朗読劇「モノクロの空に虹を架けよう」観劇から先色々ありました
※2025年2月28日、3月2日に観劇したものです。
まさかこんなに時間が開くとは思わず……。
太陽を塗る色が人それぞれで違うように、落とす影の色が物によって違うように、色って難しいなあとずっと考えていました。目にした色も、それが何色だと正しく言えるとも限らないし、その色を表す言葉を自分は知らないかもしれないし。そして観劇時に目の当たりにした生駒さんの笑顔を表す言葉が見つけられなかった私は、それは色に限らないのだなあと思うなどしているわけです。拓海って本当に、普通のただの人なんだよなあという気持ちで。個人的には拓海の言葉、割と彩に優しくないんだよなと思って聞いていました。優しくないというか、彩のことを第一に考えてというものではないように思えたというか。独りよがりというか自分勝手というか。推しを見つけたオタク然としていた態度や、画家として押し付けた理想に勝手に投資するのも強行するのも、あまりにも一方的で自分勝手だったように思えて。だけど彩にとっては何よりの外部刺激で、他者から与えられた自己肯定だったんだろうなと思う。拓海も、じゃあそんなに勝手な男なのかといったらそうではなくて、彩のことだって考えられる優しさのある男ではもちろんあるんだけども。あわよくばを匂わせる気配も、彩の意思を汲んで引いてくれるところも含めて。ところで「金ならある」て言葉、おもしろいですよね…たぶん女性側に遠慮せず好きなことやっていいよって言いたいんだろうけども、自分を上に見せたいのか、頼れる男に見せたいのか。不器用なんだろうなあとも思ったりしました。彼にとって彩は結局なんなのだろうと、観劇時は繰り返し思いました。。「うち来る?」で好意を持たれてるのかなという意識はどこかに残っていただろうし、だからこそのあわよくば感を出したんだろうし。でも一方で彼女を神としても捉えるし、画家としての推し扱いをしているようにも感じられて。まあ彼氏面して彼女に貢いでる系だったら話変わってくるな…とも思うけれども。どうなんだろう。そんな関係性の移り変わりに、互いが互いを何色にも塗り合っているようにも感じられて、すごく良いなぁと思っていました。
ラストシーンにたどり着いた2人が同じ駅のホームに立って、同じ方向に歩き出して。だけどそこで相手に名前のある関係性を求めなかったからこそ、世界や視野は広がったけどふたりの未来や行き先がどこまでも同じだとは限らないよね、とも思うことが出来たのがまた、選択肢は無限にあるのだと思わされました。だってまず何より、彩の世界が広がったと思うので。拓海に運命を感じたのかも知れないけれど、でも広がった視野のなかでたくさんの人やものから刺激を受けていって、たくさんの選択肢を手にして、そして選んでいってくれたら良いなあと思っています。周りに触れることを、いま信じるように拓海と一緒なら出来ると進むことを決めたのなら、それはそれで良いなと思いました。だけどやっぱり個人的には作品の場面として、ふたりの関係が距離近付いてまた始まっただけで名前がつくことがなかったのが、作中のふたりだけでなく物語の可能性も広まるようで、受け取る側としてすごくわくわくした幕引きでした。
彩は言葉を前向きに彩る子だなあと感じていました。拓海の、優しいか?と私は思ってしまうような言葉や行動の良いところ、優しい面を言葉にして自分のなかで受け止められて。でもそれは一方で、言葉の二面性を知らなかったり、世間知らずや知識不足によるところもあるのかもしれないとも感じました。自分を普通の、色の区別がつく人物だと見せていたことにお話が進むごとにじわじわと気付かされていくのが、その物語にさらに引き込まれる感覚としてすごく好きだったんですけど、何よりオムレツにチョコソースをかけてしまったシーンがすごく好きで。私は生駒さんと南さん、ふたりの彩に会ったんですけど、そのシーンでは特に全然違う彩に出会った心地になりました。視認できるラベルはなかったのか?とも思ったけれど、オムレツにケチャップを手に取ってかけてあげる、という行動をするのに「手に取ったものの文字をしっかり読んで確認する」のは普通らしからぬ動作なんだろうなと、彩が普通の子だと見せるためには気をつけられない部分だったのかもなあとか思うなどしていました。その上で、生駒さんの彩はチョコソースとケチャップを間違うことも「普通にある」こととしてあっけらかんと笑ってみせて、南さんの彩は「またやってしまった」と自分のミスを意識しつつも取り繕って笑ってみせているように思う、そんな場面でした。その彩の思い描く「普通」があるからこそ、「そんなの無理!!!」という叫びには恐ろしく抉られた心地になって。どれだけ常に頑張っていたんだろうかと思わされました。彩が普通でいられるように頑張っていてもどこかでボロを出して気付かれてしまうのも、常に気を張ってどこか視野が狭くなっていた部分めもあるのかもしれないなとも、思いました。
「死にたい」
何より彩がそう思っていたのではないかと、私のなかでやっと思うに至りました。拓海は自身の「死にたい」を塗り替える言葉を自分で見つけていたけれど、そもそも拓海のそれを冒頭で「死にたい」と色塗ったのは彩で。人が乗ったり降りたりと行き来する駅でアルバイトをしていた彩が、なんで拓海の姿から目的を死だと思ったのか。彩だって次が15分後と知りつつ駅にいて、けれども電車には未練のかけらもなくその後帰路についたのはどうしてか。考えて、もしかしたら彩も「死にたい」を抱えていたのではないかと考えるようになりました。上下線のうちで15分後が一番早くホームに電車が入ってくるのではないか。実行に移す気はなくても、もしかしたらその思いに自覚もないかもしれないけど、電車を見つめる意識のどこかで消えること、終わること、または拓海のように別の感情でもって「死にたい」を抱いていたのではないかと。そしてその想いはきっと、拓海とは違う色をしているんだろうなとも思いました。思うに至ったのは終演後の挨拶で、死へ触れる言葉をいただいたからです。その時は、拓海は自分で違う言葉を拾い上げることが出来たのにどうしてそこを深堀るのかと思っていたので、もしかして彩もかと、思うまでに随分時間がかかってしまいました。だけど彩もその想いを抱いていたのなら、ラストの「死ぬな」の叫びは拓海に向けての言葉でもあると同時に彩自身にも向けた、心からの叫びだったんだろうなと思えました。拓海にとってはもちろん彩にとっても、ラストのあの場所は本当に出発のホームになったんだろうなあと思うなどしています。
「死にたい」って言葉は実のところすごく苦手で。文字通りの意味なのか、そうじゃないのか、そうでないのなら、どれくらいのどんな気持ちが込められているのか。その言葉に込めたものは人それぞれで温度も濃淡も何もかもがめちゃくちゃに全然違くて、個人的に他者との共有は難しいとすごく思う言葉です。その言葉に延々と向き合い振り回される日々があったので、おかげさまで観劇後には特大ダメージをくらってました。全然引き摺ってましたね私。ははは何年前の話だよという。今なら自分も馬鹿だったなぁって思えるんですけど、それは今になって振り返えるから思えることで。色んなひとがいますからね。ははは。「死にたい」に込められたもの、程度が分からないんですよね。こちらの反応がトドメになるかもしれないし、反応を何度返したところで一切伝わらずにまた「死にたい」と言ってくるかもしれないし。「死にたい」はなんか、一寸先は闇というか。共有するには難しすぎる言葉だと思っています。
なので本当に拓海と、彩の未来が開けたラストは本当に心救われました。結局のところ、私はそこに着地してしまいます。全く無くなるわけではないと思うけど、ふたりから「死にたい」という言葉が別の言葉に彩られて消えていってくれた。壁が払われ風が通って光彩が増したあのラストに、どれだけの可能性を感じたことか。だからこそ、互いの人生に更に様々な刺激を得ていったらこの2人は、このまま同じレールを歩むんだろうか、分岐路でわかれるのだろうか、そんな未来を思ってわくわくしました。レールの縁にひっそりとずっと咲いていた白い花、光と色に溢れたラストシーンで、あの花はふたりには何色の見えているんだろうかと、胸が躍る心地でした。
今回は正直個人的な理由で振り返るたびに友人との色々を思い出して思いっきりくたばってしまって、こんなに時間があいて、こんなに中途半端になってしまいました。かける手があるんだからと思っていたんですけど、うまくいかないものですね。ほかの作品でもだけれど、どこかしらで抉られてるの、不思議なご縁だなぁ〜〜〜と思いながら脇腹を抑えてひとり呻いています。やっと副産物になってしまったダメージが抜けたところです笑。ながいよ。作品にはそんな影響力だってあります。それは間違いなく「私が」作品を浴びてるから起こること。本当におもしろいです。楽しい〜〜〜〜
朗読劇「タツノオトシゴ」観劇後から今日までの色々
一生パートナーを変えず雄が持つ育児嚢で繁殖を行う、安産祈願守とされ、薬としての効能もありそのため人間に獲られる、とかなんとか。タツノオトシゴと検索したらはじめに出てくる情報だけを眺めて臨んだ今作。
生まれることの出来なかった子どもたちと表記はあったけれども、その実ボックスにいるあの子たちは人為的に生を与えられなかった命たちだった。人為的ではなく生まれられなかった命は、ではどうなるんだろうと思いつつ。
正直初見時は個人的な思考で私はひどい顔をしていたことだろう、眉根が寄っていた気しかしないし、睨んでいたかもしれない。難しい話だなあと思った。
今回のとっ散らかり具合がヤバいです。いつも以上に整えてない…いやいつもだけど。本気で思いつくままの私の脳内直送メモだと思っていただければ………読ませる気ないよねみたいな…。
というわけで以下、ネタバレとたられば。
2024年10月18日公演観劇です。語感良すぎて好きすぎた豚レバーがアドリブだったなんて。
とりあえずなんだけれど、オトシモノはお供物なんじゃないかなあと思っていて。届いたものにどこか温かみがあったのも、胸があったかくなったのも、それがそれぞれに宛てられたお手紙やお供え物がつまったギフトボックスなら、そこに詰められているのはあの子たちを想い偲ぶ愛であるはずだから、と思って。マダムが花を選ぶのも、宛名なく届けられるものだからなのではとか思ったり。オトシモノに入っていたタツノオトシゴのお守りは、竜太がソラに渡して、そして突き返されたもの。それが届いてしまったから、マダムは回収したんだろう。序盤も序盤、竜太が記憶を取り戻す可能性もあったから。2人を見つけたソラが添わせて供えたのか、所持品も落ちてきやすいのか、それとも。竜太が最後にマダムと交換したオトシモノの中身もタツノオトシゴのお守りだったんじゃないかなあと思っています。それか箱だったし、ボックスでの思い出か。最近なにかの前触れのように増えていたオトシモノの時間。今日が誰かにとってのその日となってしまうのはもちろんあるとして、現世では天災も人災も、感染症の大流行だって起こっている。オトシモノがお供え物なら、そうした状況でせめてと手を合わせる人たちが尽きないのだろうと思いたいし、そうでありたいと思う。
オトシゴから死神になったら死がなくなる。マダムとしんちゃんはそうして死ねなくなったけれど、オトシゴはその時間に限りがあって。自分の銃を持って行かれたしんちゃん、気が気じゃなかったんじゃないかなあ。形だけでみたらジャックはしんちゃんという死神の代行者のように感じた。
ジャックが春と秋を送ったのは、手放せない、手放さない兄がいる自分だからだろうと思う。死神でないものが送り返すなら、その命はどこにいくのか。閻魔大王がいるのだから輪廻を信じたい気持ちがある。とか、ソワレの時は考えていたけれど作中で明言されていた。ふたりに「新しい家族」をあげようって。同じ場所で途切れたいのち、きっとふたりはまた次も隣り合って生を受けるのだろうと思いたい。けれど春が望んだ4人で一緒の幸せは手に入らないのだろうなとおもうと、どうにもやるせない気持ちにもなる。夏、すごく笑顔が弾けて子どもらしくてにこにこそわそわ体で感情を表すような可愛らしさいっぱいの子だったけれど、使命を継ぐようになってからは遠目からでもわかるほど背筋がピンと伸びていて、異なる存在なのではと思わされた。
夏への銃声が響いた時、椅子にかけさせるよう夏の肩をそっと押しやったジャックの手が優しすぎて震えた。なんだあの手。メロが大事になって、いつしか丸くなったマダムは態度口調その全てからメロへの気持ちが滲んでいたけれど、ジャックも夏が大事になっていたんだろうなと思った。彼女の強さも分かっていた人。そして本に書かれた内容、使命を途切らせないため彼女の大事な姉弟を送って手元に引き込んだ。期待を込めてなんだろうけど、それはそれとして勝手なんだよなあジャック。使命を担うことを夏は了承していましたか??ずっとジャックをおじさんと慕っていた夏とは、本当に秋にも春にも気付かれないところで親交を深めていっていたんだろうな。ところでそうなると、オトシモノが現世からのお供え物説を取った際にジャックは招待状をどうやってオトシモノに入れられた?という話になってきますね。お供え物説はないかもしれないという自己完結を迎えそうになる。ただ台本ではなんでジャックからの招待状がここに?というニュアンスだった夏の反応、日向さんは届くのが分かっていたように自然にサラッと反応していて共謀みが増す感じがとても良かったです。いつも通りすぎて初見時は流してしまったもの。協力者がいたら別だけど、とりあえずおじさんマジックとしておこう。ほんと、これからのことに夏は了承していたんだろうか。そして最後の夏(N)は、姉弟もおじさんもいなくなったこの先も夏のままでいられるのだろうか。
登場人物説明は読んでからの観劇だったから、初手の感想が新入りのメロに偵察行かせるんかい!だったわけなんですが。最初の辺りを黒くする影、ほんとにメロを狙っていてそれをマダムが撃退していたんですね台本…。メロを返らせようとする気配をマダムは感じ取っていたのかもしれない。メロが他者に触発されるようき自己性を確立させていく姿に、その成長と時間経過を感じられて良かったなあと思いつつ。メロ宛のお手紙がもしお供え物ならメロは本名だけれど、名付けの前であっても、込められた想いでオトシモノは宛先を得るのかもしれないよねと思う。メロの成長にはマダムからの学びも様々にあるだろうなあと思っているのですが、だから正直秋を留めるためのあの投げかけを、最初に感じた通り微笑ましいものとして見ていていいのか、なんなのか、考える時間が増えるたびに分からなくなっていきました。成長過程が垣間見られるからこそメロは本当に強くなると思えてならない。少なくとも2回目の観劇において、私はあの子をしたたかな子だなと思うようになっていったので。
ところで、佐々木って性別の自認どうなってると思います?というのも、弟と呼ばれお兄ちゃんと呼ばれた秋に対して「男の子だったんだろうな」って秋の言動を受けてから言うんですよ、大きくなったなの同意として。秋ちゃん正真正銘男の子だよ??となったんですけど、佐々木がオトシゴになった時期って安定期もまだの本当に早い時期だったと思うので…親が性別を把握する前の。男の子なんだけど、男の子として接せられていないから性別の概念は根付いてないんじゃないかなぁと思って。佐々木にそれを教えられるとして神様なんでしょうけど、本人が知りたがっても教えたところでの情報だとも思うんですよね。名前の由来が電気ネズミなことも伝えていなかった様子だし。佐々木はボックスにいる時間が長いのか、オトシモノの時間での対応に手慣れていて自分の役割も確立させているけれど、何にでもすごく純粋に心から食いついてはしゃぐ、本当に子どもらしくてすごくかわいかった。そしてけなげでやさしい子。「教えた覚えないわよ!」って言われていたから、花子より後にボックスに来たのかなあとも思ったり、花子がキャッチした子だったりしないかなぁと夢見てみたりしています。
花子、好きに触れられた時一気に口調が崩れるのがもうかわいくてかわいくて…………お金のキラキラに隠して心のうちにキラキラをずっと持っていたんだなぁって。隠すことの巧さはどこか子ども離れして見えるけれども、それでも花子頑張れよってなる。なりました心から。なるんですけど、花子のあの傷ってなんだったの?という気持ちと「あたしにしか出来ない仕事」に拘りがあるなら、彼女ワンチャン死神…って思ってました。選ばれたら、そのままなりそうというか。ミナトの言い方から何も言わずにいなくなることが今までにもあったようなニュアンスだったし、同じように作中で怪我をした描写のある人がひとりいるし。そして「マダムが死神」なんて情報、声が届かない離れた距離で竜太の無線機は壊されていてマダムの近くには竜太しかいなかったはずなのに、どうやって得た情報だったんだろうなとも思って。無線機能妨害しといて無線機つけたままのマダムが自分の正体バラしたとかってある?貸してって言われてはいたけれども、あの場面でマダムが装備していた可能性ってどうなんだろう。
