真白にオレンジ、そして青

書き殴ってくスタイル

朗読劇「あの星に願いを」観劇直後から先色々の殴り書き

 

※ネタバレしかありません※

「あの星に願いを」、今作で初めて出会いました。2023年5月27日の3公演(シリウスプロキオン→ペテルギウス)を観劇。書くにしてもどうしたらいいのか分からなくて情緒が乱れまくっていた当日の悲鳴も一部そのままに。ただの感想を書き連ねているだけです。台本は手元にないので、台詞やら文脈やら重複箇所やら、おかしいところは見逃してください。

お目汚し失礼します。もう笑ってくれ。

 


シリウス終演後

この物語、浴びながらどう分岐するんですかってずっと、思っていたんですけど、いや、祈ることしかできないよ??????

初っ端から裕介が引きこもっていたっていうんです、星羅がしんだっていって

裕介を演じる狩野翔さんが、まっすぐに背筋が伸びる方でとても元気に綺麗に笑う方だと知っているからこそ、終始背中を丸めた姿勢で縮こまっているのと、冒頭の笑おうとして笑えていないぎこちない笑顔がとても脳裏に焼き付いてしまってダメでした。

学生軸の彼らを身体で表現してくれるアンサンブルさんたち、動きと声が一心同体になってひとりのキャラクターとして形作られていくの、本当に良いなあって、素敵だなあって思っていたんです。台詞に合わせて口が動いているのも見ることが出来て、ああアンサンブルなんて名前、勿体無いなあって思ったりもしたんですがたすけて

現在軸に戻って健吾と莉緒の後悔と、抱き込んで前に進む姿を描いている間に、気付いたら裕介がね、台本のページをひたすらに捲ってるんです。どこを見つめているのって思うくらい時にはふと手の動きを緩めながら、進むのを躊躇わせながらページをめくって、本編軸に戻った時に「ずっと思い出してた」て言うんです。星羅のいた時間を、あの時の日々を思い返していた、忘れないように思い返していたって言うんです。繰り返し繰り返し、あの日々のことを考えて想い続けて、「3回目」て弘美さんの言葉、何の言葉を受けての3回って、裕介の「もうやめたい」で。ある意味星になったひとが3回目ってその言葉を受け取るのほんと、それが君の願いなの、てこと….???裕介は星羅にもう一度出会えて、その手を捕まえることができてからやっと流れ星を見つけられたのに。願いとして「まだ間に合うよな、星羅と最後まで一緒にいるのが自分の願いだから」とかなんとか、言って、自分の答えを見つけたというのはあると思うけど、裕介、また、もっと莉緒も健吾も後悔して、苦しむと思うんだ。だってそれしかないじゃないですかこの結末、ふたりともきっとなんで1人にしたちゃったんだって、もうそこからじゃん。ふたりは「またね」て言ったの、またねって、また会おうねって、きっとこの先も地に足つけていてくれるようにと願って。今日、この順番でこの物語を浴びれられて、良かったなあって、ほんと、祈ってるからね、思えるって。本当に助けて、莉緒を健吾を小松先生を星羅を裕介を助けてください、本当に、星は誰かの命だけじゃないんだっておもわせていただけたら、私はとても、とても嬉しい…

風太、先輩たちのことをよくみていて、星羅のことをよく見ていて、でも踏み込んではこなくて、いや真っ直ぐでプライドが高くて強いって、本当に、本当じゃん……………って頭を抱えることしかできなかった。ふうた、たすけて、もうそれしか言えなくてわらう、風太にですか???わからない、いや、むりじゃん、たすけてまじで、どうすれば良かった?どの時にどういう選択肢をしていたら良かったの?????

星羅とおなじ「大好きだったよ」を遺して星羅のもとへ逝ってしまった裕介。裕介に生きていてほしかった、というのとは気持ちとしては多分どこか違う、どう生きてほしかったんだろう、て思うんですけど、だからさあ、なんで

全部全部間に合えよ!!!!!!!!!!!

