を見ていた記憶がないんだよな…。お前まじかよって思った…。

 

そしてアコガレですが、正直私は観劇する前までミレン/アコガレが何を指すのか掴めなくて、桜の森なのかとも、都なのかとも考えていたんです。そんな私の前に現れたミレン(めちゃくちゃ可愛らしい)が私を更なる混乱へと陥らせ笑

落伍者との違う物語が語られているのは分かっても、それが何なのか私には分からなくて、ただ、坂口安吾の書く物語の中に存在しているのだろうと思っていたんです。そう。思っていた。梅津瑞樹さんのアコガレを目の当たりにするまでは。

梅津さんのアコガレは静かで美しい人だったミレンとは違って、不意に髪を弄り遠くを見つめ、落伍者に対してどこか冷えたような遠くを見るような目を向けるといった印象の方でした。そのアコガレを観て、この女性は誰だ。と思ってしまったんです。一方通行の想い、未練は憧れに変わった。変わる、というその線引きが掴めなかった私の前に現れた梅津さんのアコガレには、確固たるひとりの女性像が見えて。この人はアコガレとして描かれたこの女性を知っていて演じていると思いました。もう、心が身構えました。その人が誰か分からない自分が悔しくもあって、梅津さんの知識という武器にぶん殴られることが嬉しくもありました。というか嬉しかったです。彼の持つ武器を新たに目の当たりに出来たんだから嬉しかったんですけども。

落伍者と対峙するアコガレに、梅津さんの演じたアコガレに、この女性は現実の人だと確信させられて。坂口安吾の物語の中に、その姿を探そうとするのは違ったんだなと気付かされました。この作品は坂口安吾というひとりの人間が残した小説のひとつではあるけれど、書き続けてきた人間が残したものは小説ばかりではないのだと、手紙や、論文や、随筆等も含まれているのだよ忘れてはいないかいと。文学とは言語による芸術作品のことであると、小説作品だけではないのだ覚えておくんだねと、突きつけられたような気持ちにもなりました。だけど自分の至らなさを痛感するばかりでも、なるほど極上文學と、噛み締めてしまえる気もしていて。

だってアコガレの名で舞台の上に立っていたあの女性に今、こうして彼女の書いた作品に辿り着けた今がとてつもなく嬉しいから。これから読みます。ていうか、坂口安吾作品の後書き等々で気付けていれば良かった。ほんと、勉強不足で申し訳ない。無知なばかりで申し訳ないけれど、梅津さんがあのように演じた女性がどんな作品を生み出してきたのか、読むのが今からとても楽しみです。

…と言っても、アコガレに込められた女性がひとりでなかったらまた頭を抱えるところなんですけどね!

そして、どうやらアコガレだけじゃないようだ……いやちょっとは考えたさキャラクターに対して抱いた何故?の答えは別作品の中にあるんじゃないかって。思ったけど裏付けられるものを見つけられていなかったから、こう、次までに読み蓄えて、DVDでまた新しい発見を得られたらと思います。色んなところからぶん殴られそう。

 

桜の森の満開の下〜罪〜』とあわせて、楽しみにしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

舞台 刀剣乱舞 維伝 朧の志士たち 観劇直後の殴り書き

 

 

2019/11/24観劇

 

 

 

 

 

 

 

★★以下、ネタバレのみ★★

内容を知りたくない人は読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

和泉守兼定!!!!!!!和泉守兼定が!!!!!!!めちゃくちゃに!!!!!!はちゃめちゃに!!!!!!!!!格好良いです!!!!!!!!!!!!!いやまじめっっっちゃ見てて!!!!!!みんな見て!!!!!兼さんどちゃくそに格好良いから!!!!!堀川自慢の兼さんめっっっちゃ格好良いから!!!!!!!!!!
格好良い刀は文句なしに格好良いです!!!!!!!!!!
よく皆悲鳴あげなかったよね……私も頑張った……頑張ってその格好良さに双眼鏡を構えた……………
もうほんと、兼さん格好良い………格好良くキメてるところ全部ステフォで欲しい……静止画で欲しい………画面いっぱいに欲しい……………頼むカメラマン………よぉ狙って撮ってくれ…………………
この兼さん格好良いに振り切れすぎでは??????????????
なに、もう、最高かよ……………格好良くて強い刀、ほんと、最高かよ……………………防振欲しい…………………
(観劇直後の叫び)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