実のところマダムに唆された竜太が海花を手にかける時、凶器が銃だとは思わなかったんですよね。まるで締めるような竜太の強張りと、銃声あったっけ?という認識からだったんですけど、あの舞台では台本が銃の役割もするんですよね。だから竜太の体の強張りは引鉄を引く最後の一歩を踏み出すかの葛藤だったのかと思えて。責任転嫁したけど。「やっちゃった」の発言、ボックス初キャッチの「やっちゃった」と言葉が同じでぞわりとしました。成功体験と同じ言い回しをするんじゃない。死神の銃で海花を撃つことにマダムの躊躇いがなかったということは、海花は死ぬ運命にあったんだろう。彼女のいた部屋は新生児室というよりはNICUあたりだろうか。死ぬ運命にあるなら少しくらい面白くなりそうなことをしてやろうと、その時マダムは思ったのかもしれない。そんな企みを思いつきそうな、唆しそうな奴だと神様に思われていたから仕組まれた。神様の助けたいと言う言葉に嘘がないなら、マダムは場を整えられた状態で、神様に試されたんだろうと思う。チャンスを与えられていた。賭けられたとも言えるかもしれない。またひと匙の己の欲のために周りを誑かすのか、己に課された役目だけを全うするのか、そういった類の。そしてそれはきっと喧嘩の種じゃないはずだったのではと、思う。…ところで台本を読むに海花の誕生日と逝去日は12/31、竜太が自分に銃を向けるタイミングでまた鐘が鳴るから最悪竜太は翌年1/1逝去の可能性があるってことになるんでしょうか。タイミングでしかないけど年跨ぎの有無がこの親子に生じるのもなんか、後味の悪さの尾を引かせるようで重苦しく感じます。
そんなふたりを目の当たりにしてからナイフを握ったソラ。享年28とのことだったけれど、竜太は早生まれだったのかな。死神の銃声、銃槍も血も現世に残らないのではと思うので、ソラが見た海花と竜太は傷ひとつない姿だったのかもしれないし、海花にとっての銃槍は父親の手だったかもしれない。結んで、離れて、戻って、断ち切って、失う…その実奪われた関係になった。酷い話。それはそう。だけどひとつだけソラに思うのは、入籍報告をする前にちゃんと授かった命の話を竜太と共有するべきだったんじゃないかということで。きっとソラは竜太を信じていたんだと思う。この人となら大丈夫って。だけど蓋を開けてみたら出てきた話はおろしてってお願いで、実際見えていなかった現実もあって。立て続けに色んなことが降りかかって、きっと自分が夢見た未来も崩れ落ちていて、本当に限界だったんだろうと思う。ソラを限界にさせた原因はもちろん竜太にもあるんだと思う。できたから結婚したんじゃないの?ソラが言わなかったんだから、それは違う、違くないかもしれないけどそれだけじゃないはずなんだ。その女誰よ!写真なのか会話履歴なのか明かされていない、擦り減って余裕の欠片もないソラが誤解したのかもしれない。お金に困ってるなら言ってよ。聞く耳持たずで竜太を信じられず疑いもしない。竜太に頼った家計だったのかもしれない、お金に不安があるならそもそも堕ろさずの判断をしなかったかもしれない。「誰の子だよ!」お前の子だが??とはなるけれど、聞く耳持たずの早とちりは似たもの同士なのかもしれない。竜太の夢に出てこないのなら愛花は死んではいないんだろう、自分の子だと思ってなくて意識から弾かれてるなら違うけど。そんなまさか。愛花、正直この環境下なら里子か施設かと思ってしまう。家族のままでいられてソラの実家か。竜太だって無職になってしまったし、濡れ衣で前科ついたかもしれないし。本当に、お互いがひとつずつ向き合って、耳を傾けあって話し合っていっていたら、何か、どこか違っていたのかもしれないなと、思ってしまう。願いたくなってしまいました。私は。もちろん見限るのも手のうちだったよと思いつつ。
冬については、生まれないことを選んだ春と、冬と繋いだ手を離してしまった秋のことがあるから、もしかしたら冬は生を受けたのかもしれない。男女の性差はある三つ子だったし、早産児だったとしても、もしかしたら可能性はあるのではと。ジャックのいう「念願の妹に会える」はやっぱり春と秋を送った先が冬の生きる現世だからなのではないだろうかと、思っている。そしてもしかしたら自分から生を手放した春だから、冬の心拍だけ確認できる状態で流産死産のはざまで、まだ3人は母胎内にいるかもしれない。でもそうしたら、やっぱり夏はどうなるんだろうな。可能性だけを考えればいくらでも祈れてしまう。だから春にも「いなくなれ、邪魔だ」と言った母親の声は、春たちに向けたものではなかったのかもしれないよ、とも思えてもしまう。だって相手は4人をお腹に抱えて、姉妹弟妹だってわかるまで宿していたお母さんだから。言葉は本物であっても、その矛先が誰かなんて春には分からない。お腹を守っていたのなら、お母さんが他のものから4人を守っていたのかもしれないから。ただ私からひとつだけ言えるのは、たとえ春たちの味方のお母さんじゃなくても、お母さんの周りが酷いという状態でも、4人でいられたら、生きた先で自分がいたことでうまれた失いたくない何かを得られたなら、生まれたくなかったを結論として出して良いのかずっと迷って選べなくなると思うから、ならいっそ踏み出してみても良かったんじゃないかなあと私は思うよ、ってことで。無責任だけどそんなことを私は思う。あの人たちの声が聞こえていたら生まれてこなかったのに、約5ヶ月動かず丸1日出てこようともせずだった畜生はやっぱり生まれたくなかったんじゃないの?と繰り返し考えていた時期もあるので大目にみてほしい。だから私は、声を聞いて、判断して、妹弟を守る決断をした春の心を尊敬します。
ところで気付いたのが最後のジャックとしんちゃんの場面だったんですけど、いつからBGMにさざなみの音は聴こえていましたか??あの場面で、音の大きさでやっと耳に届いて。その後の竜太とミナトのシーンでも小さく聴こえていたので…エアコンや送風機の音じゃないよなと思いつつ。私の気のせいならそれまでだ。正直まだ時間なくて配信で確認出来ていないので…申し訳ない。で。私はさざなみの音を聴くと海の場面でない限り似た音であるという胎内音、そこから回帰、再生、始まり等を連想します。というか、そういった舞台演出にいくつか出会ってきたので。大きなさざなみの音に包まれながら時間を迎えたジャックはきっと正しく返ったんだろうなと思ったんです。きっと輪廻転生の輪のなかというものに。次の命になることと、今大事な弟と一緒にいられる時間。どちらも大切だと思うしんちゃんはぎりぎりまで粘っちゃったのかなあと思ったり。だってオトシゴで兄弟って双子じゃないですか、ボックス内で兄弟という関係性を特別に構築していない限り。もう別れだ送らなきゃ殺さなきゃって覚悟したしんちゃんの苦悩と優しさを見越していたジャックもまた優しい子だったと思う。そしてしんちゃんに死神の銃が返ったということは夏は本と使命を受け継いだだけということになって、そしたら夏はどうオトシゴを送る使命を果たすんだろう?とも考えだしてしまった。オトシゴが突然いなくなることもあるって話だし、死神だけでなくオトシゴであるジャックが「大して成果の出せなかった」というんだから、銃以外にも手段はありそうで。どうなのかな。その手段というのが冒頭でメロを襲った暗いものかもしれないけれど。
さざなみの音があったとして。ずっとその音が流れていたのなら、ボックスって胎内に通ずるものってことですかね。オトシモノにお供え物説が残るなら区域としてのボックスは、子どもたちを想うゆりかごのようなものだろうかと初めは考えていたけれども。現世と繋がる一本道もあるし、舞台装飾の正方形にも赤い一本と繋がったものもあったし。ボックスから返された子どもはその時々で誰かの母胎に宿るのではないかなあなんて、思うなどしています。どうだろうね、でも胎内に繋がる話ならジャックの持つ本(台本)が赤かったのも納得できる気がするんですよね。ただ観劇後の今、ネット環境を使える今、天国でも地獄でもない中間にあるボックスはバルドとは関係あるのだろうかとか、ぼんやり思ったりもしています。
銃以外の可能性をジャックの持っている本で考えていました。そのかたちは「本」、閻魔大王がいるからと「仏教」、対ボックスの子どもたちというので「死者」、を組み合わせて検索した結果チベット仏教における「死者の書」という仏典にあたりました。深くは触れる気はないですがジャックが持っていた正義として役に立つことができる書が同様のものであるならば、それはしんちゃんの仕事の一助となるものだったのではと、思いたいところです。しんちゃん、閻魔大王ですし。
かもしれないを繰り返して想像し続けるのが私は楽しいのと、答えを絞るのが勿体無いというか、ひとりで結論付ける度胸はご覧の通りないので、皆さんどう思います??って聞きたい。突然の暴投。
ボックスは次に生まれるための中間期間なのかもしれないし、胎内に通ずるものかもしれないし、また別のものかもしれない。
ジャックが持つ書はしんちゃん、閻魔大王の仕事を助けるものかもしれないし、次の転生への手助けとなるものかもしれない。
オトシゴが排除対象なのは、次の命となるためかもしれないし、解脱を迎える最大のチャンスを逃さないためでもあるのかもしれない。
ただこの物語で輪廻をあるものとして、子どもたちが先へ進む理由があるとしたら。産まれられなかった第一のいのちがあって、ボックスのなかで人の姿と自我を第二のいのちとして得たとき隣に無二の片割れである兄弟がいたら、自分にその次があると分かっていても今、片割れと一緒にいきたいってなるよねきっと……と、思う説得力も増されるのではと思い、噛み締めています。ジャックたちの言う時間切れ。死者が迎える時間といえば四十九日、十三王がおられるなら三十三回忌までが思い当たるけれど、どうなんでしょう。ジャックの正義が前述の書に通ずるものなら返るのは早ければ早い方が良いんでしょうし、そうであるならタイムリミットの重さも増すように感じられます。
秋が三つ子の末っ子から自分で立ち上がり、願い、選ぶ姿はどれも姉のいない時に見られて。自分対他者である時に見せる秋の自我は、みつの総意ではなく秋の意思に他ならなかった。メロが立ち上がったように秋も立ち上がった。メロにマダムが絆されたように、秋の存在もジャックには響くものがあったのではないかと思んですよね、まっすぐな生きたいを受けて。最後に少し素直になる足掛かりになったりしてないかなぁとか、思ったりしていますがどうなんでしょうね。まあ、生きたいって認識でいるのは秋だけなんでしょうけど。
まあ。とかなんとか、言ってますけども。なんかパッと行きついた似たニュアンスから考えることなんてどうにだって出来ますからね。それが真相だとか思う頭はありません。これはもう想像や妄想でしかない域の話。というかそうじゃないとだって、「なんでジャックはジャックって名前であんな死神みたいなビジュアルしてるんだよ死神じゃないのに」「死神ねーーーーハロウィン近いし。そういやジャック・オ・ランタンってなんでジャックなんだろう」「……なんかワンチャン繋がりありそうな名前…いやどうかな」って思考回路すらまかり通しちゃうんですからね!でもしんちゃんもジャックもマダムも、オトシゴとしての記憶から拾ってきた名前にしては仮というか役職名みが強すぎるから名付けられる前に命を落とすことになってしまったのかなとは思ったりしていましたが。ジャックがもし本当にそうで人を導きつつ彷徨っていたというのなら、彼が返っていった時の「おかえり」にもなんかまたニュアンスが深まる気配はあるなあって、しない味を噛み締めています。
マダムの名前については、閻魔大王の座を狙ったりの野心家なところがボックスにいた頃からのものなら、みんなで仲良く一緒にオトシモノを取るぞ、の連携にハマりにくかったのかなあとか考えます。ボックス内で少しでも自由に優位に動けるポジションとして見つけたのがみんなのお母さんポジなら、マダムの名前のカテゴリーはマリーアントワネットに近いんだろうなと思った。
連想ゲームに興じてるだけの戯言なのは忘れずに。
けれどジャックに正義があるとしたら、もちろん相対する悪もあって。だからここで一度、オトシゴは排除対象という認識であるからボックスにいる子どもたちは排除対象であり今の、いわゆる第二のいのちを持ち続けようとする姿勢は悪に分類される、としてみる。輪廻転生の輪に返り次の生へ向かうべきというのが彼の正義であり終着点であると仮定して。その場合、オトシゴのなかで唯一明確に彼の正義に添った子どもがいるんですよね。「冬ちゃんのところに行く!」と。冬がやはり現世に生まれていた場合、夏の言葉は再び現世へ返ろうという意思に他ならなくて、だからこそジャックも使命を夏に託したのではないかと思えてくる。一瞬でも終着点を同じくしたものとして。双子のオトシゴとしては三つ子のオトシゴなんて気にならないわけがないし。呼び出されたのが春だけで秋が付いてきちゃったかたちになったのは、秋も来ると分かっていたからか、「3人一緒だ」と現世へ向く夏の意思をボックスに縛られたと早々に春が悪(仮)とみなされてしまっていたからか、いまここで姉弟妹ならタイムラグがあっても現世でまた出会えると信じているからか、そもそも返すタイミングにこだわりがなかったのか。でも夏が選ばれたことに理由があるなら、描かれた台詞のなかではやっぱりそこが理由かなあと、考えています。そんなに早くから目をつけていたのなら、マダムも夏については知ってたんじゃないかなあと思うんですけど、どうなんですかね。マダムなら自分とメロについて指摘されたら代わりにジャックと夏について突いてきそうなのに言われるままで。戯れに突けないほど夏の存在と計画はマダムにも共有されていたのかもしれない。完全敵対とも言い難いふたりだと感じたので、そんなこともあるかもねの戯言として。
ところで閻魔大王って地蔵菩薩と同一存在とみられているんですってね。輪廻転生の輪に還るにはオトシゴは次のいのちとなる必要があって。だけど地蔵菩薩は子どもの守護尊としての信仰をもつから、子を亡くした親の、失った子に心を寄せる家族の想いが届くんですよね、きっと。だからしんちゃんはボックスの子どもたちに手を出さず、ずっと見守っていたんじゃないかなあと思います。自分もかつてはそうであったから。しんちゃんの前には、かつての自分と同じような子どもたちが自我を持ち死した己として第二のいのちを生きる様が、あの子がどうか安らかにと祈る現世から届く声の願いが叶った景色が広がっているのだと思うし、その願いは自身もジャックに、マダムに向ける想いでもあるのかもしれないから。第二のいのちとして生きている子どもたちを問答無用で返すなんて出来ないよね…人好きの神様だもの。だからこそジャックが別に動くのだと思う。一緒にいる優しいしんちゃんの抱えた仕事を手伝える、唯一の弟として。そこに特別さを見ても許されるだろうか。
竜太の、覚えていない、自分は悪くない、は本当に本当に酷い話だと思う。覚えていなくても今目の前の営みで共生すべく出来ることをやってくれよと思う。ボックス内ではそうだったんじゃないの?と思うたびに拳を握ったわけですが。記憶をなくす前の自分との齟齬に戸惑いもあっただろうし、ボックス内での様子を見るに根っからのどうしようもなさというわけではないだろう竜太だけれど、戸惑う自分を親身になって支えてくれる人がいなかったらダメなんだろうな、とは思わされて。もらいたがるそれを相手に返せないのに、自分からの一歩がないのに「もう疲れた」じゃないのよ。自己保身に逃げるのではなく自分からも寄り添うということを学ぶには、ボックス内での共同生活は時間が足りなさすぎたんじゃないかなと思い、冒頭で偵察が怖くて逃げたメロがよぎった。人の成長速度は違うし、何を学び取るかも違うし、準備万端になってから時間切れを迎えられるわけでは決してないんだよなと、改めて噛み締めたところでした。
でも、ところなんだけど、最後現世に繋がる道でのミナトと竜太の会話。えぐくなかったですか?私はあのシーンが一番キツかったです。愛していた幸せ家族があったんだよ、みたいな空気を出すな現実覚えてないのか??と。ミナトに格好つけたいのか、本気で現実をそう捉えていたのか、ミナトにだけはそう思っていて欲しかったのか。自分を忘れてくれとか言うくせに。忘れさせたいなら本当の関係を全部曝け出して見限られれば良かったのに。竜太には出来ないんだろうなと心底思わされました。だからこそ、その場面ですごく幸せの気配を表情から声音から滲ませるからこそ、そこからの顛末が余計に響くんですよね…。
愛はひとつの呪いだと、どこかでは言うけれど。
「お父さんって呼ばないでくれ」と、懇願しつつ最期まで見続けた家族の夢。マダムが再び現れたのだから、ラストの竜太は99歳の竜太だったんだろう。酷いなと言ってくれた竜太へ。愛を、囁かれる家庭の夢を罰として生涯受け取って苦しんでくれた竜太へ。あなたが許しは人から与えられるものだと思ってくれていることに、なんだか涙が出ました。生涯許されないでいてくれてありがとうと思った。神様の言うとおりなら99歳までの人生は2人分の人生を背負った償いであって、閻魔大王としての正式な沙汰はこれからだと思うんですよね。
佐々木の健気さを家族にも縋って、自分も忘れられたい幸福を祈られたいとか甘い夢をみるんじゃないよ、そういうところだよお父さん。
…ところで。
とあるポストから前説のおふたりが吉岡さんと林さんだと知りました。お声を聞きながら、こんな関係のふたり組ボックスにいたかなぁと思い、ああ声は揃えても抑揚はバラけるんだなぁと思っていました。これがボックスで仲良くしてた頃のジャックとマダムだったら私の脳内が大変なことになりますオタクなので。ほんと、どうなんでしょう。そしてそうなると、メロと秋のシーンを見る色が増えます。重ねてしまいますよ、寂しがり屋というか仲良く一緒にいたかったメロと自分を見てくれる存在よりも姉を選んだ秋に、ふたりを。
どうしましょう。
そして、親より先に死んだ子どもたちを親不孝と扱う賽の河原に対し、生まれるより先に親から殺された子どもたちを集わせたのがボックス…?とか、今また考え始めています。作品を受けて考えだしたことではあるけれど、私の思考を垂れ流すことで作品の邪魔になっていたら申し訳ないばかりです。