っておもうんですよ本当に今その気持ちでいっぱいなの本当に、本当にたすけて

でも星羅の性格上、裕介の性格上健吾の、莉緒の風太の小松先生の性格上、どう、どこで、どうしたら結末がかわったのか、生きていけない心地ですごい、どうしたら間に合ったの、今まじですごく息苦しいから本当に助けてほしい、でももうやだて、やめたいって言いたいけど言えない、言ってはいけない

ねえ、すごい体験だったといえば、それはそうなんですけど、それどころじゃなくて、たすけて????????って気持ちでいっぱいすぎて、動悸がすごい、息がつらい

あ?????なかのふうたってびょういんのこじゃないよね???????????「星羅を返しなさい」が的外れではないとかだったら泣くが????????????????

こんなにたすけてしか言えない感想ある、あるわ、泣いてる

裕介、狩野さんが途中から涙声になって鼻を啜る姿もあって、濱さんも目頭を押さえていて、もうその姿が印象的で。

星羅に手を伸ばして暗転して、落ちた音、裕介はやっと告白して、客席に灯がついて2人はそこで死んでいて公演終了アナウンスと退場アナウンスがながれてふたりをそのままに退席しなきゃいけないの、こう、あの静寂、あの誰も何もいえない、聞こえるのは鼻を啜る音と衣擦れだけ、ていう、拍手しようにも、したらすごく虚しくとけて、あの静寂を自分が体験することになるとはと、いう思いは思いとしてあるんですけど、ねえプロキオン信じてるからね???????って気持ちがすごく暴れていますたすけて、ほんと、本当にお願いします。


劇場を去る時、こうして文字を打ってる時は息苦しくなっても心臓バクバクしてても表面上平気だったのに、次の公演に入る友人の顔を見た途端泣き出したからほんと、ほんとね。すごい公演だったなあ、シリウス、そしてプロキオンほんと、信じてるので…お願いします吉岡さん…………


プロキオン終演後

「病院に鍵忘れたみたい」でアッてなった。ふうた、君はいつから星羅を知っていたんだい…………………。

先生も風太も色々と気付いていて、それぞれ父娘に手を差し伸べようとしていたけれど、どのルートもそれだけでは分岐はおきなくて。過去は過去、変えられるのは今この先だけ、というのはもっともなことで。だから変化が起きるのが「なんでうそついたの」に対しての「見栄張っちゃった」て答えてからなの、ほんと、本当、星羅!!!!!!てなった。裕介、星羅はすぐ他人のせいにするってやっと踏み込んで怒ってたけど。そうなの、そうなの。もう居ないから遅いんだけど、遅すぎたんだけど、星羅が裕介を前に素直になってやっと、やっと変化が起こるの、起きたの、裕介の踏み出す一歩という分岐点に間に合ったの。会いに行くよが自分も逝くよじゃなくて星を見上げるよ、星羅という星を見に行くよになるの、ねえ、ひとりで星羅の元に逝った裕介が、仲間みんなと星羅という星に会いに行くの、本当によう……………もう涙が止まらなくて止まらなくてやばかったです。

分岐点になった星羅の台詞が弘美さんの「女の子は嘘ついちゃういきものなの」的な、いわゆるはぐらかしの言葉から、「見栄張った」ていうそのまま、ありのままの素直な言葉に変わったということに、そうなんだ、て裕介が飲み込めたことに、もう、なんか小松先生の「俺みたいになるなよ」を思い起こされて、こんな真っ直ぐなやり取り、先生にも届いてくれ…………となりました。先生の言う「俺みたいになるなよ」は、きっと手の差し伸べ方、差し伸べる先のことだとはおもうんですけど、だけど弘美さんは、見栄を張らない言葉を先生に伝えられたのかな、そうだったら良いなと思うなどしてしまって。遺された先生の瞳からは、こう「間に合わなかった」感も感じてしまって、人間、ひとりと向き合うだけじゃないもんね、複数に目を向けて生きていかないとだものねと思ってしまって苦しかった、難しいよなあって。でも今やっと地に足をつけた裕介が、前に進む莉緒が学校に留まる健吾がいるから、先生にももう少し、この先光が差せばいいなあと思います。本当に愛おしい夫婦だったので…私絶対大好きなので小松夫妻…。ほんと、小松夫妻の結末が変わらなかったのはだいぶ苦しくてたまらなかったなあ、