特命調査が行われる文久3年の土佐藩
刀を向けてくる面々が藩士であるためアンサンブルの方々がほぼずっと顔を出して袴を履いている状態で。ほぼ時間遡行軍の姿をしていないのが新鮮でたまらなかったです。あと大太刀!大太刀ががっつり現れたの最高でしたね!
いやはや、ゲームの特命調査にまた行きたい。
一幕は、ほんと舞台上で起こる物語、言葉から自分たちの本丸が調査した文久土佐藩を思い出し、そして当時SNSで交わされた考察を思い出し、目の当たりにして、放棄された世界を再認識させられたら終わっていました。大変なことが起きていたけど頭が追いつかない。情報量にひぃひぃ言いたくなる一幕でしたが、いかんせん朝尊先生の罠がやばい。是非刮目してその姿を目に焼き付けて欲しい。笑っちゃった。まじで遡行軍で罠作ってました。そしてあの第二部隊は罠を量産するタイプの部隊でした。大変ノリノリで、大変お疲れになっていた先生でした。あの台詞コンプリートしてるんじゃないかな?笑
「死ぬんじゃねえぞ!」
って、人間のドラマだと言うじゃないですか。
「折られるんじゃねえぞ!」
って言うんですよね。刀は自分から折れたりしないから。やられるなとも、負けるなとも言わずに折られるな、なんだなぁと震えました。
今回、特命調査に出ずっ張りなので、出陣の儀はありませんでした。
あと以前、ジョ伝でチャッチャッチャッ/がありましたが、今回はサッサッサッ/ソイヤッ/です。よろしくお願いします(?)

 

 


岡田以蔵
彷彿とさせられたのは鵺でした。
やるべきことのために、ただひたすら真っ直ぐでいる。あと龍馬が大好き。
犬ころと呼ばれ他人に俺の刀だとされて、一人の人間であることとは?と思わされる存在の在り方でしたが、そんな友人に向き合ってしっかりと頭を下げる男が坂本龍馬でした。ひとりの人間として在ろうというよりは、人を斬ることを己の存在意義とした。それを、それがお前なのだろうと、ただただ肯定してくれるのは肥前忠広でした。斬りたくないのを分かっていると、顔を見てしっかり伝えて、支えてくれるのも。
確かに人を斬りまくったけれど、確かに岡田以蔵という存在は、このふたりから愛されているんだなぁと感じました。
あとほんと、どこまで動けるんだこの人はと思いました。いや体力。身体能力。凄かったです。正直、美味しい役回りだなー!って思ってしまった。良いなぁ…。肥前忠広と背中を合わせて共闘したり、龍馬とまた並びあえたり、良かったなぁと思います。本物は、歴史を知る限り報われるなんてことはなかったかもだけど、だけど少しでも岡田以蔵になった彼に訪れた安寧が、ささやかにも届いてくれますように。


南海太郎朝尊
めっっっちゃ声が良い。
あと、ほんとにレベルが低いところから始まるんだなというか、練度は実践経験を重ねる中でどんどん上がっていくんだなと改めて、目に見えて再認識させられました。身体の動かし方を分かってしまえばこっちのものという感じでしょうか。頭の回転も良くて、鶴丸たちの言葉になるほどと刀を収めてくれたこと、そして知りつつも素知らぬ顔をして任せていったこと。流れるような滑らかさが、さすが先生、という感じでした。
そして罠。罠。まじで罠。罠という名のオブジェ(でも罠)
遡行軍を剥くとそうなるんだなぁ、そうなってるんだなぁ時間遡行軍、って思いましたまる。あれがリアルに行われていたら結構マジなグロシーンだったと思う。最終的に鶴丸が、倒した遡行軍を罠のパーツと言い出したの面白かったです。通路は堀。物を投げ捨ててはいけない堀。それが客席通路( ˘ω˘ )
朝尊先生が元主と刀を合わせることに興味を持って実行に移してみたとき、思い入れのなかったように見えた彼でも元主との思い出が蘇って、あなたはそういう人だったねと言葉が溢れて、なるほどこういう感覚なのかと理解していった時。元の主と刀を交わしたことのある面々を思い出してしまった。なにこれきつい。
それを敢えてやらせて、刀剣男士に強くなってもらおう、とする本丸の主よ。鬼かよ。


肥前忠広
めっっっちゃ格好良いですやばい。
正直役者の方を紅茶が凍っちゃった子うさぎさんで知ったので、こう、振り切れた格好良さに痺れました。堪らなくなりました。最高すぎました。役者は凄いのだと改めて思いました。
今回の肥前は、元主たちを支える刀でしたね。
坂本龍馬に使われ、岡田以蔵に譲り渡され、使われる。政府の刀というよりも一振りの刀剣男士であったように思えました。そして何より岡田以蔵を肯定するんだ。奮い立たせるんだ。たまんねえよな。そして岡田以蔵は気付かないんだ。目の前にいる自分のような人斬りが何であるのかを、最後まで。斬るしかない、本当は斬りたくない、死にたくない。全部に対してそれがお前だ、俺が分かってると何度だって言葉を投げつける。元の主は愛されてるなぁ。大事にされてるなぁって、本当に思いました。岡田以蔵の物語が自分の存在に繋がっている、というのもあるのでしょうが。それでも。だってちゃんと、顔を向けて伝えるんだ。敵を抑え込みながら、敵に刀を向けながら、岡田以蔵に向けて言うんだ。優しい刀だなぁと思いました。
陸奥守な性格の肥前忠広も面白かったですしね、良いもの見られました笑