本当は舞台タツノオトシゴで吉岡さんに出会うはずでした。だけど今、このタイミングでこの作品に出会えて良かったと心の底から思います。舞台作品から朗読劇に形を変えて、きっとブラッシュアップもされて、今か今かとたくさんの人が待ち望み迎えた幕開け。時折我が身を振り返りつつ、こんな気持ちでこの作品を迎えられた自分をどこか誇らしくも思います。やっと会えました。生まれてきてくれてありがとう。
さて、自分はこれからどう生きていこうか。どう判断と行動を続けていけるだろうか。観劇後ひと呼吸ついて、そんなことを思いました。
トライディア第10回「異形頭さんとニンゲンちゃん」観劇後の殴り書き
2024年8月10日昼公演の感想です。
個人的に初のトライディア公演でございました!元プラネタリウムという北とぴあのドームホールの構造に目を奪われたのですが、何よりピアノとキーボードがあってスタンドマイクと椅子が並んでいるスペースが通常のステージよりも狭くて、このスペースで??アクターさんもいる?????とすごく驚きがありました。そして開演前なのにすでにピアノを弾いてくださっていて、ずっと耳が心地よかったです。
以下、ネタバレしかありません。ご注意ください。
「異形頭さんとニンゲンちゃん」については今回の観劇には自身で読めるところまでは原作を読んでから臨みました。キービジュアルから最初はどんなカテゴリーの作品なのか読めなかった私でしたが、不穏さもありつつ、登場人物たちがお互いに想いあい関係しあっているやさしい人たちのお話で心地よさも感じていました。リーディングショーではどうこの作品世界が表現されるんだろうと楽しみでした。
とか、言っていますが、正直登壇された藤本彩花さんのメイド服を見たあたりの記憶が割とぶっ飛んでてですね……振り返ってみてもどうしよ…って感じで、笑っています。しっかり髪も結んでくださってましたよね…?私メイドさん耐性ないんだなと実感しましたほんとめっちゃかわいかったです……。というかあんなに皆さん衣装寄せてくださるんですか????ななの白衣や男性陣のスーツは普通に喜んでいられたんですけど、もう、ちかやリリーのお衣装には喜び超えてびっくりしてしまって。そんな再現?レベル??ありです?????ってなって、もう……ありすぎのありなのはもちろんなんですけど、これがトライディアなのか…!とぶん殴られた心地でした。漫画の映像も目の前に立つキャストの方々も見るたびにスーツ姿格好良いなあって思わされていたんですけど、だからこそアクターさんが見せてくれる私服姿の破壊力が凄かったです……衣装のちからってすごい……と今回本当に全力で感じました。こんなに揃えてくださるんですねトライディア…すごい……となっていました。
トライディア、今回初めて観劇させていただいたんですけど、なんだろう、何がなかった逆に???て気持ちでいっぱいでした。充足感がすごくて、ずっと楽しかったです。おしのしもせっかくなので参加してみました。すごい時間に頼んだにも関わらず、当日ちゃんと自分の目でおしのしを確認することができました。本当、次はちゃんと余裕持ってやりますね…すみません。ありがとうございました。
ところでアクターさんの存在、私めっちゃ好きでした。漫画をほとんど忠実に朗読するなかで動くアクターさんは、コマの静止画だけでない動きによるキャラクター同士の関係性をより描き出してくれていて。ラズの尊叫びとか回し蹴りの威力とかセオの凄味圧とかレノの所作とかリリーへの触れ方とか、異形頭としているからこそ、こちらの認識もブレずそのままそのキャラクターとして受け取ることが出来たので、凄かったです破壊力と解像度が…。そして伊藤さんのレノが私めっっちゃ好きで…………客席通路に立った時の所作が本当に素敵で、がっつり反対側の席にいたんですけど思いっきり振り返ってガン見してました。漫画でもあった階下にいるラズとセオをレノが見下ろすシーンでの共感に至らない対立場面、圧倒的な演出ですごくわくわくしました。アクターだけでなく台本から視線を外してレノを見上げるキャストもいれば台本をしっかり目で追うキャストもいて、リーディングショーの線引きの面白さも感じていました。声優としてのアフレコ姿を見させていただきつつ、客席へアピールしたり人のマイクを奪ったりと劇としても観させていただいて。表現を見せることの幅広さを感じました。
幅広いからこそどう表現するかの塩梅も難しかったと思うんですけど、初動で真っ直ぐ客席に向かって手を振ってアクション起こして階段まで登ってみせた藤本さんの姿を見て、そういったパフォーマンスもありなのね!?と、この後更に何が起きていくんだろうという楽しみが跳ね上がりました。リリーは伊藤さんのレノと一緒に動く場面もあって、客席通路に現れたり肩を抱かれる仕草があったりと、公式両想い成立カップルの姿に内心ずっと黄色い悲鳴を上げていました。というか女性陣がパートナーの幼少期を演じるのもズルくなかったですか…………好きしかなかったです。藤本さんはリリー以外にも作中幅広い年齢層に声を当てられていたので、リリーの独特な言葉のニュアンスをどう表現されるのかと観劇しながらずっと楽しみしかなかったです。個人的にはちかのお婆ちゃんが大好きでした。背中を丸めるようにしたちいさい子に語り聞かせるようなじんわり優しい声音がとても。本当に、出来ることならリーディングラストシーンのその先のシーンを………本編的に次のページあたりからのあのシーンを……本当に本当に浴びたかった……藤本さんのお芝居であのリリーを浴びたかった………!!!と正直終演後は真っ先に飢えてしまうくらい藤本さんにはわくわくさせていただいて。ちかこのあとどうなっちゃうのー!よりもリリーのその先見たかったよ!??っていう個人的な終幕の迎え方をしました。本当に楽しかった……。一応ですが楽しみにしていたシーンが見れなかったことの苦情とかでは一切なくって。というか「大丈夫」をいっぱい大切に届けてくださるなら今回のラスト以降はちょっと角度が変わってくると思うのでここで切るのはそれはそう!て気持ちです。だから、藤本さんのお芝居フルコースはお預けね…!って感じで気持ちが冷めやらぬだけなんです、お騒がせしています次への足掛かりをがっつり作っていただきました。
リリーのパートナーをしているときのレノの良さも本当に好きで…。レノというか山中さんが私の席からは全く見えなかったのですが、だからこそ伊藤さんやスクリーンの漫画を注視することで生アフレコである部分を十二分に体感させてもらえたんじゃないかと思っています。お席に関しては本当に後ろから数えられるレベルの購入順だった自覚があるので何も求めていることはありませんのであしからず。というか私山中さんのレノもめちゃくちゃ好きで……立場も目的もある方なので様々なスイッチのオンオフがあって、周りの人たちが許容しているからもあると思うんですけどあれほどの温度差があるキャラクター性をひとりの個性として表すの、とっ散らかるわけにもいかないからきっとめちゃくちゃに大変なんだろうなあと思って見ていました。山中さんのレノの声音と伊藤さんのレノの所作が噛み合うのが、キャラクターの解像度が割り増しになるようで本当に大好きでした。あと何よりそうくるか!て思ったのが赤飯のくだりなんですけど、あの台詞って感嘆符ついてるじゃないですか。ついてるんですけど観劇した回ではすごく、なんでしょう呆れとは違うんですけど、お前そういう奴ね解散、やめやめ、みたいな期待してたのに見込み違いだったわみたいな、なんとも言えないニュアンスが感じられて。直前の無言の会話や気合いの入った先贈りプレゼントの存在が活きるようで、あの台詞のニュアンスめちゃくちゃ好きでした。お陰で次こそは!と改めて気合いを入れたお誕生日会のセッティングからも滲む期待を感じられたように思います。レノも賑やかにされてましたけど、期待を捨てずに何度でも全力で取り組み直す諦めない人なんだなあと思わされて、一貫する姿勢を感じられました。
漫画の台詞ニュアンスといえば酔ったななに捕まったセオの詰まった声がなんかかわいくなりきれない滲む気持ち悪さがめちゃくちゃに好きで………………漫画で読んだ時はシラフでありつつがっつりななに退路断たれて追い込まれちゃったセオが限界になってるんだと思ってたんですけど、狩野さんのあの声のなんとも言えない感じがその後に続くあいつ気持ち悪い評に繋がるようで、着地点が感じられてすごくわくわくしました。セオ、すごく凄味があるというかガラが悪いというかまっすぐ全力でブチ切れてくれて気持ちの良い人だったんですけど、一方でセオの様子のおかしさというか対ななのことって割と番外編で描かれている印象だったので、今回では描きにくい情報だったんじゃないかと思うんです。だからすごく酔っ払いななとのシーンは状況ニュアンスよりも情報が多く上乗せられていたように感じられて、好きだったなあと思っています。あとすごく個人的なことなんですけど、セオがラズ相手に凄むなかで、文節ごとにイントネーションというか台詞のニュアンスの方向性が異なっていた台詞があって、内心すごくはしゃぎました。細かく抑揚の変わる言い方って台詞の注目度も増すようになるので使いどころは難しいと思うんですけど、ラズに有無を言わせぬというセオの台詞としてうまくはまってたのではないかと思っています。セオの凄みというか圧、本当にすごかったなと改めて思うばかりですが、岩田さんのセオがピアノ演奏の村田さんの背後に立った時に、あれこのクマさんやっぱ圧怖いな??と確信に変わりました。狩野さんも何度伊東さんにガン飛ばしていたことか。セオのガラの悪さが狩野さんの挙動の随所からも感じられて、見ていてすごく楽しかったです。漫画ではレノがまずずっと女医と呼んでいてセオも口だけで距離を取っていたなか、電話で2人きりになった時にすっとなな呼びが出てきていたので、朗読ではどんな音になるんだろうって思っていたんですけど、すっっっごいふつーーーーにななって呼ぶじゃん??てすごく、なんでしょう、そうくるか…!てなりました。漫画的には名前とふたりの距離感の表現として溜めを作っての情報提示とされていた印象でしたが、彼らの日常では抵抗も力みもなく普通に名前を呼んでるんだなってなって……思って…あまりにすんなり呼ぶものだから漫画のコマを目が追っていても耳で拾ってはびっくりしてました。だめだった…。ただ私が映し出されてる映像を結構見ちゃってたから定かではないんですけど、セオ、ななのこと見ながら名前って呼んでましたっけ?私はそこがとても気になっています…。
内田さん、お声がまるで砂糖菓子のようで。ななの第一声を聞いて以降あまりのかわいらしさにずっと耳が幸せでした。前半の女医としか呼んでこない、人権含め己の立場を見せつけてくるレノにも揺るがないで見せる姿ももちろん大好きなんですけど、スマホの設定をしてる時とかリリーに思わず突っ込んじゃってる時とか…ちょっとした場面での声音がすごく優しくてかわいらしくって。ななの人柄が表れるような台詞が更に更に魅力を増していくように感じられました。なながセオさんと呼ぶ時もクマさんって呼ぶ時も、年下なのに「さん」が外れないのが本当に好きで…ななが名前を呼ぶたびに信頼の気配を勝手に感じていました。原作でセオとななの関係って大体が番外編で描かれていて、今回のリーディングショーで描いていないのでどうにも触れにくいんですよね…。ただ本当に個人的なことですが、ななの発する翳りも毒気もまるでない真っさらのような澄んだ声について、セオが初めて出会った時のななの姿から個人的に連想した童話を思い出し、その物語を考えると潜在的にセオもレノやラズと似た気持ちを抱いているんじゃないかなとか、そんな思考にも導いてもらいました。すごく楽しいです。そしてん三つ編みもすごく似合ってらして………オタクは悲鳴をあげていました…。
悲鳴といえばちかの衣装なんですけど、吉田さんがちかに寄せたお衣装で登場された時、ダブルキャストの方はそのお衣装も込みでの快諾でよろしかったでしょうか!!???と割とマジに真っ先に思ってしまって…本当にびっくりしました…。蓋を開ければ真反対のお衣装だったことにもびっくりでしたが、おかげでなるほどトライディアの吉田さんだからこそなのねという納得がありました。声が出ないというのは人によって色々な状況や原因があるし人によって声を出したい、出そうとする思いや葛藤の角度も変わってくると思うんです。だから初期のちかをどう表現するんだろうと楽しみにしていました。声が出ない吉田さんのちかを受けて、この子は与えられた役割に全力で従事するというか、ペットという存在に全力で嵌りにいってるんじゃないかなぁとか、なんだか色々なことを考えさせられました。ただいっぱいいっぱいだったちかがラズとの出会いをきっかけにまた地に足つけて立てたのは事実なので、ちかは出会ったのがラズで良かったね…の気持ちでいっぱいです。ほんと。ところで朗読劇でそういったシーンに出会うのが今回初めてだったんですけど、ちかとラズが触れ合う場面ってBGMからして音も少ないので状況としては親密に触れ合っていても、ひとりが息を詰めるだけでここまで一人芝居になるんだな…となんだか新鮮な発見がありました。呼気多めの台詞は投影される漫画に声を当てているからこそ状況理解が成り立つもので、私たちはアフレコを見ているんだなあと改めて思わされました。逆に説明口調が入ってきたらどんな演出になっていたんでしょうね、ちょっと気になってもいます。
漫画の投影、朗読内容がほとんど本編そのままで合わせて漫画も全コマレベルで投影されていて普通にびっくりしました。そこまでやって良いんだあって。本編はまあ場所によっては無料読みが出来るんですけども、本当にすごく原作サイドの方々のご協力があったからこそ出来上がった表現なんだろうな…と感じました。贅沢すぎました。漫画を読む時って無意識すぎて分からないんですが自分ひとりで文字を追って前後の視点や状況から台詞の話者を判断してるのかなぁとか思うんですけど、集中線で描かれた心の声がちかとラズでハモるっていうのが、個人的にはすごく衝撃的ですごくかわいらしく思えて大好きでした。私はそんな読み方まったく出来なかったので、一緒なんだ…!とお互いしっかり内面というか感性に近しいものがあると表されていたのが、なるほど好き同士…と理解させられたようですごく良かったです。漫画のコマが投影されていることに何よりわくわくしたのって伊東さんのラズと一条さんが話される時で。伊東さんのラズ、台詞のタイミングや間の取り方がすごく気持ち良くて、すっごいハマってるからアテレコ聴きながら漫画のコマを追うのが楽しくなってしまって、めちゃくちゃ捗ってしまってだめでした………すごく楽しかったです……。おかげでもともと台詞が多いのもあってか基本台本展開通りに進むなか、突然差し込まれるアドリブや動きに目が置いていかれていました。何度、またコマ見ちゃってた!と思ったことか…。あと阿部さんのラズとのハマりっぷりも気持ち良くて、尊叫びとか本当に見ていて楽しかったです。あと阿部さんのラズ、そこで叫ぶんだ……ってスペースの心配はちょっとしました。ラズって顔面の強さを自覚してるから怖くないよって少しでも警戒心を弱めて捉えてもらえるよう言葉遣いも徹底していたのかなと思うんですけど、ほんと、伊東さんのラズが私から俺に一人称を言い直す時の躊躇いのなさに、ちかと真っ直ぐ正面から向き合うと決めたからなんじゃないかなぁなんて思えて、すごく素敵でした。そして躊躇なくというならば一条さんのアドリブぶっ込みが本当に本当に滑らかで。台本に書いてありますって雰囲気しかなかったけど漫画のコマにも欠片も描かれてなかった。ないよね!?って漫画の描き込みガン見して探したりして、繰り出されるたびはしゃいでました。めちゃくちゃに楽しかった…。一条さん、役名がつくならお兄さんだろうなとは思ってたんですけど、本当に色んな役をやってくださってすごく楽しかったです。元上司の発狂しかけの叫びとか説得があっても耳を貸しもしないだろう勢いで。そして個人的にはやっぱりバーのマスターがとても…とてもとても好きでした……お声からそのスマートさからアドリブ構成からもう…ほんともう1回やってもっと出てきてってめちゃくちゃ思ってました。一条さんのアドリブ本当に気持ちよかったです。お話されてもあまりに馴染まれていらっしゃるからトライディアメンバーの方かと思った程なんですけど、参加数が多くこの座組に慣れているという認識でよろしいのでしょうか?トライディアの公演があれば一条さんのお芝居を浴びられるんじゃないかな?とか思って楽しみにしていようと思います。そして実のところトライディアのメンバーって吉田さんと終演後に登壇された本多さんのおふたりなんですよね。なんだかどの人たちよりも距離感が近しいというか親しげなおふたりで、この距離感がトライディアなのかなぁと不思議に思っていたんですけど、検索してみたらご夫婦とのことで。だからその距離感だったのね!?と観劇数日後にすっきり出来ました。トライディアからいただくメールなどすごく文面の向こうに人が見えるようで、そもそも少しでも推しを見られるようにと座席も配慮くださるとか、経験のない体験がありました。物販の方もすごく気さくに話してくださって楽しかったです。作っていただいたこの機会を大事にしようと、改めて思わされた観劇となりました。アンケートを書いていたら撮影会が始まって、階段を登ってくる岩田さんのセオに手を振ってもらえたのも嬉しかったです。それ以外に個人的に慌てたことも緊張したことも嬉しかったこともありました。トライディア初観劇、すごく楽しむことが出来たと思います。ありがとうございました!