星羅の言葉からルート分岐を察せられてはいたけれど、舞台上にみんなが戻ってきてくれた時がね、本当に本当にやばかった。どうかどうかと思っていたから、物語の流れが変わったとラスト舞台に再びライトが戻ってくれた時、やっと確信できたから。もう、ルート分岐から規制退場の順番が来るまで泣きすぎてぜーはー言ってたんですけど、終演後、なんか舞台袖の奥が賑やかで、それも嬉しくて全然涙が止まらなかった。嬉しかったなあ……。

 


ペテルギウス公演を経て色々考えるようになって以降、割とずっと小松先生と聡さんのことを考えています。小松先生に「馬鹿」な面があることについて。考えていた理由は本編観劇中に、小松先生からの聡さんへの態度の理由が分からなかったから。病院のシーンでの「心配かけちゃうからお父さんには伝えないで」と言われているにもかかわらず「あぁお父さん、…え、向かってる?…お父さん!こっちです!」な流れの、あの、お父さんに呼びかける先生の声音。なんでお父さんを見つけて明るい声が出るのかと、ずっと考えていて。その声は2年前の初顔合わせな面談の頃から、聡さんの利き腕の包帯を見つけてから出るようになったような気がする。もし、その時の怪我が聡さん自身によるものだったとして。小松先生はその可能性に気付いて、また面談しましょう!と声を掛けたのではないか、健吾が踏み出せなかった一種のきっかけを、見落とさずに手を伸ばしていたのではないか、そう考えるようになった。

小松先生には申し訳ないのだけれど、以前の作品に先生が出ていてその際に掘り下げがあったとしたら見当違いも甚だしいことかもしれないけど、今作だけを見た人間が考えたことがふたつ。ひとつはもし先生が、鈍感という馬鹿だとしたら。小松先生は弘美さんのたくさんの嘘のなかから本音を探してると言うけれど、人間たくさん、嘘つくじゃないですか。先生に星羅の嘘、効きすぎてるんだよなぁと思って。なんで疑われなかったんだ星羅、て。嘘が分からないというか、見逃してあげてしまうというか、疑えないというか。先生がバイトのことを掘り下げなかったのは山口家の生活面をいくらか把握していたからだろうし、夏服がないのも「購入していないから」と把握していたから納得していたんだろうし。だからバイトのし過ぎを信じてしまえるし、3年間を冬服で過ごすことに触れずに来れてしまった。先生という立場からして、その辺に踏み込めていたらもっと、違う物語が待っていたのかもしれないと思ってしまう。まぁお下がりなんかはどうだと先生が言ってみたところで、冬服かわいいから気に入ってるとか星羅に言われたら、その壁に気付かず気に入ってるのかそっか、と思って引き下がる可能性はあるかもしれないけれど。そして小松先生に対して思ったこと、もうひとつは面談後の聡さんに小松先生が自身の未来を重ねてしまっていたとしたら、ということ。すでに入院していた弘美さんの病名や症状は分からないけれど、もしあの時点でこの後自身に訪れるだろう別れや喪失感を、聡さんのなかに見てしまっていたら?親として娘への愛情があることを知れた時、その利き腕の怪我にままならない現状への苦しみと妻の喪失、愛情を見ようとしてしまっていたら?この人に手を差し伸べられたらこの人を支えられたら自分は、なんて思考が無意識にも働いていたら?とか、なんとか。もし小松先生が山口聡を星羅の父親としてではなく、なり得るかもしれないこの先の自分として接している部分があったとしたら、現在軸での「(大丈夫だとは思うけど)俺みたいになるなよ」に、相手に自身を投影するなよ、の意味も含まれてしまうのではないかとも、考えてしまった。

だからどうにかして、長谷川さんと笠間さんの解釈聞けないかなーーーーーーって気持ちになります。小松先生のことをどう解釈して寄り添っていたのだろうかと。長谷川さんの小松先生は、先生然としていながらも親しみやすさがあって、だからこそ現在軸になった時健吾との会話で一歩引いたような距離を言葉端から感じてしまえた。笠間さんの小松先生はおちゃらけているというか、星羅が弘美さんに言った「そういう友だちいる」が健吾を指すんだなって瞬時に理解させられるような存在だった。健吾に近しいを一貫して感じられて、だからこそ「俺みたいになるなよ」に含まれた小松先生が危惧する健吾の姿も想像させられてしまった。…そんな小松先生がいるシリウスまじで本当にしんどかったんですよ笠間さんの小松先生、健吾には手が出るのほんと、ふたりの近しさを感じてしまって…。お二人は小松先生をどう考えて演じられていたのか、知りたすぎてたまらないのでほんと、どうかどこかで知ることができたら嬉しいなと、思うばかりです…。