坂本龍馬
役者の方が、安心して龍馬に会いに来てください、と言っていたんです。なんだかもうそれだけで心が軽くなって、ただただ維伝が楽しみになりました。正直、TDCの席ではどセンターの位置で繰り広げられる龍馬の物語は視界的に全然見えなかったけど、声を聞いて見守った彼の物語は、とても強く、美しいものだったなあと思います。彼はきっと、黒甲冑に近しかったのだろうけれど、坂本龍馬坂本龍馬であったが故に、彼がその心を知るものだったが故に、彼は坂本龍馬で在り続けることが出来たのだろうと思うんです。
藩を抜け未来を見据えて前に前にと突き進んでいった坂本龍馬が願った、同郷の友人たちの生。偉人として語り継がれる坂本龍馬がふと願ったかもしれない、ただの人間、故郷を持つ人間としての、ささやかな願い。そこを描いてきた今回の物語には、人間・坂本龍馬の姿があったように思えました。坂本龍馬も人の子よ、と。偉人としての彼を知る私にとっては、確かな衝撃がありました。
そしてどこまでも坂本龍馬坂本龍馬で、本当に格好良かった。彼らの受け継いだ坂本龍馬の物語は、その心は、維伝の終わりをどこか清々しく、なにか夜明けを迎えるかのような、不思議と爽やかな気持ちで受け止めさせてくれました。


陸奥守吉行
どこまでも格好良く在り続けた、確かな刀剣男士でありました。
自分が陸奥守吉行を手にする前に歴史をやり直そうとした坂本龍馬を前にして、家宝の刀であるとだけ肯定し続けた陸奥守吉行。彼が土佐に戻らなければ、その先の時間で自分はあなたのものになるのだと、決して伝えなかった陸奥守吉行は、なにを思っていたんでしょうね。もしかしたら、その思いは坂本龍馬に伝えたかった言葉だから彼に届ける言葉として出てこなかったのではと、思ってしまったら堪らなくなってしまうからだめです。
「会いたくなかった」と言い切った陸奥守は、龍馬が語る未来には目を輝かせて笑顔を見せて。だけどその龍馬の関心が自分に向くと、その笑顔を凍りつかせる。その表情が悲しかった。寂しかった。慈伝で太陽として在り続けた刀がその笑顔を凍らせたこと、その衝撃が苦しかった。
割り切れる心の強さは龍馬からもらったと、そういう彼が心ではどう思っていたのか。ある意味で自身の心を隠すのが上手い姿は誰かにも似て。やめてくれよ〜〜〜ってなりました。最後のワンシーンも、ね。明確な誰かを指していた気がする、最後の陸奥守のシーン。決別なのか、自分を納得させるためのものなのか。それとも別の何かなのか。あの険しい表情にはどんな意志が込められていたのだろう。


ていうかオブジェ
時間遡行軍で作られた装置が時間遡行軍の気配に反応する。
って、やばくないですか。やること鬼かよ。
深く想像しちゃいけない気がするよね…
朝尊先生、刀だもんな。心が云々っていうか、モノだもんな…


土方組
兼さんのおいしい見せ場がマジでおいしすぎてやばいんですが、みんな慣れてるの?格好良い兼さんにみんな慣れっこになってるの?私は爆ぜました。ありがとう。

堀川がなんか、堀川くんで。堀川くん的な可愛さで。彼が兄弟と並ぶところがただただ、観てみたくなりました…。疲労でよたよたしてたら赤ん坊のように抱き留められるし、戻ってきた陸奥守には飛びついて喜ぶし、格好良い兼さんには目を輝かせて、相棒!って呼ばれたらめちゃくちゃに嬉しそうに返事して……。かわいい……かわいい堀川国広……………。それでもあんなに動けるんだよ…かわいいだけじゃないんだよ……でも今回のメンバーがメンバーだから、めちゃくちゃにかわいいんだよ……。
最初にストーリーテラーをしてくれる堀川。文久3年がどういう年かを教えてくれて、そこで、今がまだ新撰組が出来るか出来ないかの頃であると教えてくれる。後々のことを考えるとズルい場面ですよね。時代背景の解説があったから、「そこにいていいんだ」と錯覚させられてしまうようだった。ずるいなぁ。
兼さんの格好良さはなんかもう、拳銃がどうだと噛みつきつつも、迷わず真っ直ぐ行動に移してその理由を多くは語らず「格好良いだろう」で一蹴する潔さにあるとも思って。格好良い。格好良いよ兼さん。そしてその姿はどこか陸奥守吉行に似ているようにも思えて、微笑ましくもありました。