朗読劇「この色、君の声で聞かせて」再演観劇後の殴り書き
「この色、君の声で聞かせて」再演を観劇させていただきました。(2024年6月15日12時、16時Voice公演)
以降ネタバレが含まれますのでご注意お願いします。新鮮な感想文ではないので妄言何割か増しです。
夢。初めて見たとき、思った以上に話すなあとか思っていました。本当にごめんなさい。夢は翔太に聞くから言ってと言われたから、声で伝えようとするようになっていったように、受け取りました。夢はどこまでもまっすぐな子なんだなあと思いました。ただ、彼女のような人が発話に対してどのようにあるのかが私には分からなくて。けれど、夢は、翔太を信じて自分の声で伝えるようにしていったんだなあと思いました。私はふたりの夢を観ました。絵描きとしての姿勢が凛として格好良さすら滲むようだった小山さんの夢と、こくんと頷いたり翔太に向ける眼差しが印象的だった南さんの夢。小山さんと南さんの夢は同じ存在だけども、異なる部分もあって。ふたりの夢を観たからこそ気付いたこともありました。夢が一番声に出していたのは「いぶきくん」なんだなって。2回目の観劇となった南さんの夢でやっと気付きました。というか、小山さんの夢の言葉は文章として組み立てられたんです、私のなかでも。夢の声にした想いを聞かせてもらうためには、届くというのは本当に大切なことだと思います。だけど南さんの夢の言葉は、何度も途中で分からなくなった。2度目の観劇、もう一度聞いているはずなのに彼女の言葉を見失ってしまいました。ただそのなかで、彼女の呼ぶ「いぶきくん」だけは絶対に聞き取れたんです。それがもう、大事なものなら声に出せるの答えにしか思えなくて。きっと周囲に人がいたら、言ってることはちゃんと聞こえなくても「いぶきくん」と言っていることだけは分かったことでしょう。そう思い至った時の私の脳内は学生モブのひとりになった心地でした。そして黒く塗りつぶすほどの激情を絵にぶつけても、届いた言葉は身に残るのだとも、思いました。夢は翔太をずっと一途に好きで、そして傷つき、苦しい思いをしながらも日々を進んでいく。その根底に翔太がいることの揺らぎなさを感じました。
翔太は、すごく真っ直ぐでした。きっかけこそ誰かの声を欲しがるところはあるけれど、走り出したら止まらず突き進められるちからを感じました。アミの言うこともすごく分かった。過去にこいつ流されてるんじゃない?と思ってしまったのもその辺りだと思う。だけど自分でしっかりと夢に向き合っているのだと、狩野さんを見ていてすごく思わされました。夢の言葉を聞いている表情がすごく彼女に集中しているそれで。口の動きにも表情にも声音にも、全てから彼女の想いを受け取ろうとしていたのではないかと思います。そして自分の声を伝える時は、必ず夢を自分に向かせていた。ちゃんと伝えるためには夢に口の動きを読んでいてもらう必要があるから。ふたりの夢は、その視線の向け方が違っていて。南さんの夢は翔太の顔をよく見ている夢で、だから翔太が話そうとするとすぐに気付いて顔を向けていた。小山さんの夢は俯きがちで、父親や環境によってそう癖付いてしまったんだろうと思うと苦しくなった。そんな俯きがちの視界には、何度も翔太の手が差し込まれて。「渡来、渡来!」と呼びかけながら、夢に言いたいことがあるから気付いてと、こっちを見てと手を伸ばす。自分以外の何者も入り込まない俯けた視界に不意にちらりひらりと手のひらが差し込まれるのは、あまりにも優しく、そして眩しく感じられました。翔太があの時夢に自由帳を広げた男の子なんだあと、なんだか思わされました。そして手も届かない空港での叫びは、本当にもう腹の底からの叫びで。和也への全身に力の入った怒声も全力で、すごく好きでした。叫ぶこと、乗せる感情によってこうも色を変えるんだなと思わされました。そして空港での大きな全力での呼び声。この声は夢の鼓膜を震わせているんだと思ったら、客席にいても感じられた翔太の叫びによる空気の震えを手にとって夢に送りたいような、声が届くように、この震えが夢の鼓膜を震わせるようにと送り出したい気持ちになりました。本気の全力の叫びを客席側で浴びせられてしまって、その眼差しを、真剣さを受けてしまって、今も脳裏に焼き付いているわけです。本当に。
鼓膜を震わせられるといえばお見送りいただいた際、濱さんからの「あーーーー!!!!!」は本当に凄かった。あんな溜めもなく大声って出せるんですね…声優さんすごい…と思いながらその声を浴びていました。俊斗、自分の中身そんなに言葉にしないじゃないですか。その中にありそうな感情をというか、朗読劇なのに目が口以上にものを言う存在のようで。半歩下がったように、いつもアミを目で追いかけては少し離れて見守っている。アミが夢に対峙しに行った時、俊斗は姿の見えないアミを探して、そして見つけて見守って。彼女がついに嘘を吐いてしまった途端、くしゃりと顔を歪めて視線を外して何やってんだよらしくないと苦い顔をして、それでもまっすぐアミをまた見つめる。その後ちゃんとアミに声を掛けるのももちろんですけど、何より台詞はないけど、あの場面の俊斗がすごく好きです。その場面の俊斗がアミを見つけて立ち止まった立ち位置、あそこ上手からライトが当たっているアミの影が俊斗を覆ってたんですよ…………見つめている間も思わず苦く視線を外しちゃっても顔に全身に、アミの影が当たってるんです……それが本当にめちゃくちゃに良くて……。堪らない気持ちを噛み締めていました。いやまじ影ずっっっる…………めっちゃ良かったです………………。俊斗、ふいに和兄とか言って翔太との付き合いの長さや仲の良さを表に出してくるし、千波ちゃんにアミのこと気付かれてるようだったし、主役たちに比べたら少ない台詞のやり取りの中で、でもしっかり描かれているなあと感じられて良かったです。ただ俊斗がそういう奴なんだなっていう、こう、アミへのアプローチ方法ね。がむしゃらに走る姿良いなって話をした後で、傷心のアミにリベンジでふたり焼き肉を誘う俊斗ですよ、直接的なアプローチはして来ず、どんな時も責めず離れず笑わせられるよう傍にいる男ポジションで来る俊斗にお前…!てなったのは仕方ないと思います。やっていいなら拳で自分の腿何度か殴ってた。こいつもこいつで面倒くさい奴では?とかちょっと思った。美味しすぎか?
そして俊斗の言うがむしゃらな姿って、アミもそれなんだよなぁと思わされて。酷いこと言ったりするのは、どうにも必死なのも分かるけど、夢を思えば心苦しくなるばかりで。視野が狭くなっちゃっているんだと、普段はそんな子じゃないんだよって言うのを俊斗が示してくれてるんですけど、ちゃんとアミのこと見てるんだなあってなる。そしてちゃんと注意してくれる俊斗の言葉を受け止めて、しっかり自分からひとりで夢の元まで謝りに行けるアミがすごく好きです。翔太の恋バナと聞いて本人に突撃する勇気が出なくて俊斗のほうに駆けて行っちゃうアミが可愛くって大好きです。恋する女の子で、恋される女の子だったアミが本当に、すごく好きしかなかった…………。俊斗が見守り続けてくれている離れない存在だって、その気持ちに気付くのか、自分のなかに芽生えるのか、気付かず次の恋に行くのか……私はとても気になっています……。幸せに笑っていてくれ…
和也さんにも私はすごく幸せになってほしいというか報われてほしいと思ってたんですけど、千波ちゃんと対面する時の最初の距離が心の距離だったらめちゃくちゃに良いな…とか思っています。あんなに離れて弟の世話になってる先生と話さないんじゃという考えからです。廊下なら分からないけど。どうなんですか下道マスター。それだけで空港まで下道フル活用で間に合わせたんだろうなって理解させられたの、すごく好きでした。あとご両親が亡くなられて一度施設に入って、兄弟ふたりで暮らすために本当の本当に頑張ってこられた方なんだろうなあって、台詞では1度しか出てこないけれど、そのなかの情報量に色々考えさせられました。教えられるのはいつも最後だなって、苦しいことを漏らさないで大事に生活を守ってきたら弟との距離感がすごく好き。だけど、つまりはきっと水泳が出来なくなった怪我のことも後から知って、怪我の当時しっかり関われなかったんじゃとも思ってしまった。それは和也さんの気持ちを考えたら苦しいけれど、でも兄を見て育ってきた弟だもんな、ともなって。和也さんの明るさ、明るくい続ける強さをすごく格好良いなと思っています。あと長谷川さん、ハクナ・マタタが上手すぎて。正直ずっと聞いていたかったです、本当に。問題ない、心配ないって楽しく笑う和也さんは本当に格好良いお兄ちゃんですよ。
だから千波ちゃんが和也さんを見つけてくれてたの、なんだかすごく嬉しくて。クレープのファンってすごく良いなって思いました。和也さんがあ!と気付いて距離を詰めてきた時の千波ちゃんが本当にファンって感じがして、先生の時には見せなかった可愛さが溢れてた。駒形さんの千波ちゃん、夢に目線を合わせて膝を床につけてる時にしっかり足が揃ってるのがすごく綺麗で。夢を大切に見守って彼女の未来を信じている姿は、翔太にはまだ出来ない姿勢だったと思うんです。視野の広い、優しい大人の姿だなあって。一方で関係ないんだけど千波ちゃん、なんで白衣なんだろうって思ってた。美術部だと汚れない?って。すごく個人的な意見なんですけど、白衣の白が俯きがちな夢の視界のなかで光る存在だったらいいな、という考えに至りました。夢が気付く色というか。床に寝っ転がる千波ちゃんになんでだよって思って、それが夢の視界の入るため、先に来ている自分に気付いてもらって見上げて目線を合わせるためなら良いなっていう考えに至りました。そんな意図はないと思うけれど、なんとなくそうなら良いなっていう妄想です。夢を送り出して数年後の千波ちゃんのLINEアイコンがクレープなの、すごく良いですよね…。自分が手で持った状態では撮れないアングルとクレープの綺麗さがすごく、その写真に込められた物語を掘り下げて欲しくなったし物語があることを求めてしまった。俊斗もそうですけど、翔太と夢の物語であるこの作品、ほんと、語らない部分が気になってしまっていけない。楽しいです。
ところで正直、翔太が絵を完成させるまでの時間に夢が別の誰かと出会って縁を深めていてもおかしくないと思っていたんです。2人がやり取りをしている描写はなかったから。だけど翔太の今までと夢の今までとを受けて、そして夢が人魚で翔太が思い出した王子だと言うのならば、ふたりは手を取り合って仲良く幸せの方向へ行ってくれるんだろうなと、思わされました。夢の勇気も恥じらう姿も、翔太の眼差しの必死さと真剣さもたくさん目の当たりにしてきたので。そして中澤さんの声が本当に本当に良くて。素敵だった。教師をしている時の声音もとても好きで。彼、生徒の名前を呼んで声を掛けるしちゃんと目を見てるんですよね、翔太だった。そしてキャンバスに向かって底抜けに明るい大きなはっきりした声で、君は1人じゃないって繰り返してくれて。声にするたびに広がる笑顔とその力強さが本当に素敵でした。夢に寄り添い続け、想い続けた翔太の愛でしかなかった。夢が黒いシルエットにしていたひとりぼっちの人魚が、翔太の手によって鮮やかに形作られたのもとても好きでした。翔太にとって海は一度赤く染まった記憶で、そしてキャンバスに広がるのは夢が真っ黒に塗り潰した海で。それに2人で見た不思議な色の海を取り戻させて金(黄)の髪と青い半身を人魚に与えた翔太だからこそ、彼女たちの海はもう赤く染まらないし黒く潰されることもないのだろうなと、思わされました。
そして最後に男が締める「この色、君の声で聞かせて」に合わせ前をまっすぐ見つめた翔太の口が同じ言葉を紡いでいたのを視界に捉えた瞬間、2年前に見た翔太の姿を一気に思い出しました。やられた!て思いました。だってそこにいるのは翔太なのだから。
キャンバスに込めた色を夢はどう受け取るんだろう。夢のなかで色付いた翔太の声は、彼女に届けられた翔太の想いは何色をしているんだろうと想いを馳せつつ。翔太がその色に込めた愛は、客席で見ていた私には希望の色に見えました。
朗読劇「はなしぐれ」観劇後の殴り書き
朗読劇「はなしぐれ」観劇いたしました。
以降、本当にネタバレしかありません、ご注意ください。
考察にもならない感想文の書き殴り。とっ散らかっているにも程があります。
最初見た舞台上のお写真には椅子が2脚しかなくて、この人数でやるのに!?という衝撃がありました。あったんですけどいざ会場に入れば椅子の背後には紗幕が降りていて、話が進めば舞台は神社にも大学にも居酒屋にもなって、紗幕向こうの階段がさらに立体感と奥行きをもたらせていました。真っ先に「あの星に願いを」でスカートに投影された子ども達の姿を思い出して、とんでもないものが来るのではと震えました。実際プロジェクターが駆使されて大活躍で。ね。めちゃくちゃ凄いことになってませんでした!!?大学の中庭みたいなところに佇む恭介の、あの場所の奥行きはなんだと震えました。セットの転換もない朗読劇を見にきているはずだよな………?となりました。朗読劇ってなんだろう、てなっています。言葉で伝える朗読劇なのに主要な登場人物は揃って口下手で。漫画で想いの昇華も描いてそのキャラクターたちも動いて会話して。
でもこれ朗読劇なんですよ。
朗読劇、めちゃくちゃ出来ることあるしめちゃくちゃ表現の幅があるんだな!?て、思わされる本当にすごい入り組んだ、作品だなと思いました。舞台演出がまるで映画を見ているようで、すごくすごく贅沢な体験でした。花びらが舞うし、漫画原稿も舞う。紗幕に雨は降るし文字も散る。朗読劇でこんな体験をしていいんですか!?てなりました。本当に、本当に贅沢…。
「はなしぐれ」本編は6月以降の話で、作中でも梅雨入りしたと語られている。徐々に雨の降る日が増えてくる季節の恋を、花時雨という桜咲く頃の雨として描いた、昇華した美波の胸にあるきらめきが大好きです。桜の季節は出会いと別れの季節、とも言いますし。
ね。
ビジュアルの話なんですけど台本めちゃくちゃ良くないです?????