健吾の責任感、後悔は、星羅への違和感を見えていたのに踏み出せなかったからだと言うけれど。「お前が殺したんだ」と叫ぶけれど。人間同士のすれ違いって、時折もうどうすることもできないよね…と頭を抱えてしまう。それでも次がないよう助けられるようにって教師になって努力し続けていられるの、ほんと、健吾は凄い男だなあとね、思ってしまいます。ただ後悔を抱いて10年歩んできた健吾には、まじで自分を大事にしてほしい。現在軸の様子から、おそらく莉緒に告ってすらいない気がして、全部全部胸に抱いたまま掲げた願いのために走ってきたんじゃないかと思うから。成功体験といったら言葉はきっと違うけれど、プロキオンで裕介が前を向いて歩き出してくれたから、多少、ほんの少しは、健吾自身の幸せについても考えてみてほしい。「青春を取り戻せ!」は健吾が口にしていた言葉なんだから。ほんと、だからこそシリウスで遺された健吾のことを思うと、本当にキツくて、苦しかった。手紙は渡した、だけど自分の言葉も想いも、本当に誰にも何も届かなかったじゃん、て。察するだけの虚無ですよ、そんな気はしていたのにの虚無ですよ、しんどすぎでは????本当に、シリウスの健吾はしんどい。ほんとにな…。そして舞台はなまものだな、とまず思わされたのは健吾だった。シリウスプロキオンの両ルート、分岐点以外でも印象が変わったのは濱さんの動きがあったからだと思う。「ようこそ我らの楽園へ」とシリウスで仰々しく手を挙げてお辞儀してみせたのは濱さんだけだったけれど、プロキオンでは野本さんもお辞儀を合わせて健吾の台詞としてくれていた。シリウスで俺たちの友情を信じて拳を突き出した健吾に「どうかな」て同じく拳を突き出したのは星羅だけだったけれど、プロキオンでは莉緒も、裕介も拳を並べてくれた。分岐点ではなかったけれど、シリウス後の自分には心が寄ったように感じられて、本当に大好きな変化だった。

私が見た本編公演では、莉緒が公演違いでふたりいらっしゃって。濱さんの演技が、健吾の元気さが変わるんですよ。濱さんだけじゃなくてあの4人組の空気感が変わる。キャストが変わることの醍醐味だなーって思いました。一村さんの莉緒の溌剌さ、感情が乗る言葉の揺れ具合はもう恋する気持ちに精一杯って思わされた。「今なら言える気がする」「もう待たない!」勢いに説得力しかなくて、大好きだった。私こんな良い女じゃんって健吾にブチギレる時、一村さんに合わせて椅子にダンッて勢い良く足を乗せる祐花さん。磯部さんの莉緒は、もう「尽くす系だよね」って言葉の説得力がすごい。そして心のどこかで恋を諦めているように、OKをもらっても信じきれていないように思えてならなくて苦しかった。莉緒としての緩急の使い方、表現の仕方が全然違って、小松先生とはまた違った意味で、一村さんと磯部さんにはどう莉緒と向き合って解釈して作り上げていったのか、祐花さんも交えて聞いてみたいなあという気持ちです。というか恋心を知ってから聞く「作りすぎたクッキー消費したいし」ってどう思います??言って帰ってから作ってたらかわいいが増すよね…。あと裕介の好きな飲み物がコンポタっていうね、オリオン座が見えるようになった2学期のはじまり、自販機にあったか〜いが並ぶのも9月10月頃じゃないですか。莉緒が裕介の好みを把握したのは今年じゃないんだろうな、自販機に並び始めてすぐ気付いていたんじゃないかなと考えると、たまらない気持ちになります。