鳥太刀
主からの密命を持ったふた振り。基本ふた振りで行動していて、その姿は道の先を行く子らを見守る父のそれのようでした。
父と父って感じでした。
「あんよが上手♪あんよが上手♪」ってやって抱きとめる鶴丸国永のパパみ。
パパ………
むこうの鶴丸鶴丸の色で皆と触れ合いに来るようなと表したら、こちらの鶴丸はどうにも、対等な存在として自然と肩を並べて懐に入ってくるような気配があります。龍馬と鶴丸の関係の築き方。好きです。
三日月宗近を最後まで見届けた小烏丸と、三日月宗近の不在を「寂しい」と嘆く鶴丸国永は、三日月宗近を取り戻す手掛かりをいつもどこかで探し続けていて。子よ友よ、という確かに続く愛情を感じずにはいられませんでした。
そして鶴丸が三日月がいないことに対して「寂しい」と言った。なぜかそこで、あぁ、この鶴丸とあの鶴丸は別のものなのだと、思いました。


鶴丸が追いかけたあの時間遡行軍のひと振り。
彼は、どちらなのだろうか。
忘れてはいないよな、と確信めいた物言いで鶴丸が斬り結んだあの刀は、あの打刀は。修行という名のもとに何かを探し求めている山姥切国広なのだろうか?
それは、修行に出た山姥切国広なのか。
それとも三日月に固執し、歴史を守るという刀剣男士の本能を忘れたが故に切り捨てられた、そんな時間軸の山姥切国広なのだろうか?
「特別協力」の意味を考える。

はぐれの遡行軍、彼は一体なんなのか、何を目的としてそこにいるのか…。ほんと、気になりますね。

 


殺陣まじで結構見えなかったんですよね…笑
無念。

 

 

 

 

 


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この物語は偽物たちによる、そこで生まれた本物の心たちの物語のように思えました。
願いに呼応したモノが、生み出し作り上げた世界。生み出されたものが、ある種の役割を持って、願いを持って、物語を紡いでいた世界。
そこには今を生きる、進むべき未来を持った、生きた人間は誰一人としていなくて。
すべてがモノに生み出されたモノ。
物語を、心を受け継いだモノたちの世界。
刀剣男士たちを討ち果たして守り抜かれた、放棄された世界。
ほんものはひとつもない世界。
こうしたい、ああしたい、と願いをくちにしたって、それを願ったのは今言葉を発した貴方ではなく貴方の心と形の元になった、貴方が今名乗る名でこの世を生きた人間なのだと。どれだけ心を傾けても、その傾ける心を持っていたのは、心を傾けた先にいるのは、今肉体を持っている貴方でも、あの人でもなく貴方がたの持つ心を、物語を生き紡いだ人間たちなのだと。
そういう意味の空虚感。
だけどそんなモノたちで描かれた物語は、そこにあったモノの心たちが紡いだ物語は、つらくて、むごたらしくて、だけどどこか心地よい。そんな苦しみに揺蕩った。
それでも。
彼らと刀剣男士たちが紡ぐ、叫ぶ言葉たちを聞いて。

 


君たちの元主たちは、本当に格好良いなぁ

 

 


そんな笑顔になってしまう。
確かな輝きを持った物語だったと思います。

 

 

 

 

 

 

 


最後に。


山姥切国広、骨喰藤四郎、日本号、宗三左文字、大倶利伽羅陸奥守吉行


お疲れ様でした。頑張ったね。

 

 

 

 


さて!自分の中身吐き出したので!
SNSに溢れる考察読みにいくぞーーー!

 

 

 

 

…………………。

行く年来る年、追記です。

(赤坂ACTシアターにて観劇)

 

 

 

 

 

 

 

 

いやめっちゃお顔が…山姥切国広……

 

 

 

そして最後の最後にしっかりと山姥切国広の声が聞こえたね。

 

まじか…

 

 

 

「物語をおくれ」

 

は、「送れ」ではと思っていて、「過ごせ」「向き合え」の意味だと考えている。

そしてそれは、鶴丸の言う

 

「物語を食って」

 

に、遠くない意味なのではないかと思う。

元の主とどうして向き合わせるのか鬼かよ、と言ったけれど、南海太郎朝尊が戦闘経験の浅い状態で元の主、武市半平太と向き合ったことで自身の物語と向き合い、そして物語を「食」い、ただの一戦で手に入る経験値以上に強くなることが出来ていたとしたら?