めちゃくちゃに好きです。
マリアにとっての道留がキラキラしていたように、美波の描く世界がキラキラしていたように、儚さときらめきとが詰まったようなキービジュアルポスターとは異なり、少し褪せたようなブラウン一色の台本。私はこの色を初めて見た時に雨の日の境内の色だと思って、キービジュから抱いたふんわりとした雰囲気から一変、地に足つけて観なければと感じたんです。おかげで観劇前の1週間は本当にお腹が痛かった笑
「はなしぐれ」1回目の観劇では呆気に取られてしまったんですけど、以降の観劇ではめちゃくちゃに泣きました。いつも違うシーンで。
出演キャストさんたちが口下手な登場人物たちを描くのに、本当に声と、身振りと、表情と。全てを使って物語ってくれるのが本当に良くってですね……………。教えられるんですよなんか、めちゃめちゃに、この台詞をこの表情、感情、姿勢で届けています、ていうのが台詞に説得力が増して。
慎介、蘭子の独り言を始めちゃんとそっぽを向いて聞いていて、多分最初の方って何があったか予想はつけてたんですよね、きっと、同郷だから。一切笑いもせず、独り言が進むにつれてどんどん俯いていって、真剣に受け止めてくれるんだけど何も聞いてないって変わらず蘭子に向けて笑顔を作ってくれるところ、すごく良い奴だなあ…となっていました。境内で出会った時の進への声音と美波への声音の違いも、すごく良かったなあとなります。完全に進よりも美波を優先して優しく扱っていて。…今までの彼女のなかにも、そうやって進の隣から自分の隣に連れてきた子とかいたんじゃないの…?とかいう見方が過ってしまいます。頭も顔も良いわけですし。どうなんだろう。「大好きだからさ」から「今までありがとな!」の流れ、めちゃくちゃに失恋として描かれているよね…となって泣けてしまうんです。「何とかする」を受けた後の慎介、進に悟らせないように時には努めて明るく、時には静かに隠しつつも感情を覗かせてしまうところがもうだめです。それでも、慎介が最後暗転したあとに、よーしと体を動かし切り替えるように去っていくところがすごく好きで。きっと進が言ってくれた自分との未来を、現実にしようと頑張っていくんじゃないかな…………と、その表情を見てハッとさせられました。ずっと恋してたんだもんなぁ慎介。
責任、てあるじゃないですか。その事についてなあなあで終わらせず、ちゃんと考えるようにと繋いでくれた店長の岩渕さんも本当に素敵な人だと思いました。本当に。静香さんのお話を溢してくれたから、海流がどうなっていると美波が考えているのかとかも察せられて。岩渕さんみたいに明るく豪快でお父さんみたいなあったかい方が、故郷に帰れないの、何年経っても色褪せない記憶でいるの、愛情に溢れた優しい方なんだな…と思うばかりです。優しいで終わらせられないですよね、いつか遠藤さんと進とお土産の宮城の地酒で、乾杯が出来たら良いなと思います。ところで千秋楽になってようやく、あの文字の動きが炒め、炒め、皿に盛る、だと理解しました……盛り付け分かってなかった……。
遠藤さん、この人が鈴木さんだけの単一キャストだったこと、すごく好きなところです。前作「あの星に願いを」でも中神さんが星羅のお父さん役として単一キャストでしたが、ひとりだからこそ発言がブレないんですよね。それだけで発言に説得力が増して、大事な配役なんだろうなと思わされました。先のことに目を向けて思考を続けている大人として、誰にも寄り添ってくれる遠藤さんはすごく出来た大人で、すごく爽やかです。鈴木さんが持つ清涼感もあるんだろうなと思いつつ、その爽やかさが発言を重くさせすぎないんだろうなぁという印象でした。進ませてくれたと自覚的ですからね、進が。期待を込められたあとの美波への「応援してる」の力強さがもうさ…遠藤さんすごいんですよ。大学の15年先輩で宮城のテレビ局勤務、なんて、じゃあ当時はと考えたらもうキリがないんですけど、後半に出てくる「がんちゃんが静香さん連れてきた日のこと」「東北海の杜テレビ」「長い家出だ」で遠藤さんも宮城県民なのかなと匂わせるまで、バックボーンを明かさず若者を気にかける気さくな大人として存在していたこと、すごく頼もしかったです。
進、そもそもなんですけどサッカー推薦で大学入った人間が怪我でサッカー諦めて自分で見限りつけようとしてるってお前自分の立場分かってんのか……?て気持ちがすごくてですね…。めちゃくちゃ崖っぷちにいないかこいつ大丈夫?てなりました。ヤケかは知らないけれども蘭子からの評価が凄まじくて、キャラを掴もうとしてるところでブラックリスト入りってワードは印象が引っ張られそうだなあ…とか思っていました。まあ、流される人間って評があってのブラックリストはまあな、という気持ちです。というか「酔った勢いで言っていい?」と美波から切り出された進、あの反応は告白待ちしてたよな……?と勘繰ってしまって、お前モテるんだろうなぁとなったのは仕方がないと思います。今までは言い寄られてそのまま、てことだったんじゃないかなあとは思うんですけどね。来るもの拒まず去るもの追わずの姿勢だったんじゃないかなと。蘭子に対しての「あーゆーのタイプ?」「近寄るのやめとこ」「謎に叩かれた」が本当に関心ないんだろうな…と思わされました。叩きながら何を言われてたかとか、聞いてないんだろうなーって。ただ一方で美波との距離感は迷子になると。まじで「ちゃんとしなくてごめん」の台詞がえぐいんよ。でも友人の夢を話すときに姿勢を正す時があったり、「そのうち、何とかする」と自分から未来の話をする時にしっかり前を見て笑顔を見せるようになるの、ちゃんと自分の意思で進むことを決めたんだなという気持ちになれて、良かったです。怪我だってそう、テレビ局にと誘われても「考えさせてください」と、考えるために一度持ち帰ることが出来る人なんですから。進は笑顔が浮かんでるタイプでしたけど、美波と話す時のソワついた感じと、慎介と話す時の気のおけない感じと、店長や遠藤さんと話す時の後輩然とした感じと、同じようで違う側面を見ているようで、どこか子どもっぽいというか、ころころ笑ってかわいらしい人間性を感じられました。そりゃモテる…と納得させられたような心地です。一方で気になる子誘えないんだろ、て焚き付けられて「それくらいできるわ!」て言ってから結果なぜかカタコトっぽくなって飲み行かねと誘いかける進の、やっぱ気になってんだ…感がめちゃくちゃに好きでした。
傘があるのに雨だからもしかしてと境内で雨宿りしてみる進と美波の、お互いがお互いを待っていた感、口下手たちの行動が雄弁でたまらなかったです。
ほんと、すごく口下手な人しかいないんじゃないかな……と思いつつ、だからこそ美波の描く漫画が雄弁できらめいて見えるんですよね…となりました。好きです。というか名前を聞かれた時、海流に重ねていた進の口から「海」て出てきて反応してたんか美波………?自分の名前との関係に掠ったからではなく…?どうなんでしょう、どうなんですか??こういう時に地の文が欲しくなってしまっていけないですね。美波の男に勝ちを譲らない強気なところ、すごく好きです。岐路に立った時にどうしようとまっすぐ進に相談して頼れるところも、素直で素直になりきれないところも。ところでマリアの「今なら死ねるかもしれない」は美波にもそう思う気持ちがあるってことなんでしょうか。兄がそうだったらと、考えていたのかなあ、なんて思います。悲しい思考だからこそ、読み上げる進の冗談めかしたイントネーションが心地よく感じられました。ふざけんなと思ってくれているようで、どこか安心しました。
はじめは進に兄を重ねていた美波が、進を進として意識したのはいつからだろう。私は進の「お兄さんの顔見たいし」の台詞が引き寄せられて好きなんですけど、もっと前のはずで。だんだんと道留を形成するものが海流から進になっていって、海流が慎介のエピソードと共に恭介の姿をしていくの、脚本構成演出の妙……!と震えていました。美波の心の動きを漫画への昇華と共に描くって、凄くないですか。朗読劇ってなんですか?大好きな「あなた」が進ひとりのことなんだと、マリアがそこだけ進に向けて声を張り上げて、今も変わらずに好きなんだと伝えてくる場面はもう、目が覚めるような心地でした。観劇の初回はお兄ちゃんと恭介のキャラクターとしての移り変わりに気付けなくて、マリア心変わり?とか思っちゃってたんですけど、マリアは去っていく道留に向けて、美波は進に向けて叫んでいるのだと分かったので、本当に安心しました。難しかったですね…。でも経験や思い出を込めながらひとつの物語を作る時、1人の人間のエッセンスをひとりのキャラクターにだけ落とし込むのではないと思いますし、自分の体験、思い出を物語の中に生かすには散りばめるかたちになるんだろうなと思うんです。だから散っていても当然というか、当て書きじゃないんだもんな、となるんです。美波も世に出すならと描き替える選択を取れる人ですし。ただ伝えたいものがある。作品として見つけてくれたのは慎介で、本当に欠片を見つけてくれたのは蘭子で。届くものはあるんですよね。
というか花時雨のシーンなんですけど、唯一道留がシルエットに重なって見えなくなる場面あるじゃないですか。しかも足の影を被せてくるから横顔も口元も見えなくて、表情がまるで分からない。道留がマリアへの本気の好意を吐露する場面でそんな演出がされた。この道留に重ねられるのって、進しかいないじゃないですか、美波にとっては。だからもしかしたら、美波にはこの台詞を言う進の表情が、描いている時は分からなかったんじゃないかな…と思えて。そして言わせるこの台詞が進の気持ちと近しいのかどうかも、分からなかったというか、自分で決めるのが怖い部分もあったんじゃないかな…とか、考えてしまって。多分、漫画でもこのシーンの道留の表情は見えないんだろうなと思っています。だからこそ進からの「好きだ」をその目を見て、その表情ごと受け止められて良かったなあと思うばかりなんです。…汐谷さんが28日の昼公演にこの場面に震える感情を乗せてこられてそれも本当に素敵だったんですけど、夜公演にはしっかり聞こえる声で明るくどこか切なげな声音をされていて。美波に想像できなかったものをどれかに寄せさせない、という表現をされたのかなーとか、思っていました。漫画の中で描写される道留に徹するの、すごいですよね。
一方で最後の最後で慈愛に満ちるってくらいに甘やかで優しい声音でマリアを受け止める恭介はいたんですよ。あの声を聞いた途端、恭介本人が優しい人だというマリアの勘は正しいと裏付けされるようで、そしてこちらからしたらお兄ちゃんの鱗片に触れたような気ができたんです。描き始められた頃のお兄ちゃんはそれこそ海流で、美波の理想とも言えるマリアと恋をするお兄ちゃんは世に出すため他者である道留の中に落とし込まれた。そして美波が進や周りの人たちとの関わりを経て、道留は進になって、お兄ちゃんは恭介の中に残った。…………ということなんだろうなあと思うんですけどそのなかでの慎介のアシストがまーーーーじですごくって………………。慎介が初めて美波と会った時の「どっかで、会ったことない?」はナンパじゃなくて即売会で買い手と売り手として会っていたから記憶に残っていた、が真実なんですよね。ただその言葉を取り込んだ恭介はマリアに声をかけてくる。「せっかくの出会いは大事にしよ?」「その分、燃えるよ」て、マリアを狙う男のように描き上げる。慎介が出会った時のあの声音の柔らかさを美波がそう捉えていたなら、そして慎介にその時進と張り合う意思があったのなら。「出会った時から凄かった」には見透かされていた、も乗るんじゃないかな、とも思って。まあ進と2人きりでいて惹かれない女はいなかった、とかの意味かもしれないけれど。で、結局美波にとって知らない人だった慎介から言われた言葉は、事情知る人にとってはお兄ちゃんとの再開を匂わせる言葉になった。誰の言葉だから、ではなくて美波自身の蓄えたエピソードが自分の作る作品の魅力を底上げる、そういった昇華なのかなあと受け取りました。「アシスト決まって良かったよ」に対して、まじで、出版社と繋げたことだけじゃないからな多分!??と暴れていました。(ところで台本に「アシスト決まって良かったよ」「まさか出版社と繋げるなんて」見つからないんですけど書き足しでしょうか………記憶が頼りなの…?)恭介の言う「…もういいの?」「ああ、良いよ」、優しく見守る姿勢を受け取るたびに美波がお兄ちゃんの面影をやっぱり恭介に残したのではと思えてしまって、震えていたんですけど違うんだったら恥ずかしい限りですね………。マリアの言う「道留君ほどじゃないけどね!」めちゃくちゃに好きなんですけど、進をもう選んでいるんですよね…お兄ちゃんが1番じゃなくなってるのが明確に感じられた台詞だなあと思いました。
お兄ちゃん………というか海流。なんとなく流れでと呼びつけて強引には紙一重だと思うんですけど、海流のそれは犯罪なんですよ。実際そういったことは起きていたと聞きますし、悲しいことに記憶に新しいことでもあります。環境のストレスとか色々あったとは思いますが、想像の余地があるというだけとも言いますか。しでかしたことの重大さはきっと分かっているんだなとは思うんです、謝って謝って行方をくらますわけですし。相手自分の妹と同い年の子ですからね…えぐいんだわ。生まれは神戸の海流、2011年で大学生なら1995年には生まれていたわけで、そんな息子が震災後東北の地で行方知れずってご両親のことを思ってしまっていけない…しかも蓋を開けたらこんなですよ。全然関係ないんですけど、生きてるなら怒られる以上の相当な覚悟をして、ご両親には連絡入れてほしいなと、思ってしまいますね…。まあ、とか言ってますけど海流がどんな人物かは直接描かれていませんからね。ただ、美波の大好きなお兄ちゃんである海流はいたと道留が証明してくれているし、大好きになるほどの優しさを蘭子にくれた。それは絶対的に間違いないんですよね。ひとりの人間をひとつの出来事から判断するわけにはいかないのはもちろんですが、なにより美波の気持ちと蘭子の気持ちを受け入れたいなという考えに終着しました。
その人が隣にいたからこそ踏み出せた一歩がある、という印象を抱いたシーンがいくつも見られた今作でした。だけどやっぱり、蘭子は強いよ、とどうしたって思います。強くて優しくてすごい子だと思います。彼女が被害者であることは忘れないしそこに対して海流への怒りもありますが、彼女が何を大切に想って大事にしているのかを何より忘れずに、尊重したいなと思うばかりです。本当に。ただ彼女がお腹殴るのほんとにだめで、もうなんかほんと泣けてきちゃうんですよ。ね、好きなものに囲まれて笑ってる蘭子の笑顔が眩しくて好きです。慎介からの「蘭子」呼びを許しつつも「蘭々」として線引きをしてる、ラストの蘭子の姿が大好きです。蘭子にとって居心地の良い距離感のなかでひとりぼっちにならないままでいてくれたら良いなあと願ってしまいます。
境内で原稿を読んだ進の伝える「また、会えますか?」にはきっと、「未練がましいと嫌われちゃいますね」が含まれていたと思うんです。ただその一方で、漫画でマリアに込めた美波の「また、会えたりしないかな」には返答しているわけで、美波からの未練がましいよねも嫌われちゃうかなも丸ごと進は否定してくれたんだと思っています。書き下ろしのボイスドラマ、元々の台詞がどうだったかは分からないけれど「雨の匂いが消えないうちに、必ず」という返答がめちゃくちゃに好きでした。返歌か!となりました。…なったんですけど、そもそも雨が降ったらまた会えますか?を受けて「神社はいつも雨」をまずぶつけてくる進が強すぎますねこれ………え、強すぎる。ともかく。商業となった花時雨がどんな結末になったのかは分からないけれど、もしかしたらまだ連載中かもしれないけど、それだけで再会ハッピーエンドの気配は読者にだって届いたんじゃないかな、とも思いました。雨の匂いが変わったと思わない?から会話が始まったふたりですから。匂いが変わって、変わって、いつか消える。美波が忘れられなくて忘れようとしていた海流の香り。海流の面影を残していた道留の香りが上着から消えていくのは悲しくて、冒頭のマリアの台詞は少し寂しげで儚げに聞こえたのかもしれない。ラストでもマリアに掛けた上着からは道留の香りが消えていくわけですが、その場面でのマリアの声は明るい。もしかしたら海流からの自立を描いているのかもしれないけど、個人的には匂いが消えていくのが感じられるくらい上着を借りていられて、匂いが消えてきても笑顔でいられるくらい、道留自身がマリアの隣にいてくれているんだろうな、ふたりで幸せになれているんだろうな、という方向で解釈したラストシーンでした。だから美波と進もきっと、そんなハッピーエンドに繋がったんだと信じています。
今回震災被害に遭われた方々にもお話を伺ったと聞きました。色々なお話があって、色々な想いがあって、色々な被害があったのだと思います。作品やキャラクターに反映させるうえで拾えきれなかったものもあると思います。自分たちが朗読劇「はなしぐれ」を観劇しどこまでを受け取れているのか、そして描かれたもの以上にどんなことがあったのか、起きているのか。そして震災のことだけではなく、ものを作り上げることについて、自身で考えて前に進むことについて、性犯罪について、自分なりにでも色々と考えていかないとなと思っています。
そして今回は本当に、台本があって役者が演じてセットと音楽と演出で世界観を作り上げた、舞台って素晴らしいな…!と力強く思わされました。だって台本だけでは、芝居だけでは、演出だけでは恭介のなかにお兄ちゃんの気配を感じられることはなかった気がするんです。「はなしぐれ」が朗読劇として創り上げられたこと、それを観劇できたこと、本当に嬉しく思います。こんなにも台詞から、演出から、声音や表情から想像を膨らませ物語を考えることが出来ました。本当に、とても楽しかったです。
追記(2024.10.10)
道留のラストの「大好きだったよ」なんですけど、もしかしてこれって美波の言葉だったりしますか…?となったので備忘録として追記します。いや、その場面の道留ってマリアに背中を向けてるじゃないですか、別れの場面で。そして別れたあと、堰を切ったようにマリアはその時だけ体を進に向けて気持ちを吐露する。その体の向きがあったから、描かれたマリアのその台詞は美波から進に当てた想いだと観劇時受け取ったんです。じゃあ、道留はと。漫画を読む時って無意識すぎて分からないんですが自分ひとりで文字を追って前後の視点や状況描写から台詞の話者を判断してるのかなぁとか思うんですけど、漫画のコマに描かれたのが演出の通りに道留の背中なら、言葉を発する口元が明確に描かれていないなか、ではその吹き出しは道留の台詞だったのかと、不意に思ってしまって。もしかしたらあの道留の背中は美波から見た海流の背中で、吹き出しで寄り添わせた言葉は美波から海流にあてた言葉だったのではないかと。そんな見方もできるのではと思ってしまいました。思い始めたらその言葉は区切りとも、昇華とも受け取れるようで。海流の面影は時間が経つにつれ恭介のなかに描かれるようになっていく一方で最初の、始まりの道留は間違いなく海流の気配を色濃く描いていたはずだから。もしあの台詞が美波の言葉なら、読み手にとってあの場面に描かれたのはマリアと道留との別れでありつつもお互いを想い合うふたりの本心で、描き手である美波にとっては海流との一線、そして進への一歩なのではないかと、思った次第です。観劇時とは違う捉え方にもこうして至ったりするんだなあと、また今日も楽しいです。
朗読劇「あの星に願いを」観劇直後から先色々の殴り書き
※ネタバレしかありません※
「あの星に願いを」、今作で初めて出会いました。2023年5月27日の3公演(シリウス→プロキオン→ペテルギウス)を観劇。書くにしてもどうしたらいいのか分からなくて情緒が乱れまくっていた当日の悲鳴も一部そのままに。ただの感想を書き連ねているだけです。台本は手元にないので、台詞やら文脈やら重複箇所やら、おかしいところは見逃してください。
お目汚し失礼します。もう笑ってくれ。
・シリウス終演後
この物語、浴びながらどう分岐するんですかってずっと、思っていたんですけど、いや、祈ることしかできないよ??????