ところで私、莉緒に対する星羅の「(裕介が歌上手いこと)知らなかった?」がめちゃくちゃに突き刺さっていて。幼馴染マウントというか、もう、星羅!!!てなった。もう、裕介のことが好き、なんてかわいい言葉じゃないんじゃないかって、そんな言葉じゃ足りないんじゃないかって思わされる台詞だった。そのやり取りで莉緒は裕介が好きなんだと察せられたし、星羅から向く裕介への気持ちの大きさも感じられた。星羅の強さって分かりにくいなと思っていたんです。強いのは分かるんだけど、その強度というか。南さんの星羅はとてもハキハキしていて、風太のいうまっすぐで強い人という印象を裏付けるようだった。その一方で荒井さんの星羅はどこか静かな部分があって。もしかしたら心も身体も限界だけど、声だけは元気にと振り絞っていたのかもしれない、とか考えてしまった。莉緒と付き合うようになって病院に見舞いも来なかった裕介、星羅はたぶん自分からの留守電なんて聞かないと思ったんだろうな。触れるのが怖いものには触らないのが裕介だと。思ってやっと、聞かれないという前提があってやっと、「やっぱり寂しい」を溢せたんだろうなあとか、思ってしまって。聞かれない留守電ってほぼ独り言のようなものだし、手紙のような一方通行のメッセージだからこそ、溢せたんだろうなあとほんと。聞かれてたら言えなかったんじゃないかなあ、星羅。強いというか意地っ張りというか、素直になれない器用すぎて不器用な子だなあと、思ってしまった。それはもちろん、環境のせいもあるんだろう。強くいないといけなかったんだろう。掴めるようで掴めない裕介、お互いが踏み込めなくなっていたのは痛いよなあと考えてしまう。プロキオンで最後「見栄張ったゃった」と裕介を前にして素直になれた星羅。シリウスでそれと対にあるのは、星羅の元へ行く一緒にいたいんだと想いを叫ぶ裕介への「いいの?」だったんじゃないかなと思っていて。来てくれる、がどういう意味かを分かった上で、それでも一緒にいたいという想いが表に出たまっすぐで素直な言葉。かなしいけれど、とてもとても綺麗に響いて聴こえた。

聡さんは、もしかしたらお母さんを失ったことを一緒に悲しんでくれる星羅が、あの時どうしても必要だったんじゃないかなあと、思えて。『裕介の思い出』で見えた昔の聡さんは、裕介にも優しく接する星羅のお父さんで、奥さんを亡くしている陰が見えない印象だった。それが一気に崩れる「星羅に何言ったの」を私は今井さんのお声で聞いたけれど、あそこに居たのは中神さんが演じるのと同じ星羅のお父さんだった。きっと聡さんも我慢強い人だったんじゃないかなあ、とか考えてしまう。星羅は心のどこかでずっと、優しいお父さんを信じていたようだし。ふたりは似ているんじゃないかな。だから幼少期に屋上で迷子になったあの日、何かが動き出して二人がすれ違うことになってしまったのかもしれない。「違う、俺が殺した」という裕介の言葉の重みが増してしまったように感じられた。いやだって星羅を元気付けたくて言った星羅のお母さんはお星様になってそこにいるよ、がお父さんにとっての地雷だなんて分かんないじゃないか…。お母さんがいなくて寂しいと泣く星羅のために、聡さんは強くあろうとしたのかもしれない。頑張っていたんだろうな。だけど裕介が星羅に寄り添って、お母さんの死に星羅が一区切りつけてしまったから、親子ふたりの方向性というか、見ている先が変わってしまったんじゃないかなという印象でした。裕介、頑張って星羅を笑顔にしたのにお父さんからあの無機物みたいな声を浴びることになるの、そりゃ山口家に踏み込めなくなるよ…と思ってしまった。あの無機質な声、怖いんだけど、でもそれは警戒心なのかなとも感じていて。きっと聡さん、勝手に組まれた面談以外では多分怒ってはないんですよね。いやどうなんだろう、とりあえず私の印象としてですが。いくつもの心配を抱いていて、個々の心配事に意識を向けるその匙加減に狂いがあるのかなと考えてみたりした。自己愛が強そうというかまあ生活方面とか諸々がヤバいことには変わりないし、それで星羅がひたすら追い詰められていたことには変わりないんだけど。行政とか頼る手もあったはずなんだけどね。作中どのキャラクターにも感じられるけど、手を差し伸べるって難しいよねと思わされてばかりでした。手を借りるも同様に。聡さん、声を発する登場人物としては唯一の単独キャストで。でも中神さんおひとりだからこその筋が、作品に一本通って各公演を結びつけていたんじゃないかと思う。ところで小松先生が利き腕の怪我に気付いて以降、聡さんと関わりを持ってきたわけだけれど。星羅の死後、10年後、聡さんはどうしているんだろう。小松先生の「俺みたいに」の意味が上乗せされなければ良いなあと、願う。