強くなるものは心なのではと思うけれども、自覚出来るだけの成長、強さを実感出来ていたから、朝尊先生が坂本龍馬陸奥守に譲ったのだとしたら。そこには強く実感という説得力を持って、朝尊先生は身を引いてくれたということになるのかなぁと、思ったら思ったで堪らなくなりました。

 

そして陸奥守吉行は言葉を発するより先に体が坂本龍馬に向かっていく、助けに動いていることがあったけれど、あれは歴史を守るためと判断して動いていたというよりは、ほんとうに、坂本龍馬の愛刀としての本能的判断だったのではとも思う。そして審神者を主とする今、どこに陸奥守吉行の心は向いているのだろう。坂本龍馬はまだどこかで生きていると言った陸奥守吉行の、自分が別れたのは朧の、偽物の坂本龍馬であるのだから本人は正史の中でどこかで生きているんだと言うような発言。正史の文久3年時点では、という意味だと捉えたいけど、それが「本当は斬りたくなんてなかったんだ、死んでほしくないんだ」という陸奥守吉行の心から溢れた言葉だったら?

タラレバすぎて申し訳ないんだけど、いやなにそれ明るすぎる悲鳴かよ。つらいよ。

 

あと、肥前忠広。ほんと、肥前さんあなた、ほんとうに岡田以蔵に対しての言葉をそんな優しくしないでくださいびっくりしました、そして元主への愛おしさが溢れるようで私は泣いてしまいます……………

 

そして、最期まで刀で戦った土方歳三の愛刀が銃を使うなんてっていう声もあって、兼さんのあのシーンが賛否両論だったことを後から知りました。だけどその見方に全く思い至らない程には、あぁこの兼さんは陸奥守吉行と坂本龍馬の物語をその目で見て、同じ物語を過ごして、銃を手にする選択肢を選んだんだなぁと思うばかりだったのです。己に伝わる物語から生じた自己、そして心が、今回の物語の中で動かされたんだなと。心を動かしてくれたんだなと。だから、やっぱりあのシーンを私は「格好良い」と全力でロックオンするんです。だって兼さんは格好良いんだもの!!!!

 

だめね、ほんと、いつまでも喋っていたい。

何度でも繰り返し観続けたい。大好き。

 

 

維伝が!こんなにも!煌めいていて!尊くて!本当に本当に大好きです!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

(2020.1.12追記)

 

 

舞台刀剣乱舞 慈伝 日日の葉よ散るらむ 観劇直後の殴り書き

※2019/6/23観劇時のものです

 

 

 

あーーーーーーーーーーーーーーーー三日月宗近ぁああああああ!!!!!!!!!!

 

 


分かっていたことだけれど、この物語はあの物語の続きであって、あの本丸の物語が今なお紡がれ続けていること以外の何ものでもなくて、ぶん殴られることしか出来なかった。舞台には居なかったけど、皆居たんだ。悲伝の、あの最後のホッ、のシーンが突き刺さる…。

沢山の出来事があって、結ばれた縁があって、あの本丸の刀剣男士たちは本当に心も成長したんだなぁって思いました。なにがって、山姥切長義への対応が。
本当に、すごくて。
山姥切国広のいる本丸に、山姥切長義が来たら、起こることは目に見えているじゃないですか。その悶着がどう展開するのかと思っていたら、ほんと、周りの仲間たちの対応力がすごかった。そして自分の気持ちとしてびっくりしたのは、国広が長義に偽物くんと呼ばれるたびにそれは違うと声をあげる男士たちの、その言葉の重さの一端を感じてしまえたこと。だって私たちは、あの本丸の、あの山姥切国広の背負った物語を、その縁を見届けてきたから。長義への反論に含まれた言葉が、なんだかすごく胸に刺さった。つらい。つらい。公演地別の刀剣男士たちがどんな言葉を伝えるのか、ぜんぶききたい。全部知りたい。しんどい。山姥切国広への愛しかない。


ていうかOPがやばくて早々に泣いた。なにあれ。なにあれ。アップテンポでキラキラしてて皆の笑顔がかわいくて泣いた。その後にそれでも、ってところが語られて泣いた。ひたすらにかわいかった。かわいい…
仕方ないけどOPに山姥切長義いないんですよ。OPだからそりゃあね。でもいつかあの輪の中に入ってね。きっと遠くない未来のはずだ。