初っ端から裕介が引きこもっていたっていうんです、星羅がしんだっていって
裕介を演じる狩野翔さんが、まっすぐに背筋が伸びる方でとても元気に綺麗に笑う方だと知っているからこそ、終始背中を丸めた姿勢で縮こまっているのと、冒頭の笑おうとして笑えていないぎこちない笑顔がとても脳裏に焼き付いてしまってダメでした。
学生軸の彼らを身体で表現してくれるアンサンブルさんたち、動きと声が一心同体になってひとりのキャラクターとして形作られていくの、本当に良いなあって、素敵だなあって思っていたんです。台詞に合わせて口が動いているのも見ることが出来て、ああアンサンブルなんて名前、勿体無いなあって思ったりもしたんですがたすけて
現在軸に戻って健吾と莉緒の後悔と、抱き込んで前に進む姿を描いている間に、気付いたら裕介がね、台本のページをひたすらに捲ってるんです。どこを見つめているのって思うくらい時にはふと手の動きを緩めながら、進むのを躊躇わせながらページをめくって、本編軸に戻った時に「ずっと思い出してた」て言うんです。星羅のいた時間を、あの時の日々を思い返していた、忘れないように思い返していたって言うんです。繰り返し繰り返し、あの日々のことを考えて想い続けて、「3回目」て弘美さんの言葉、何の言葉を受けての3回って、裕介の「もうやめたい」で。ある意味星になったひとが3回目ってその言葉を受け取るのほんと、それが君の願いなの、てこと….???裕介は星羅にもう一度出会えて、その手を捕まえることができてからやっと流れ星を見つけられたのに。願いとして「まだ間に合うよな、星羅と最後まで一緒にいるのが自分の願いだから」とかなんとか、言って、自分の答えを見つけたというのはあると思うけど、裕介、また、もっと莉緒も健吾も後悔して、苦しむと思うんだ。だってそれしかないじゃないですかこの結末、ふたりともきっとなんで1人にしたちゃったんだって、もうそこからじゃん。ふたりは「またね」て言ったの、またねって、また会おうねって、きっとこの先も地に足つけていてくれるようにと願って。今日、この順番でこの物語を浴びれられて、良かったなあって、ほんと、祈ってるからね、思えるって。本当に助けて、莉緒を健吾を小松先生を星羅を裕介を助けてください、本当に、星は誰かの命だけじゃないんだっておもわせていただけたら、私はとても、とても嬉しい…
風太、先輩たちのことをよくみていて、星羅のことをよく見ていて、でも踏み込んではこなくて、いや真っ直ぐでプライドが高くて強いって、本当に、本当じゃん……………って頭を抱えることしかできなかった。ふうた、たすけて、もうそれしか言えなくてわらう、風太にですか???わからない、いや、むりじゃん、たすけてまじで、どうすれば良かった?どの時にどういう選択肢をしていたら良かったの?????
星羅とおなじ「大好きだったよ」を遺して星羅のもとへ逝ってしまった裕介。裕介に生きていてほしかった、というのとは気持ちとしては多分どこか違う、どう生きてほしかったんだろう、て思うんですけど、だからさあ、なんで
全部全部間に合えよ!!!!!!!!!!!
っておもうんですよ本当に今その気持ちでいっぱいなの本当に、本当にたすけて
でも星羅の性格上、裕介の性格上健吾の、莉緒の風太の小松先生の性格上、どう、どこで、どうしたら結末がかわったのか、生きていけない心地ですごい、どうしたら間に合ったの、今まじですごく息苦しいから本当に助けてほしい、でももうやだて、やめたいって言いたいけど言えない、言ってはいけない
ねえ、すごい体験だったといえば、それはそうなんですけど、それどころじゃなくて、たすけて????????って気持ちでいっぱいすぎて、動悸がすごい、息がつらい
あ?????なかのふうたってびょういんのこじゃないよね???????????「星羅を返しなさい」が的外れではないとかだったら泣くが????????????????
こんなにたすけてしか言えない感想ある、あるわ、泣いてる
裕介、狩野さんが途中から涙声になって鼻を啜る姿もあって、濱さんも目頭を押さえていて、もうその姿が印象的で。
星羅に手を伸ばして暗転して、落ちた音、裕介はやっと告白して、客席に灯がついて2人はそこで死んでいて公演終了アナウンスと退場アナウンスがながれてふたりをそのままに退席しなきゃいけないの、こう、あの静寂、あの誰も何もいえない、聞こえるのは鼻を啜る音と衣擦れだけ、ていう、拍手しようにも、したらすごく虚しくとけて、あの静寂を自分が体験することになるとはと、いう思いは思いとしてあるんですけど、ねえプロキオン信じてるからね???????って気持ちがすごく暴れていますたすけて、ほんと、本当にお願いします。
劇場を去る時、こうして文字を打ってる時は息苦しくなっても心臓バクバクしてても表面上平気だったのに、次の公演に入る友人の顔を見た途端泣き出したからほんと、ほんとね。すごい公演だったなあ、シリウス、そしてプロキオンほんと、信じてるので…お願いします吉岡さん…………
・プロキオン終演後
「病院に鍵忘れたみたい」でアッてなった。ふうた、君はいつから星羅を知っていたんだい…………………。
先生も風太も色々と気付いていて、それぞれ父娘に手を差し伸べようとしていたけれど、どのルートもそれだけでは分岐はおきなくて。過去は過去、変えられるのは今この先だけ、というのはもっともなことで。だから変化が起きるのが「なんでうそついたの」に対しての「見栄張っちゃった」て答えてからなの、ほんと、本当、星羅!!!!!!てなった。裕介、星羅はすぐ他人のせいにするってやっと踏み込んで怒ってたけど。そうなの、そうなの。もう居ないから遅いんだけど、遅すぎたんだけど、星羅が裕介を前に素直になってやっと、やっと変化が起こるの、起きたの、裕介の踏み出す一歩という分岐点に間に合ったの。会いに行くよが自分も逝くよじゃなくて星を見上げるよ、星羅という星を見に行くよになるの、ねえ、ひとりで星羅の元に逝った裕介が、仲間みんなと星羅という星に会いに行くの、本当によう……………もう涙が止まらなくて止まらなくてやばかったです。
分岐点になった星羅の台詞が弘美さんの「女の子は嘘ついちゃういきものなの」的な、いわゆるはぐらかしの言葉から、「見栄張った」ていうそのまま、ありのままの素直な言葉に変わったということに、そうなんだ、て裕介が飲み込めたことに、もう、なんか小松先生の「俺みたいになるなよ」を思い起こされて、こんな真っ直ぐなやり取り、先生にも届いてくれ…………となりました。先生の言う「俺みたいになるなよ」は、きっと手の差し伸べ方、差し伸べる先のことだとはおもうんですけど、だけど弘美さんは、見栄を張らない言葉を先生に伝えられたのかな、そうだったら良いなと思うなどしてしまって。遺された先生の瞳からは、こう「間に合わなかった」感も感じてしまって、人間、ひとりと向き合うだけじゃないもんね、複数に目を向けて生きていかないとだものねと思ってしまって苦しかった、難しいよなあって。でも今やっと地に足をつけた裕介が、前に進む莉緒が学校に留まる健吾がいるから、先生にももう少し、この先光が差せばいいなあと思います。本当に愛おしい夫婦だったので…私絶対大好きなので小松夫妻…。ほんと、小松夫妻の結末が変わらなかったのはだいぶ苦しくてたまらなかったなあ、
星羅の言葉からルート分岐を察せられてはいたけれど、舞台上にみんなが戻ってきてくれた時がね、本当に本当にやばかった。どうかどうかと思っていたから、物語の流れが変わったとラスト舞台に再びライトが戻ってくれた時、やっと確信できたから。もう、ルート分岐から規制退場の順番が来るまで泣きすぎてぜーはー言ってたんですけど、終演後、なんか舞台袖の奥が賑やかで、それも嬉しくて全然涙が止まらなかった。嬉しかったなあ……。
ペテルギウス公演を経て色々考えるようになって以降、割とずっと小松先生と聡さんのことを考えています。小松先生に「馬鹿」な面があることについて。考えていた理由は本編観劇中に、小松先生からの聡さんへの態度の理由が分からなかったから。病院のシーンでの「心配かけちゃうからお父さんには伝えないで」と言われているにもかかわらず「あぁお父さん、…え、向かってる?…お父さん!こっちです!」な流れの、あの、お父さんに呼びかける先生の声音。なんでお父さんを見つけて明るい声が出るのかと、ずっと考えていて。その声は2年前の初顔合わせな面談の頃から、聡さんの利き腕の包帯を見つけてから出るようになったような気がする。もし、その時の怪我が聡さん自身によるものだったとして。小松先生はその可能性に気付いて、また面談しましょう!と声を掛けたのではないか、健吾が踏み出せなかった一種のきっかけを、見落とさずに手を伸ばしていたのではないか、そう考えるようになった。
小松先生には申し訳ないのだけれど、以前の作品に先生が出ていてその際に掘り下げがあったとしたら見当違いも甚だしいことかもしれないけど、今作だけを見た人間が考えたことがふたつ。ひとつはもし先生が、鈍感という馬鹿だとしたら。小松先生は弘美さんのたくさんの嘘のなかから本音を探してると言うけれど、人間たくさん、嘘つくじゃないですか。先生に星羅の嘘、効きすぎてるんだよなぁと思って。なんで疑われなかったんだ星羅、て。嘘が分からないというか、見逃してあげてしまうというか、疑えないというか。先生がバイトのことを掘り下げなかったのは山口家の生活面をいくらか把握していたからだろうし、夏服がないのも「購入していないから」と把握していたから納得していたんだろうし。だからバイトのし過ぎを信じてしまえるし、3年間を冬服で過ごすことに触れずに来れてしまった。先生という立場からして、その辺に踏み込めていたらもっと、違う物語が待っていたのかもしれないと思ってしまう。まぁお下がりなんかはどうだと先生が言ってみたところで、冬服かわいいから気に入ってるとか星羅に言われたら、その壁に気付かず気に入ってるのかそっか、と思って引き下がる可能性はあるかもしれないけれど。そして小松先生に対して思ったこと、もうひとつは面談後の聡さんに小松先生が自身の未来を重ねてしまっていたとしたら、ということ。すでに入院していた弘美さんの病名や症状は分からないけれど、もしあの時点でこの後自身に訪れるだろう別れや喪失感を、聡さんのなかに見てしまっていたら?親として娘への愛情があることを知れた時、その利き腕の怪我にままならない現状への苦しみと妻の喪失、愛情を見ようとしてしまっていたら?この人に手を差し伸べられたらこの人を支えられたら自分は、なんて思考が無意識にも働いていたら?とか、なんとか。もし小松先生が山口聡を星羅の父親としてではなく、なり得るかもしれないこの先の自分として接している部分があったとしたら、現在軸での「(大丈夫だとは思うけど)俺みたいになるなよ」に、相手に自身を投影するなよ、の意味も含まれてしまうのではないかとも、考えてしまった。
だからどうにかして、長谷川さんと笠間さんの解釈聞けないかなーーーーーーって気持ちになります。小松先生のことをどう解釈して寄り添っていたのだろうかと。長谷川さんの小松先生は、先生然としていながらも親しみやすさがあって、だからこそ現在軸になった時健吾との会話で一歩引いたような距離を言葉端から感じてしまえた。笠間さんの小松先生はおちゃらけているというか、星羅が弘美さんに言った「そういう友だちいる」が健吾を指すんだなって瞬時に理解させられるような存在だった。健吾に近しいを一貫して感じられて、だからこそ「俺みたいになるなよ」に含まれた小松先生が危惧する健吾の姿も想像させられてしまった。…そんな小松先生がいるシリウスまじで本当にしんどかったんですよ笠間さんの小松先生、健吾には手が出るのほんと、ふたりの近しさを感じてしまって…。お二人は小松先生をどう考えて演じられていたのか、知りたすぎてたまらないのでほんと、どうかどこかで知ることができたら嬉しいなと、思うばかりです…。
健吾の責任感、後悔は、星羅への違和感を見えていたのに踏み出せなかったからだと言うけれど。「お前が殺したんだ」と叫ぶけれど。人間同士のすれ違いって、時折もうどうすることもできないよね…と頭を抱えてしまう。それでも次がないよう助けられるようにって教師になって努力し続けていられるの、ほんと、健吾は凄い男だなあとね、思ってしまいます。ただ後悔を抱いて10年歩んできた健吾には、まじで自分を大事にしてほしい。現在軸の様子から、おそらく莉緒に告ってすらいない気がして、全部全部胸に抱いたまま掲げた願いのために走ってきたんじゃないかと思うから。成功体験といったら言葉はきっと違うけれど、プロキオンで裕介が前を向いて歩き出してくれたから、多少、ほんの少しは、健吾自身の幸せについても考えてみてほしい。「青春を取り戻せ!」は健吾が口にしていた言葉なんだから。ほんと、だからこそシリウスで遺された健吾のことを思うと、本当にキツくて、苦しかった。手紙は渡した、だけど自分の言葉も想いも、本当に誰にも何も届かなかったじゃん、て。察するだけの虚無ですよ、そんな気はしていたのにの虚無ですよ、しんどすぎでは????本当に、シリウスの健吾はしんどい。ほんとにな…。そして舞台はなまものだな、とまず思わされたのは健吾だった。シリウスとプロキオンの両ルート、分岐点以外でも印象が変わったのは濱さんの動きがあったからだと思う。「ようこそ我らの楽園へ」とシリウスで仰々しく手を挙げてお辞儀してみせたのは濱さんだけだったけれど、プロキオンでは野本さんもお辞儀を合わせて健吾の台詞としてくれていた。シリウスで俺たちの友情を信じて拳を突き出した健吾に「どうかな」て同じく拳を突き出したのは星羅だけだったけれど、プロキオンでは莉緒も、裕介も拳を並べてくれた。分岐点ではなかったけれど、シリウス後の自分には心が寄ったように感じられて、本当に大好きな変化だった。
私が見た本編公演では、莉緒が公演違いでふたりいらっしゃって。濱さんの演技が、健吾の元気さが変わるんですよ。濱さんだけじゃなくてあの4人組の空気感が変わる。キャストが変わることの醍醐味だなーって思いました。一村さんの莉緒の溌剌さ、感情が乗る言葉の揺れ具合はもう恋する気持ちに精一杯って思わされた。「今なら言える気がする」「もう待たない!」勢いに説得力しかなくて、大好きだった。私こんな良い女じゃんって健吾にブチギレる時、一村さんに合わせて椅子にダンッて勢い良く足を乗せる祐花さん。磯部さんの莉緒は、もう「尽くす系だよね」って言葉の説得力がすごい。そして心のどこかで恋を諦めているように、OKをもらっても信じきれていないように思えてならなくて苦しかった。莉緒としての緩急の使い方、表現の仕方が全然違って、小松先生とはまた違った意味で、一村さんと磯部さんにはどう莉緒と向き合って解釈して作り上げていったのか、祐花さんも交えて聞いてみたいなあという気持ちです。というか恋心を知ってから聞く「作りすぎたクッキー消費したいし」ってどう思います??言って帰ってから作ってたらかわいいが増すよね…。あと裕介の好きな飲み物がコンポタっていうね、オリオン座が見えるようになった2学期のはじまり、自販機にあったか〜いが並ぶのも9月10月頃じゃないですか。莉緒が裕介の好みを把握したのは今年じゃないんだろうな、自販機に並び始めてすぐ気付いていたんじゃないかなと考えると、たまらない気持ちになります。