一方で、護りたいものを最小限に絞って手を離さなかったのが風太だよなあ…となっています。「うるさい黙れ!」て唯一声を荒げた場面、とても好きでした。きっと前に進むために本音を話すって、どんな場面でも大切なんだろうなと思わされて。現在軸で莉緒に誰が胸の内にいても構わないと未来を語る風太は、だけど学生時代は割とずっと星羅に目を向けていて、君のその心には星羅がいるのかいとか思う時もありましたが。学生時代でも現在軸でも、なんだかんだ風太は莉緒にはちゃんと素直な言葉を言えていたから、違うのかもなとも思った。まあでも嫌いだったけど一転して結婚した小松夫妻のように、大切な存在になるっていうのは先の読めないものだから、本当のところは分からないけれど。今井さんがどう解釈していたのかは気になるところです。風太は星羅のその強さに脆さ、危うさを含めた上でオリオンのようだと思いつつ、星羅にとってのアルテミスは裕介だと、たぶん心の拠り所というか気持ちを傾ける相手という意味のほうで伝えたんだろうなと思う。ただ神話にはオリオンを殺したのはアルテミスというお話もあるので、まあなんともな…という気持ちにね、なったものです。なったんだけど裕介にはアルテミスに似ているとだけ伝えたり、莉緒に星羅はオリオンみたいとだけ伝えたりするところ、言葉と言葉を繋げる気がないのはなんだったんだろうか。本人が話したいように話しただけなのか、それとも星羅と裕介の2人はお互い好きあっているよねと、言葉にしたくなかったのか。どうなんだろうな。現在軸での莉緒との会話、あれはプロポーズ済みで莉緒が返答保留にしていたんだろうなと思っていて。そのタイミングで「秀才くんなんで」て言ってくるところ、どんな莉緒さんでも愛せるんだを自身の心だけじゃなくこの先の努力でもって誓っているようで、そして努力できる人間だと知ってるでしょうと莉緒に投げかけているようで、とても好きな言い回しだった。風太と莉緒にはほんと、幸せになってほしい。あと話が逸れるんですけど屋上で星羅から紹介してもらった時、今井さんは下手で話しているのに風太は上手にいたと思うんですけど、あれはどのような演出意図があったんだろうと気になっています。後から小松先生が来るから?