個人的に爆ぜたところなんですけど、山姥切長義の本丸案内を大般若がしていて、仲良さげに談笑なんかしちゃってたんですよね。
私の本丸、長義お迎えした時真っ先に大般若と亀甲と一緒に出陣させてて。相州伝備前長船!お友だちだねどうぞよろしく!って。目の前で仲良しなとこ見れちゃってしんだりしたなど()
山姥切長義と距離を取らないでいてくれる男士たちの存在が本当に、凄いなぁって思ってしまった。受け入れてくれるって相当、心だなって思える。はじめは皆そうだった、不慣れなんだって言いながら、この本丸で過ごして、仲間を得て縁を繋いで、そうした対応の仕方というか物事の捉え方をするようになったのかなぁって思ったら、あぁ生きてるなぁって思ってしまった。してもらったことを次は自分がまた新しい仲間に伝えていくんだっていう、悲伝のドキュメンタリーで見た役者たちの姿勢を思い出す瞬間でもあった。
だけど本丸のみんなは山姥切長義の名前を呼んでくれなくて、自分も口でどんどん敵を作っちゃうからなかなか距離は縮まらなくて。だから南泉が山姥切長義の味方でいようとしてくれて、何かあったら自分がって先輩面して気にかけてくれていて、なんか、南泉〜!ってなった。いやあの山姥切長義の吐露した言葉を掬い上げてくれたからもあると思うけど。簡単にぽろっちゃったのかわいいけど、まぁあの対応のされ方じゃあな、仕方ないよな、って思ってしまった。あの歓迎っぷり、なりふり構わずブチギレないでくれた彼はその間に何を思っていたんだろう。どんどん握り締められていった拳を振り上げないでくれて、柄に手を掛けないでくれて。どこか歪な、不安定なものがあると感じる部分はあったんだろうか。

 

ゲームでの言葉は舞台でも拾ってくれるけれど、山姥切長義のもてあた台詞ではその「持てる者」が示すのが山姥切長義のことではなかったこと、不意に思い出しては噛み締めたくなる。
そしてあの「美しい。そして大きいね。」も一緒に噛み締める。あの言葉ほんと刺さっちゃったんですよumtさん。

山姥切長義と山姥切国広はそれぞれ部隊を組んで模擬戦を行うんだけど、その組み分けの仕方が本当に頼もしくて、そしてしっかり中立の位置に収まる鶴丸国永の選択肢が好きだった。
山姥切長義めちゃくちゃやられるけど、食らう攻撃が鞘や拳だか肘だかからの攻撃だったのもたまらんかったです。刀剣男士の戦闘は刀だけでするものじゃないんだって。顕現し手に入れたこの身を使って全身で闘うんだって見せつけてるみたいで、なんかもう最高だった。
そして山姥切国広の強さ。そこにいない、あの刀の存在を思い出させる景色と言葉があって、かなしい強さがそこにはあって、今までの物語の大きさを思い知った。
けどその強さを、その想いを支えて後押ししてくれる仲間たちがいるから、きっと大丈夫だと思える。
もう突っつく隙がないような絆でがっつり結ばれたように思えるあの本丸は、この先どうなっていくんだろう。

 

三日月宗近
五虎退に大切なものを託していた三日月宗近
ずるいよ。
愛しているのだと伝えるみたいで。
ずるい。
悲伝を見返したい。
そしてもしあそこに、きっとその懐には、と。

本当にずるい。


五虎退の探し物を手伝う仲間たちも、五虎退の詳しくは言いたくないという気持ちを尊重して深くは聞かないまま、それでも見つかるまで捜索を手伝う姿勢が完璧すぎたよね。出来た大人たちか。

 

満身創痍な本丸なんだ。本当は。大好きな三日月宗近を、本丸を、破壊でもって失った本丸なんだ。それでも前に進まなきゃいけない、日日を過ごしていかなきゃいけない。もしかしたら、傷を隠せるくらい心が育ってしまった本丸なのかもしれないけれど。

営みというのは、そうやって続いていくんですものね。

新しい風を、山姥切長義が運んできてくれたはずだから。頑張れ

 

 

長義がかわいかったです。
言いたいから言うけどかわいい。
バレてると思うけど長義ずっと見てた。すまねえ。
コミカルなシーンも真面目なシーンもクソッなシーンもあってとてもとても美味しかった。いちいちツッコミを入れちゃうのはなんなんだ、律儀か。かわいいかよ。コミカル長義はめっかわです。
拗ねることもあるけれど、それでも認めるものは認めるし、認めたものはブレさせないしで、そういった潔い姿勢はやっぱり強いなぁと思った。
これから強くなるんだ!って言い切ってみせる姿もね、美しかったよ。小夜の言葉が響いてるといいな。

 

OP、きらめきにぶん殴られて、誰がどうしてたとか全く覚えてないんですよね(白目)
そしてEDまじで長義観てたからほんと、すまねえって気持ちでいっぱいですよ、ええ。だってOPにいなかったんだもの。足よりは肩固めな感じがとても好き。みんながわいわいと番傘持って現れてEDが始まるの、好きだなぁという気持ちしかない今すぐもう一回観たい。もっと目が欲しい。