ところで私、莉緒に対する星羅の「(裕介が歌上手いこと)知らなかった?」がめちゃくちゃに突き刺さっていて。幼馴染マウントというか、もう、星羅!!!てなった。もう、裕介のことが好き、なんてかわいい言葉じゃないんじゃないかって、そんな言葉じゃ足りないんじゃないかって思わされる台詞だった。そのやり取りで莉緒は裕介が好きなんだと察せられたし、星羅から向く裕介への気持ちの大きさも感じられた。星羅の強さって分かりにくいなと思っていたんです。強いのは分かるんだけど、その強度というか。南さんの星羅はとてもハキハキしていて、風太のいうまっすぐで強い人という印象を裏付けるようだった。その一方で荒井さんの星羅はどこか静かな部分があって。もしかしたら心も身体も限界だけど、声だけは元気にと振り絞っていたのかもしれない、とか考えてしまった。莉緒と付き合うようになって病院に見舞いも来なかった裕介、星羅はたぶん自分からの留守電なんて聞かないと思ったんだろうな。触れるのが怖いものには触らないのが裕介だと。思ってやっと、聞かれないという前提があってやっと、「やっぱり寂しい」を溢せたんだろうなあとか、思ってしまって。聞かれない留守電ってほぼ独り言のようなものだし、手紙のような一方通行のメッセージだからこそ、溢せたんだろうなあとほんと。聞かれてたら言えなかったんじゃないかなあ、星羅。強いというか意地っ張りというか、素直になれない器用すぎて不器用な子だなあと、思ってしまった。それはもちろん、環境のせいもあるんだろう。強くいないといけなかったんだろう。掴めるようで掴めない裕介、お互いが踏み込めなくなっていたのは痛いよなあと考えてしまう。プロキオンで最後「見栄張ったゃった」と裕介を前にして素直になれた星羅。シリウスでそれと対にあるのは、星羅の元へ行く一緒にいたいんだと想いを叫ぶ裕介への「いいの?」だったんじゃないかなと思っていて。来てくれる、がどういう意味かを分かった上で、それでも一緒にいたいという想いが表に出たまっすぐで素直な言葉。かなしいけれど、とてもとても綺麗に響いて聴こえた。
聡さんは、もしかしたらお母さんを失ったことを一緒に悲しんでくれる星羅が、あの時どうしても必要だったんじゃないかなあと、思えて。『裕介の思い出』で見えた昔の聡さんは、裕介にも優しく接する星羅のお父さんで、奥さんを亡くしている陰が見えない印象だった。それが一気に崩れる「星羅に何言ったの」を私は今井さんのお声で聞いたけれど、あそこに居たのは中神さんが演じるのと同じ星羅のお父さんだった。きっと聡さんも我慢強い人だったんじゃないかなあ、とか考えてしまう。星羅は心のどこかでずっと、優しいお父さんを信じていたようだし。ふたりは似ているんじゃないかな。だから幼少期に屋上で迷子になったあの日、何かが動き出して二人がすれ違うことになってしまったのかもしれない。「違う、俺が殺した」という裕介の言葉の重みが増してしまったように感じられた。いやだって星羅を元気付けたくて言った星羅のお母さんはお星様になってそこにいるよ、がお父さんにとっての地雷だなんて分かんないじゃないか…。お母さんがいなくて寂しいと泣く星羅のために、聡さんは強くあろうとしたのかもしれない。頑張っていたんだろうな。だけど裕介が星羅に寄り添って、お母さんの死に星羅が一区切りつけてしまったから、親子ふたりの方向性というか、見ている先が変わってしまったんじゃないかなという印象でした。裕介、頑張って星羅を笑顔にしたのにお父さんからあの無機物みたいな声を浴びることになるの、そりゃ山口家に踏み込めなくなるよ…と思ってしまった。あの無機質な声、怖いんだけど、でもそれは警戒心なのかなとも感じていて。きっと聡さん、勝手に組まれた面談以外では多分怒ってはないんですよね。いやどうなんだろう、とりあえず私の印象としてですが。いくつもの心配を抱いていて、個々の心配事に意識を向けるその匙加減に狂いがあるのかなと考えてみたりした。自己愛が強そうというかまあ生活方面とか諸々がヤバいことには変わりないし、それで星羅がひたすら追い詰められていたことには変わりないんだけど。行政とか頼る手もあったはずなんだけどね。作中どのキャラクターにも感じられるけど、手を差し伸べるって難しいよねと思わされてばかりでした。手を借りるも同様に。聡さん、声を発する登場人物としては唯一の単独キャストで。でも中神さんおひとりだからこその筋が、作品に一本通って各公演を結びつけていたんじゃないかと思う。ところで小松先生が利き腕の怪我に気付いて以降、聡さんと関わりを持ってきたわけだけれど。星羅の死後、10年後、聡さんはどうしているんだろう。小松先生の「俺みたいに」の意味が上乗せされなければ良いなあと、願う。
一方で、護りたいものを最小限に絞って手を離さなかったのが風太だよなあ…となっています。「うるさい黙れ!」て唯一声を荒げた場面、とても好きでした。きっと前に進むために本音を話すって、どんな場面でも大切なんだろうなと思わされて。現在軸で莉緒に誰が胸の内にいても構わないと未来を語る風太は、だけど学生時代は割とずっと星羅に目を向けていて、君のその心には星羅がいるのかいとか思う時もありましたが。学生時代でも現在軸でも、なんだかんだ風太は莉緒にはちゃんと素直な言葉を言えていたから、違うのかもなとも思った。まあでも嫌いだったけど一転して結婚した小松夫妻のように、大切な存在になるっていうのは先の読めないものだから、本当のところは分からないけれど。今井さんがどう解釈していたのかは気になるところです。風太は星羅のその強さに脆さ、危うさを含めた上でオリオンのようだと思いつつ、星羅にとってのアルテミスは裕介だと、たぶん心の拠り所というか気持ちを傾ける相手という意味のほうで伝えたんだろうなと思う。ただ神話にはオリオンを殺したのはアルテミスというお話もあるので、まあなんともな…という気持ちにね、なったものです。なったんだけど裕介にはアルテミスに似ているとだけ伝えたり、莉緒に星羅はオリオンみたいとだけ伝えたりするところ、言葉と言葉を繋げる気がないのはなんだったんだろうか。本人が話したいように話しただけなのか、それとも星羅と裕介の2人はお互い好きあっているよねと、言葉にしたくなかったのか。どうなんだろうな。現在軸での莉緒との会話、あれはプロポーズ済みで莉緒が返答保留にしていたんだろうなと思っていて。そのタイミングで「秀才くんなんで」て言ってくるところ、どんな莉緒さんでも愛せるんだを自身の心だけじゃなくこの先の努力でもって誓っているようで、そして努力できる人間だと知ってるでしょうと莉緒に投げかけているようで、とても好きな言い回しだった。風太と莉緒にはほんと、幸せになってほしい。あと話が逸れるんですけど屋上で星羅から紹介してもらった時、今井さんは下手で話しているのに風太は上手にいたと思うんですけど、あれはどのような演出意図があったんだろうと気になっています。後から小松先生が来るから?
幸せを祈るとどうしても、小松夫妻を思ってしまっていけない。弘美さんは素直になれたんだろうか。弘美さん、初めストーリーテラーの役割を持つのかと思ったんです。入江さんのお声がとても静かに、けれど強く耳に届く響きをされていたから。たぶん星になったんであろう弘美さんは、現在軸でずっと裕介を見守っていた。星羅の見舞いに行っていないからこそ、会ったことのないはずの裕介を。星羅のことがあったから、ずっと気に掛かっていたのかなと思ってしまって。直接出会って会話して交流があったのは星羅だけど、その言葉の端々から裕介の存在の大きさを感じとっていたのかもしれない。だからどうにか導こうと、見守っていたんじゃないかなあ。幸助さんとやり取りをする弘美さん、声音が絶妙に甘くて大好きだった。だけど素直な幸助さんの言葉には被せるように即茶化して。まっすぐに受け取れない弘美さんを微笑ましく、けれど物語の顛末を思うとどうにも苦しく感じた。死ぬのを待つんだと星羅に語るのも、幸助さんにグレープフルーツジュースが飲みたいと言うのも、本当に戯れなのかな、嘘なのかなと考えてしまって。グレープフルーツとの飲み合わせが悪い薬、ほんと色々あるから、幸助さんを試すにしては冗談じゃ済まなさすぎるじゃないですか。もう、なんなのほんと、危険さに気付いて大事に思ってくれてるんだなって思いたいのかな、生きていてほしいって願ってくれてると思いたいのかな、とか意味深に考えてしまうんですけど、どうしたら良いんですかね。でももし幸助さんが鈍感だったら、薬の備考欄に禁止って書いてあったからやめよう、的なだけの思考かもしれない。先生どうなんですか。ただ願うのは、ココアが弘美さんの好きな飲み物だったら嬉しいなということです。弘美さんの女の子は嘘ついちゃういきものなの、って、どうしても素直になれないって意味もあるのかなあとか考えだしてしまったら、弘美さゆの台詞が、入江さんのお声が泣きそうにも悲鳴にも聞こえてきてしまってだめでした。生きているあいだに幸助さんとどんなやり取りが出来たのかな、本当はずっと一途に好きだったんだって伝えている気はしないけれど、伝えたいことを伝えきれていたら良いな、と思うばかりです。言い逃げもありそうだけど。それにしても小松先生のお名前が幸助さんっていうの、頭抱えたくなってしまいますよね…。
病室から幸助さんや星羅を見守って、その後裕介を見守ってくれた弘美さん。そしてたくさんの登場人物に寄り添ってくれたSachiさん。私あのスカートがスクリーンになる演出が大好きでした。あんなにピタッと今まで動いていたスカートを止めてスクリーンに出来るのすごくない????って見入ってしまった。本当に素敵でした。私があまり踊りによる舞台表現、感情表現を見てきていないから、多分とてもとても取りこぼしていると思う。それが本当に悔しい。つま先、指の先までしなやかで、慈しみに溢れていたというか。もし輝く星なのだとしたら、その光はとてもあたたかい輝きをしていました。ただ南さんに寄り添う荒井さんをSachiさんが包み込むところ、あのシーンのSachiさんのことを私は星羅のお母さんだと思って受け取っていました。とても個人的な解釈ですが。
あと個人的に表現として、美藤さんのコンポタを受け取る時の裕介が大好きで。昼では取りこぼしたりちょっとしたハプニングも起きてたけど、ほんとにあったか〜いんじゃないかな??って思うくらい、持ち方が熱いものを持ってる持ち方で。ホット缶熱いよね…!ってなって、微笑ましく思えて好きだった。熱いものはあついで、我慢しきれない子なんだろうなって。それと星羅を捕まえる裕介の、もう縋り付いてるんじゃないかっていう、あの必死さも。切実そうに必死そうに、確かめるように星羅の腕に頭から抱きついくその姿がとても、裕介の心からの動きなんだと思わされた。裕介の言葉は、どうしてあんなにもひらがなに聞こえるんだろう、と思っていました。迷子の子どもじみたというか。この10年、学生時代を繰り返し思い返していた裕介は、その時間で星羅をとてもとても大事に抱いてきたんですよね。前に進んだ莉緒と風太の同棲シーンから始まる、裕介の過去を振り返るページ捲り。それが本当にすき。私が見た裕介は狩野さんだったけれど、汐谷さんはどのように思い返していたんだろう、どんな声を発していたんだろう。複数キャストが同一キャラクターを演じるとなると、そういった部分がとても興味深いなと思う。台本の最初の方を他よりも早く捲るのは、そこに星羅がいないからかもしれない。星羅との思い出を深く、大事に思い返していたのかなあと思いつつ、その時折彷徨う手は、どこを思い出していたんだろうと想いを馳せてしまう。裕介が星羅を見つめる表情、とても良かったなあ…と思い出しては泣きそうになります。「あれが星羅」って、まっすぐ、子どもの頃屋上で星羅と星を見上げた思い出の「あれがお母さん!」をなぞるように言うプロキオンの裕介も、「まだ間に合うよな」とずっと星羅の隣にいたいという願いを叶えに、星羅の隣に寄り添いに行くシリウスの裕介も、どちらも星羅を今も変わらずとても大切にしているんだと感じられたし、そして星羅との思い出を10年抱き続けた男……という感じもした。頼りなさげに見える背中の裕介がずっと抱え続けてきた感情の発露。シリウスの裕介のラストまでの流れは、迷い込んだ先の見えない迷路にやっとひとつ光が差して、それに向かって脇目も振らず足元も見ずに出口だと思って一気に駆け抜けたんだろうなあと感じられて。裕介がやっと、気持ちに正直に動いた。だからきっと裕介に後悔はないんだろう。その選択は間違いじゃないんだろう。だからシリウスの方がきっと裕介にとってはハッピーエンドなんだろうなと、思うんです……ふたりが結ばれたんだしそれはそう…星になったら星座になりそうなラストでしたものね……遺された側を思ってしまうと苦い顔をしてしますが。裕介にとってはね。青春を取り戻せ!と裕介は健吾がなんか言ってる、と手紙で自分へのメッセージとして残したけれど、それを読んだ裕介は何を思ったんだろう。思い出やその時の感情を取り戻しに走り抜けたのか、取り戻して抱きしめようと向き合ったのか。裕介にとってルートの違いは、取り戻し方の違い、だったのかもしれないなあと思いました。
関係ないんですけどペテルギウス公演で私、下手側にいたんです。出てくる前から男性キャストさんたちのやる気に満ちた掛け声(吉岡さんの声に呼応)が聴こえて。それから皆さんが凄い素敵な笑顔で出てきてくれたんです。本編を引きずっていたから正直その笑顔を見ただけで涙出たよね…。本編中の狩野さんについてはなんか、そこにいるのは金田裕介だと思って見ていたので、『裕介の思い出』で狩野さんが本編よりも明るく無邪気なお声で裕介を演じていているのを見て、声優さんだあ…ってなんか改めて実感しました。その声のトーンのおかげで聡さんの「裕介くん、星羅に何言ったの」を浴びた裕介の停止っぷりを察せられてしまってやばかったのですが。もう、怒られた、じゃないんですよね空気感が。得体の知れない何か大変なことをしてしまった、ていう空気が一瞬で全体を支配して、震えた。あれすごかったなあ…。中神さんの聡さんでも浴びてみたかったです。ちなみに本編軸とイベント時の差がもう凄まじくて、ペテルギウスで笑いすぎてふかふかなシブゲキの椅子で一瞬滑ったのは内緒です。
この作品を見て、登場人物たちそれぞれが1人ひとり人間なんだと強く感じさせられました。自分として生きている人間。そして心と体、言葉はイコールじゃないということを再認識しました。身体表現が心の全てじゃない、発する言葉が心の全てじゃないんだっていう、当たり前なんだけど大切なこと。そして表に出たものを別の人間が受け取って、関わり合おうとすることで起こるすれ違いや、意図は違うけれども噛み合って支え合える、そんなバランスの難しさも考えさせられました。そこにキャラクターを演じる演者たちがそれぞれの解釈でもって色を足していく。キャラクターと生きていく。織りなされていくその複雑さは、どれもとても色濃くて、考えさせられるばかりでした。
吉岡さんは観客が見て思ったもの、感じたもの全てが正解なんだと言葉にしてくださった。物語を受けてああだこうだと考えること、それは星々を繋いで星座を描くことに似ているのかもしれない。オリオン座の物語。月の物語。オリオンとアルテミスの物語。おおいぬ座の物語。こいぬ座の物語。シリウス、プロキオン、ペテルギウスを繋いだ冬の大三角の物語。星々を繋いだら無数の星座が生まれるし、星のひとつひとつにも、たくさんの願いと想いから描かれた物語がある。だからこの感想も、数多ある「あの星に願いを」の感想のひとつとして、数えてもらえたらいいなと思います。
この作品を客席側で見届けられたこと、めちゃくちゃに泣いたこと、感じた沢山の感想は、この先忘れることはないと思います。そしてこの朗読劇を通して、声優さんって凄いな…!?と何度思わされたでしょう。作品作りへの熱量を、これでもかと感じさせられました。素晴らしい出会いばかりでした。
本当に素敵な、堪らない観劇体験でした。本当にありがとうございました。
アフタートークまってます!!!!!!←
「Candy Boy 7周年公演〜カヌレに恋した王様〜」初参加の感想文
誘っていただきまして、初のCandy Boy公演に参加させてもらいました!!!