幸せを祈るとどうしても、小松夫妻を思ってしまっていけない。弘美さんは素直になれたんだろうか。弘美さん、初めストーリーテラーの役割を持つのかと思ったんです。入江さんのお声がとても静かに、けれど強く耳に届く響きをされていたから。たぶん星になったんであろう弘美さんは、現在軸でずっと裕介を見守っていた。星羅の見舞いに行っていないからこそ、会ったことのないはずの裕介を。星羅のことがあったから、ずっと気に掛かっていたのかなと思ってしまって。直接出会って会話して交流があったのは星羅だけど、その言葉の端々から裕介の存在の大きさを感じとっていたのかもしれない。だからどうにか導こうと、見守っていたんじゃないかなあ。幸助さんとやり取りをする弘美さん、声音が絶妙に甘くて大好きだった。だけど素直な幸助さんの言葉には被せるように即茶化して。まっすぐに受け取れない弘美さんを微笑ましく、けれど物語の顛末を思うとどうにも苦しく感じた。死ぬのを待つんだと星羅に語るのも、幸助さんにグレープフルーツジュースが飲みたいと言うのも、本当に戯れなのかな、嘘なのかなと考えてしまって。グレープフルーツとの飲み合わせが悪い薬、ほんと色々あるから、幸助さんを試すにしては冗談じゃ済まなさすぎるじゃないですか。もう、なんなのほんと、危険さに気付いて大事に思ってくれてるんだなって思いたいのかな、生きていてほしいって願ってくれてると思いたいのかな、とか意味深に考えてしまうんですけど、どうしたら良いんですかね。でももし幸助さんが鈍感だったら、薬の備考欄に禁止って書いてあったからやめよう、的なだけの思考かもしれない。先生どうなんですか。ただ願うのは、ココアが弘美さんの好きな飲み物だったら嬉しいなということです。弘美さんの女の子は嘘ついちゃういきものなの、って、どうしても素直になれないって意味もあるのかなあとか考えだしてしまったら、弘美さゆの台詞が、入江さんのお声が泣きそうにも悲鳴にも聞こえてきてしまってだめでした。生きているあいだに幸助さんとどんなやり取りが出来たのかな、本当はずっと一途に好きだったんだって伝えている気はしないけれど、伝えたいことを伝えきれていたら良いな、と思うばかりです。言い逃げもありそうだけど。それにしても小松先生のお名前が幸助さんっていうの、頭抱えたくなってしまいますよね…。

病室から幸助さんや星羅を見守って、その後裕介を見守ってくれた弘美さん。そしてたくさんの登場人物に寄り添ってくれたSachiさん。私あのスカートがスクリーンになる演出が大好きでした。あんなにピタッと今まで動いていたスカートを止めてスクリーンに出来るのすごくない????って見入ってしまった。本当に素敵でした。私があまり踊りによる舞台表現、感情表現を見てきていないから、多分とてもとても取りこぼしていると思う。それが本当に悔しい。つま先、指の先までしなやかで、慈しみに溢れていたというか。もし輝く星なのだとしたら、その光はとてもあたたかい輝きをしていました。ただ南さんに寄り添う荒井さんをSachiさんが包み込むところ、あのシーンのSachiさんのことを私は星羅のお母さんだと思って受け取っていました。とても個人的な解釈ですが。

あと個人的に表現として、美藤さんのコンポタを受け取る時の裕介が大好きで。昼では取りこぼしたりちょっとしたハプニングも起きてたけど、ほんとにあったか〜いんじゃないかな??って思うくらい、持ち方が熱いものを持ってる持ち方で。ホット缶熱いよね…!ってなって、微笑ましく思えて好きだった。熱いものはあついで、我慢しきれない子なんだろうなって。それと星羅を捕まえる裕介の、もう縋り付いてるんじゃないかっていう、あの必死さも。切実そうに必死そうに、確かめるように星羅の腕に頭から抱きついくその姿がとても、裕介の心からの動きなんだと思わされた。裕介の言葉は、どうしてあんなにもひらがなに聞こえるんだろう、と思っていました。迷子の子どもじみたというか。この10年、学生時代を繰り返し思い返していた裕介は、その時間で星羅をとてもとても大事に抱いてきたんですよね。前に進んだ莉緒と風太の同棲シーンから始まる、裕介の過去を振り返るページ捲り。それが本当にすき。私が見た裕介は狩野さんだったけれど、汐谷さんはどのように思い返していたんだろう、どんな声を発していたんだろう。複数キャストが同一キャラクターを演じるとなると、そういった部分がとても興味深いなと思う。台本の最初の方を他よりも早く捲るのは、そこに星羅がいないからかもしれない。星羅との思い出を深く、大事に思い返していたのかなあと思いつつ、その時折彷徨う手は、どこを思い出していたんだろうと想いを馳せてしまう。裕介が星羅を見つめる表情、とても良かったなあ…と思い出しては泣きそうになります。「あれが星羅」って、まっすぐ、子どもの頃屋上で星羅と星を見上げた思い出の「あれがお母さん!」をなぞるように言うプロキオンの裕介も、「まだ間に合うよな」とずっと星羅の隣にいたいという願いを叶えに、星羅の隣に寄り添いに行くシリウスの裕介も、どちらも星羅を今も変わらずとても大切にしているんだと感じられたし、そして星羅との思い出を10年抱き続けた男……という感じもした。頼りなさげに見える背中の裕介がずっと抱え続けてきた感情の発露。シリウスの裕介のラストまでの流れは、迷い込んだ先の見えない迷路にやっとひとつ光が差して、それに向かって脇目も振らず足元も見ずに出口だと思って一気に駆け抜けたんだろうなあと感じられて。裕介がやっと、気持ちに正直に動いた。だからきっと裕介に後悔はないんだろう。その選択は間違いじゃないんだろう。だからシリウスの方がきっと裕介にとってはハッピーエンドなんだろうなと、思うんです……ふたりが結ばれたんだしそれはそう…星になったら星座になりそうなラストでしたものね……遺された側を思ってしまうと苦い顔をしてしますが。裕介にとってはね。青春を取り戻せ!と裕介は健吾がなんか言ってる、と手紙で自分へのメッセージとして残したけれど、それを読んだ裕介は何を思ったんだろう。思い出やその時の感情を取り戻しに走り抜けたのか、取り戻して抱きしめようと向き合ったのか。裕介にとってルートの違いは、取り戻し方の違い、だったのかもしれないなあと思いました。