殺陣速いんですよね、長義。足捌きかな、身のこなし?が速くて、スイッチ入ったみたいに速くなる。間合い詰めるのが速いのかな。一対一だとね。対複数だと踏み込むタイミングがあるからそれ読むよなぁと思うなどもして。もっと長く殺陣見たかったな。ガチなやつが見たいです先生。
あと太郎、次郎の大太刀やばい。よくあれで動けるね!?ってなる。次郎太刀とかほんとな。やばい。あとまじで大典太光世がつよい。ほんとつよい。大包平ともやりあってほしかったな。突然の中のひとの話だけど鶯丸の殺陣がすごく滑らかになっててびっくりした。つよい。我がものにしてくる姿勢がつよい。好き。
しかし一番しんだのは五虎退が暗闇のなか、刀を3、4回手元でくるくるさせた後にノールックで納刀したところです…見てしまってほんと爆ぜた…。

 


ところで一度書ききるまで、なぜか思い至らなかった謎があるんですけど、
ほんと、
大包平やばい。いやもうほんと、いつサンシャイン化するのかと気が気じゃなかった…
でも、大包平が「悔しい」と己の心を叫んだ瞬間、瞬時に聞く姿勢になった鶯丸のあの一瞬の間が、最高に好きだった。

 

そして今回はほんと、本当に布が罪深い。
最後に山姥切国広の布バサが見れて良かったな。

 

 


……そんでもって思い出したように書くのがまた長義さんの話なんだけどさ?これumtさんの話かな。締めの礼をするときに、国広が手で皆々様、ってやるんだけど、その隣で胸の近くで似たように手を動かすのよ。
あれなに????????
え、個人的には皆々様、なんてやってくれるの座長で良いのではってなるんだけど、長谷部も最後、国広と左右に残った時にやってくれるけれどもいや、長義はなんなんだ??
そこは座長たちに任せようぜと思ってしまうんだけど、いや山姥切長義として山姥切国広の後ろに控えるのは、みたいな感じなのかなそれが仕草に出てのアレだったらかわいいかな???とも思いつつ、え、umtさんの仕草じゃないよね??????と大混乱しました。毎公演やってるのかな、あれほんとなんだろう……まさかのもてあた……?いやそんなばかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、まとまりがない笑
ひとまず、おしまい!

 

 

 

 

追伸

こんな書き方をしている私、7月の観劇時とある点においてテンションぶち上がって大変なことになります。

舞台はなまもの。生きている!

 

 

 

 

 

舞台刀剣乱舞 悲伝 結いの目の不如帰 観劇直後の殴り書き

悲伝の話

※これは2018/6/6に書き殴ったものです

 

 

三日月宗近の望みとは何だったのか、そしてなぜ、燭台切光忠が三日月と相対する存在となったのか
ということに想いを馳せすぎた持論願望自己解釈


もしかしてだけれど、三日月さんは山姥切に折られなければ、あの円環から抜け出すことは出来ないのではないだろうか。だからトドメも刺していないのに、簡単に背中を向けた。そして約束をした。きっと折られるまで続く約束になるんだと思う。本当は、してはいけない約束なのかもしれない。次があるということは。
そしてたぶん、山姥切は結いの目の中に入ってはいけないんだよね。入る前に、折らなきゃいけない。でももし、本当は刀解でも良いのだとしたら?三日月の希望と、欲が、山姥切にそうされること、山姥切がそう決断できることを期待しているのならと考えたらもうね、おじいちゃんめっっちゃ心あるなぁあってなってね、だって悩む素振りは見せてるもんね、しんどいが増すよね。
だから廻る。廻って還ってきたからきっと、最後に顕現した三日月宗近は笑っていなかったんだと思う。
そして、EDがあの曲だから…。もしかしたら、三日月の顕現と同時に、時間は戻って、また骨喰にお守りを渡して、それから…を繰り返し出しているのかもしれない。それで、あの物語が虚の名を冠するなら、しんどいがすぎるんだけどね…どうなんですかね…。

 

今回の三日月の姿を見ていて、過去の色々な物語を持った人々を思い出した。どんぐりじじいももちろん。使われなかった刀と聞いて、それを守りたくても守れなかったと言い表したことによって、守るチャンスを得た蘭丸の姿を思い出した。彼は敵だ、歴史を変えようとしているのかと疑われた時、時間遡行軍と共に刃を向けた弥助のことを思い出した。義輝公に使われる機会を得た時、その美しさに使われず終えた三日月さんを見て、見果てぬ夢と聞こえた気がした。どれも人の為してきたことだ。人が刀を用い、変えようともがいたことだ。それを、結論として意味のない不毛な足掻きではとのたまった、三日月宗近は繰り返される時間のなかで、途方もない時間を繰り返したなかで、いつしかどこか心が死んでしまっていたのかもしれない。心非ずや。悲しいことに。


でも、もしかしたら三日月宗近の紡ぎたかった未来というのは、刀剣男士たちの、今生の生なのでは?と、そんな可能性も思えて。未来を欲したと明言した三日月は、義輝公を前にしても己は今の主の刀であると断言する。義輝公が持たない歴史を新たに作り出すことへ手は貸さぬと袂を別つ。たとえ使われなかった、守れなかったという想いがあったとしても、それとこれとは別の話なのではないかと思う。そして、本丸で皆といる時間が好きだと言う拡樹さんの言葉が重かった。