素敵なポストも使ってみたかったのですが、誰に送るものでもないなと思って。これはただのオタクが書き殴った、ネタバレ込みの感想なだけのものです。ダメだったら教えてください。問題があれば対応します。
ところで、私は今回初めてカヌレを食べました。色んなカヌレが色んな場所で売られるようになるうちに迷ってしまって、ほんと、きっかけがなかっただけなんですけどね。思い出の出来た初カヌレ、とても美味しかったです。
自分の公演参加については、以前よりカフェ公演でのやり取りなどを色々話に聞いていたのもあり、何が起こるのか分からず初参加は一体どういったものになるのかと、当日まで日々震えていたのが正直なところでした。今回の公演は演劇がメインとあって、個人的にはとても馴染みやすかったです。ご挨拶させていただいたファンの皆さんもとても優しく気さくな方々で、当日はほんの少しの緊張で済むことが出来ました。本当に感謝しかありません。
本編で愛や感謝も伝えられたけれど、その根底にあるのはブレることのない信頼で、頭を抱えたオタクです。
めっちゃ信じてるんだよなーーーーーーーってなりました。すごい、良く信じ続けたな…って。
公演概要を読んで、Candy Boyのカフェ公演がどういうテイストなのかを以前から聞いていたので、シンデレラ…妃候補を探したりするのかな…とか、ぼんやり思っていたんです。思ってたんですけどね。フランソワまじでジョゼフィーヌしか見てないやん……となるばかりでした。「またこうして3人で話そう」的なことを、カヌレを持ってきたピノに言うフランソワに対して、今ここにいるのってフランソワとピノとカヌレ(食べ物)なんですが大丈夫??という気持ちにさせられて。
物語の半ばあたりはもう、フランソワ一発殴ったほうが良いのでは…??とか思ってました。ほんと。
アノン姫に執着するフランソワの、彼女の為ならなんでもするさの行動力。治世は…?と思っていたのが正直なところで。アノン姫の願いを叶えようと無理難題を呑むフランソワのやり方が、わがままなのはアノン姫であったとしても、そこに財を費やし、負けて痩せ衰えたはずの国を率いている気配がみられなくてので、ほんと、「更に多くのものを失った」んだろうな…となりました。無理難題を呑むだけならまだしも、その後1年無気力お水生活だし。他にやることが絶対あったのよ、気力を無くした王様ほんと治世……ジョゼフィーヌ以外の存在見えてる?となって、お陰でとりあえず一発フランソワ殴らない?という思考に至るのでした。
殴らない?とは思ったけれど、だけどやっぱり彼は王様で。ルチルを差し出すか否かという選択に拒否することが出来たの、あれがなかったら、本当にフレールがフランソワを見限っていてもおかしくなかったんだろうな、と思いました。もしかしたら拒否という答えによって、フランソワを信じ直せたのかもしれないなあと。
ねーーーーーフレール、頑張ってたよねえ。頑張ってたよ。外交もして、以前アルマンにフランソワと比べたら全然ダメって言われた女性との接し方と剣術を日々学んで、国のことを考えて。家族はもうフランソワしかいない、と嘆くのをアルマンに国民の皆が家族なんだと、家族だから言葉にして伝えるんだと言われたフレール。アルマンのオブラートに包まない言葉に自分が学ぶべきところを見出した側だからこそ、言葉にすることの力も理解したんだと良いなあと思いました。話さなくても伝わってるよ派だったフレールに、いやその結果な現状を見よう?と思っていた人間なので…。物語の半ばでフレールの手がフランソワに届かない、届けられない演出が続いていたので、剣を持って兄弟喧嘩をして声、想いが届いたのを見届けられたのは嬉しかったです。何より、開門した後に城へ戻るフレールの、肩の荷が降りたようなすっきりとした軽やかな足取りが忘れられません。
相関図を見るとフレールともしっかり主従関係にあるアルマンが、フランソワだけでなくフレールの傍にいてくれたことはとても大きかったと思います。フレールはまだまだ導かれる側でもあったんだろうなあと。アルマンの口調や声音からそれなりの年齢なのかとは思っていましたが、ご子息を失ってたとは思わず…。なかなかに衝撃でした。代々王家に仕えてきたということは、恐らくご子息も王家の誰かに仕えていたのでしょうか。未来を求めて自分の立場で自分の仕事に専念するアルマンが描かれたことで、ジョゼフィーヌに留まるフランソワの停滞が更に際立つなと、思ってなりませんでした。
フランソワほんとな…。ピノが言葉で伝えられないまま口をつぐんでしまう時に感じた圧倒的身分差。そんな身分差があれど友としての存在でいてくれと言う王は、結局ジョゼフィーヌの話がしたいだけで。…公演概要すごいですよね…カヌレを挟んだ彼らのやり取りを見て震えましたもん、こんなことになっていたの…?と。
フランソワが王として国を導く為に、考え得る最善を尽くそうとするピノは、フランソワなら出来るとずっと信じていたんだろうなあと思います。ジョゼフィーヌを思い出させる存在を消してでも、フランソワが目を覚ましてくれれば。それは完全に自分も含めて消そうと覚悟しているはずで、そんな場面でよくマントゥールはピノを信じて、そして厨房に隠れていてもらえるよう説得出来たなあと思います。嘘をつくことに否定的でないからこそ、察するところがあったのでしょうか。ピノや仕立て屋の口からは、一度も金のロバの毛皮とは言っていなかったはずなので…。それにしても、人を傷つけて終わらせないための後腐れのない嘘はサッとつけるマントゥールが、隠し事に関してはバレバレな嘘っぽくなっちゃうの、正直ちょっと微笑ましく思ってしまいました。オネットとマントゥールの、互いを指摘はすれど否定はしないで時にぶつかりあうような、正反対だけど気持ちのいい友人関係を見せられて、何度ねぇフランソワ!!となったことか。オネットも嘘は良くないと言うけれど、では今ここに真実は必要なのか、傷付けはさないかと、考えて判断する、本当にとても優しい人なんだなあと思いました。金のロバがまだいるのかもしれないと人々が信じる理由がオネットの言葉であったように、正直者は信頼が厚いなあとも思って。彼が嘘に距離を置く人間だからこそ、マントゥールと同調された時には良い具合に混乱させられました。結局ねずみ男はいたのか、それとも誰も傷つかない嘘があったということなのか。ここまでくると、宮廷ねずみ男がいても良いのかもしれないという気にすらなってきます。さすがにないとは思うけど。道化師かな。
宮廷お抱え組、最初はちょっと胡散臭さを感じてたんですよ。お抱え組としての複数人を、ひとりが入れ替わり立ち替わり演じるから。別人なのか、誰かひとり他国勢が紛れ込んでルチルを狙ってたりするのかな?とか、色々考えてしまったわけです。神父は自分への感謝はちゃんと言って欲しがるし、仕立て屋はどんな無理難題のドレスも作り上げるしで。だけど思い返せば、本当にそのままの意味なんですよね。言わなくても伝わってるよ派の人間にも想いを言葉にしてもらうのはとても大事なことだと、物語を見れば考えさせられることで。仕立て屋も、王様の命を達成するべく力を尽くしているだけなんですよね。お抱え組、王の忠臣たちの姿そのものだったんだろうなあと今、改めて思います。
正直私は「この気持ち花束に込めて」を、かわいいなあと思いながら微笑ましく聴く人間なので、どこの誰とも知らない姫のために花束を集めて(それを活けたのは私たちであるという)それをドレスに仕立て上げられた時の、あの、曲の意味が色々変わるんだよ…という動揺は正直泣きそうになりました。アノン姫を諦めてくれないかなと個人的にも思っていたので、自分たちの花がドレスになってしまったの、本当に気持ちがざわついてしまった。相手がジョゼフィーヌだと分かった上だったら、また違う受け取り方が出来たんだと思うんですけどね。お抱え組との間で起きた色々は、この物語をもう一回見れたら見方が随分変わって、新しい発見が得られそうだなと思うばかりでした。普通に劇として、もう1回見れない?と思っています。
というか、既存曲が今目の前で繰り広げられる最新の物語の一部となれるの、すごくないですか。物語も紡げるし、作中で笑顔を生む力も持つし。Candy Boyの曲ってすごい。カフェで披露しても埃は立たず食器も音を立てなさそうな楽曲が多くて、なるほどカフェ公演を行う人たちだな、という印象でしたけど、物語にもなれる。すごいなぁって思いました。びっくりしました。必要最低限でただ生きるだけの日々に、無駄なことこそ必要なんだという道化師の言葉は、歌って手を叩いて皆で笑顔になったあの場で、説得力しかなかったです。アルマンもフレールも一緒に笑顔になれたのが嬉しくて、どこかでフランソワが見ていたりしないかと、2階を見たりと探してしまいました。
ね。劇中に一緒に手を叩くの、楽しかったです。こっちは物語に気圧されて真顔で見入ってしまっていたから、あの時、楽しいに巻き込まれて一緒に笑えたのが本当に気持ち良かったです。
クリスマスマーケットのインスタライブ映像では客席の様子はほぼ分からなくて、初めて行った現場となったアイスクリーム博覧会にて、ようやく客席とのやり取りをちゃんと見ることができて。皆めっちゃ一緒に踊るじゃん…と思っていたんです。
なるほど一緒にやるのは楽しいですね。「おそろいのハンカチ」がずっと大好きだったので、お揃いのハンカチを一緒に振れたこと、とても嬉しかったです。
誰かと目を合わせてるんだろうなって目をしていたり、楽しそうにアイコンタクトを取って笑いあっているのも見ました。目線の距離が密なあの一体感は、きっとCandy Boyだからこそなんだろうなぁと感じられました。
フレールよりも女性との触れ合いに心得があって、フレールよりも剣術の得意なフランソワが、自国民は皆家族であると認識していたことが本当にたまらなくて。フレールはアルマンから教わったばかりだったけれど、フランソワはそのことをすでに理解していたんですよね。くっこれが王か…となりました。そして、皆が彼の王位を否定せずにそれぞれが努力して待ち続けていたのは、彼の王たる姿を信じていたからなのかなと。フランソワに広がっていた曇り空が晴れたんでしょうね。誰も彼もが、フランソワのことを信じて待っていた。だからこそ最後にフランソワから想いを伝えられた皆の顔が忘れられなくて。そして感謝の言葉を告げるフランソワがまっすぐで。ありがとうの感謝も、抱く愛も、根底にはどんな時でも信じているという想いが強くあるのだと、そう思わされる物語でした。
そしてそれは、きっとCandy Boyとファンとの関係もそうなんだろうと感じました。Candy Boyの皆さんが挨拶で述べてくれたこと、それを受け取って笑顔を返すファンの皆さんとの間には、確実に7年の月日で積み重ねてきた信頼があるのでしょう。公演を通して笑顔を通して、互いに、こんなにも想いあって信じあっているのだぞと、見せつけられたような心地でした。ファンと一緒に信じあい笑いあって進んできた、これがCandy Boyなんだろうなと思わされました。Candy Boyを「知る」初めての公演がこの公演で、本当に良かったです。
お見送り。していただいたのですが、いかんせん人の名前と顔を覚えるのが苦手な私は、大変な失礼をしたと思います。本当に申し訳ない限りでした。
皆さんそれぞれにお伝えしたいことはあったのですが、特に何かを言えた記憶がなく……まあ、そんなもんですよね。
次の機会があれば、自分から名前を呼べたら良いなと思います。…出来たらいいな。
改めまして、Candy Boy 7周年、本当におめでとうございます!!!
舞台作品やお仕事をしている皆さんに、今日まで触れたことがないわけではなかったんです。私にとってのカヌレのようでした。触れるきっかけを作っていただけたこと、7周年というこの機会にお会い出来たこと、直接知ることが出来たこと、嬉しく思います。本当にありがとうございました。とてもとても楽しかったです。
この先も素敵な日々となりますよう。
またお会い出来たら嬉しいです。
せっかくなので追記
……………
公式HPのプロフィール記載順で失礼します。
奥谷くん
フランソワがずっと沈んでいたから、劇中最後の「Oh!シンデレラ」をとても素敵な笑顔で力強く踊っていたのをみて、めっちゃ元気じゃんって嬉しくなりました。お見送りの時、まっすぐ向き合ってお話してくださってありがとうございました。
山本くん
オネットが正直者だけどこれは言えない…!と葛藤しているところ、その優しさがかわいいなあと思って見ていました。ふと顔を横に向けたら、こちらを見ている?となる時があって。その姿が楽しそうで、誰かと目を合わせているんだろうなあと、こちらまで楽しくなりました。
福留くん
物語のはじめに見た、ピノの寂しそうな笑顔が忘れられません。ピノほとんどずっとひとりだったから、福留くんの笑顔を見れたのがとても嬉しかったです。笑顔を向けるというより、笑顔でこちらを見ていてくれる人なんだなあと思いました。
安孫子くん
ガイダンスの時から言葉が聞こえてくるような、すごく表情で語る人だなあと思っていました。そしたらアルマンの年齢を声音で見せてこられて。安孫子くんの出演舞台があったら行こうと、その場で思っていました。
宮城くん
お見送りの一番手で、色々吹っ飛んだ私にとても優しく対応してくださり、本当にありがとうございました。次はちゃんとしよう、と心に誓いました。お抱え道化師の時の笑顔が、皆も笑顔になろうよと言っているように感じられて。笑顔を向けられるのが嬉しかったです。
川島くん
今回一番ご縁をもらえた人だと思っています。この歌声は誰だろうと思っていた部分が川島くんだった時の、君か!感は感激すらしました。目が合ってるのかなーと思う時間があったんですけど、どうだったんでしょうか。挨拶でまだ加入して2年過ぎたくらいと聞いて、そうとは思えずびっくりしました。
前田くん
記憶がもう、「君とアン・ドゥ・トロワ」で足がめちゃくちゃ高く上がっていて、となってにいた安孫子くんの目尻にぶつかるんじゃないかとびっくりしたことに囚われています。笑っていると思ったら、笑顔を消して鋭い目線を見せてくるの、魅せる人だなあと思いました。
笑顔の向け方は色々あるのだと、今回何度も気付かされました。Candy Boyの皆さんの笑顔、ファンの皆さんの笑顔。まるで言葉が交わされているかのようでした。素敵な空間に出会うことが出来たこと、嬉しく思うばかりです。
Candy Boy7周年公演、本当に楽しかったです!!!行って良かった!!!