関係ないんですけどペテルギウス公演で私、下手側にいたんです。出てくる前から男性キャストさんたちのやる気に満ちた掛け声(吉岡さんの声に呼応)が聴こえて。それから皆さんが凄い素敵な笑顔で出てきてくれたんです。本編を引きずっていたから正直その笑顔を見ただけで涙出たよね…。本編中の狩野さんについてはなんか、そこにいるのは金田裕介だと思って見ていたので、『裕介の思い出』で狩野さんが本編よりも明るく無邪気なお声で裕介を演じていているのを見て、声優さんだあ…ってなんか改めて実感しました。その声のトーンのおかげで聡さんの「裕介くん、星羅に何言ったの」を浴びた裕介の停止っぷりを察せられてしまってやばかったのですが。もう、怒られた、じゃないんですよね空気感が。得体の知れない何か大変なことをしてしまった、ていう空気が一瞬で全体を支配して、震えた。あれすごかったなあ…。中神さんの聡さんでも浴びてみたかったです。ちなみに本編軸とイベント時の差がもう凄まじくて、ペテルギウスで笑いすぎてふかふかなシブゲキの椅子で一瞬滑ったのは内緒です。

 

 

この作品を見て、登場人物たちそれぞれが1人ひとり人間なんだと強く感じさせられました。自分として生きている人間。そして心と体、言葉はイコールじゃないということを再認識しました。身体表現が心の全てじゃない、発する言葉が心の全てじゃないんだっていう、当たり前なんだけど大切なこと。そして表に出たものを別の人間が受け取って、関わり合おうとすることで起こるすれ違いや、意図は違うけれども噛み合って支え合える、そんなバランスの難しさも考えさせられました。そこにキャラクターを演じる演者たちがそれぞれの解釈でもって色を足していく。キャラクターと生きていく。織りなされていくその複雑さは、どれもとても色濃くて、考えさせられるばかりでした。

吉岡さんは観客が見て思ったもの、感じたもの全てが正解なんだと言葉にしてくださった。物語を受けてああだこうだと考えること、それは星々を繋いで星座を描くことに似ているのかもしれない。オリオン座の物語。月の物語。オリオンとアルテミスの物語。おおいぬ座の物語。こいぬ座の物語。シリウスプロキオン、ペテルギウスを繋いだ冬の大三角の物語。星々を繋いだら無数の星座が生まれるし、星のひとつひとつにも、たくさんの願いと想いから描かれた物語がある。だからこの感想も、数多ある「あの星に願いを」の感想のひとつとして、数えてもらえたらいいなと思います。

 

 

この作品を客席側で見届けられたこと、めちゃくちゃに泣いたこと、感じた沢山の感想は、この先忘れることはないと思います。そしてこの朗読劇を通して、声優さんって凄いな…!?と何度思わされたでしょう。作品作りへの熱量を、これでもかと感じさせられました。素晴らしい出会いばかりでした。

本当に素敵な、堪らない観劇体験でした。本当にありがとうございました。

 


アフタートークまってます!!!!!!←