そして、悲しい、と。自分の感情をその言の葉に乗せたのが、光忠さんだったこと。そのしんどさたるや。彼はどれだけ人間に近くなるんだと、義伝から思っていたし、貞ちゃんや、今回歌仙にも「刀の本分を忘れるな」と言われていた光忠さん。しかしそれもまたひとつの在り方よと、その個に芽生えた心を是としてくれる小烏丸の存在はたまらなかった。本人としては色々と思うこともあるようだけれど。だけどその姿を見て小夜は、自分の物語を受け止めてあんなに強く居るのだと評するのだから、その強さも間違いではないのではと。思う。刀としての本分が疎かになってしまっていたのは悪いことだとは思うけどね。
もし、光忠さんが三日月と同じように戦うことを不毛に、無意味な繰り返しと捉えるようになって、それで、料理をしているほうが楽しいじゃないか!となってしまったら。その先に待ち受けるものは恐ろしいもののように思えてならない。
だからやっぱり、料理に己の価値を見出してしまいかけているあの状態は危ないものがあったんじゃないかと思う。だって彼は包丁ではないから。己の在る意味を履き違えては、きっといけないから、己の本分を見つめ直す、見つけ直すためにも、今回のことは必要だったのかもしれない。

 

光忠さん、ほんとは空っぽなのかもしれないけど、その空っぽを隠して今までずっも強くあったんだから、やっぱり光忠さんは格好良いんだよなぁ。そして例え空っぽでも、あの本丸の光忠さんは義伝っていう元の主の物語を見届けてきた刀だから。あの時間で確かに受け取った物語は彼の中に新たに息づくんだから、たとえその姿がもう刀とは呼べなくても、呼ばれなくても、刀剣男士として強く在れるのだと思いたい。
今回の光忠さん、見てしまったものから敵という答えを導いて、敵ならば斬る、折ると結論付けるの、ほんと、面白いくらいに自己判断。そのあたり、今の主に使われる、主命に動く燭台切光忠という刀なのではなくて、あの本丸の燭台切光忠の在り方なのかなと、思った次第です。


ところで軍議の光忠さんですが、ほんとしんどい顔して三日月しか見てなかったのでしんどいかった。
最後に歌仙と手合わせするとこ、厨当番の代表的なふたりが、本丸で料理以外のことをしてるの、たまんないですね。光忠さんも格好良い、ノリの良いにいちゃんしていて。これからも向き合っていくんだろうなぁ。ところで「分からないんだ!」っていう光忠さんの笑顔、眼帯と髪の毛で諸々隠れてるけど口角上がってるってだけでしんどいがすぎました。それまで思い悩める表情も見せていたのにね、分からないって笑うの、なにやってもどうしようもなかった!って言っているようで、今までも向き合っていたんだろうなぁと思うわけです。強がりな部分もあるだろうね、格好良くいたい刀なんだし。

「忘れていても、俺が覚えている」と義輝公は骨喰に言うけれど、記憶はなくとも、与えられた物語が己の姿を作り出す。それが刀剣男子だと言うのならば、己が覚えていなくとも、人から忘れ去られるという結末はないんだと、語り継がれたからこそ今生にたどり着いたのだという刀剣男士って存在はしんどいな!

あと本当に、頭が冷えたあとの光忠さん、ちゃんとまず相手から理由を聞き出そうと心掛けているのとても良いと思いました。

 

ところで、もし。ところでとかもしとか、多くて本当に申し訳ないんだけれども。もし(また言った)、義伝にあった伊達の刀は強いですという小夜の言葉。それぞれに刀として受け継いだ物語があるはずなのに、あんなに強く、まるで今を謳歌しようとしているかのように的な言葉。それこそ、悲伝で義輝公が与えてくださった「刀剣乱舞」という言葉の意味なのでは?と、思えて。しまったら、堪らなくない??ってなって。光忠さんの在り方は、まあ戦より厨を取ってしまうのは良くないけど、でも、決して否定されるものではないぞと。むしろ彼の在り方が、その今生を謳歌しているのだと言えるのならば、それはきっと悪いことではないのではないかと。
まぁ、義輝公の言う「刀剣乱舞」に、人間讃歌と似たものを感じたからという、私の思考回路な話ではあるのですが。でもそうだったら、光忠さん、やっぱり格好良いよねと。
そして、皆が今生を謳歌する未来を、どこかで欲してしまったのが三日月さんなのだとしたら、もしかしたら光忠さんは、三日月に近しい存在になりえたのかもしれない。
なんて、まぁ、どうなんだろう。タラレバご都合主義の自己解釈になってしまうばかりなのですが。