一生パートナーを変えず雄が持つ育児嚢で繁殖を行う、安産祈願守とされ、薬としての効能もありそのため人間に獲られる、とかなんとか。タツノオトシゴと検索したらはじめに出てくる情報だけを眺めて臨んだ今作。
生まれることの出来なかった子どもたちと表記はあったけれども、その実ボックスにいるあの子たちは人為的に生を与えられなかった命たちだった。人為的ではなく生まれられなかった命は、ではどうなるんだろうと思いつつ。
正直初見時は個人的な思考で私はひどい顔をしていたことだろう、眉根が寄っていた気しかしないし、睨んでいたかもしれない。難しい話だなあと思った。
今回のとっ散らかり具合がヤバいです。いつも以上に整えてない…いやいつもだけど。本気で思いつくままの私の脳内直送メモだと思っていただければ………読ませる気ないよねみたいな…。
というわけで以下、ネタバレとたられば。
2024年10月18日公演観劇です。語感良すぎて好きすぎた豚レバーがアドリブだったなんて。
とりあえずなんだけれど、オトシモノはお供物なんじゃないかなあと思っていて。届いたものにどこか温かみがあったのも、胸があったかくなったのも、それがそれぞれに宛てられたお手紙やお供え物がつまったギフトボックスなら、そこに詰められているのはあの子たちを想い偲ぶ愛であるはずだから、と思って。マダムが花を選ぶのも、宛名なく届けられるものだからなのではとか思ったり。オトシモノに入っていたタツノオトシゴのお守りは、竜太がソラに渡して、そして突き返されたもの。それが届いてしまったから、マダムは回収したんだろう。序盤も序盤、竜太が記憶を取り戻す可能性もあったから。2人を見つけたソラが添わせて供えたのか、所持品も落ちてきやすいのか、それとも。竜太が最後にマダムと交換したオトシモノの中身もタツノオトシゴのお守りだったんじゃないかなあと思っています。それか箱だったし、ボックスでの思い出か。最近なにかの前触れのように増えていたオトシモノの時間。今日が誰かにとってのその日となってしまうのはもちろんあるとして、現世では天災も人災も、感染症の大流行だって起こっている。オトシモノがお供え物なら、そうした状況でせめてと手を合わせる人たちが尽きないのだろうと思いたいし、そうでありたいと思う。
オトシゴから死神になったら死がなくなる。マダムとしんちゃんはそうして死ねなくなったけれど、オトシゴはその時間に限りがあって。自分の銃を持って行かれたしんちゃん、気が気じゃなかったんじゃないかなあ。形だけでみたらジャックはしんちゃんという死神の代行者のように感じた。
ジャックが春と秋を送ったのは、手放せない、手放さない兄がいる自分だからだろうと思う。死神でないものが送り返すなら、その命はどこにいくのか。閻魔大王がいるのだから輪廻を信じたい気持ちがある。とか、ソワレの時は考えていたけれど作中で明言されていた。ふたりに「新しい家族」をあげようって。同じ場所で途切れたいのち、きっとふたりはまた次も隣り合って生を受けるのだろうと思いたい。けれど春が望んだ4人で一緒の幸せは手に入らないのだろうなとおもうと、どうにもやるせない気持ちにもなる。夏、すごく笑顔が弾けて子どもらしくてにこにこそわそわ体で感情を表すような可愛らしさいっぱいの子だったけれど、使命を継ぐようになってからは遠目からでもわかるほど背筋がピンと伸びていて、異なる存在なのではと思わされた。
夏への銃声が響いた時、椅子にかけさせるよう夏の肩をそっと押しやったジャックの手が優しすぎて震えた。なんだあの手。メロが大事になって、いつしか丸くなったマダムは態度口調その全てからメロへの気持ちが滲んでいたけれど、ジャックも夏が大事になっていたんだろうなと思った。彼女の強さも分かっていた人。そして本に書かれた内容、使命を途切らせないため彼女の大事な姉弟を送って手元に引き込んだ。期待を込めてなんだろうけど、それはそれとして勝手なんだよなあジャック。使命を担うことを夏は了承していましたか??ずっとジャックをおじさんと慕っていた夏とは、本当に秋にも春にも気付かれないところで親交を深めていっていたんだろうな。ところでそうなると、オトシモノが現世からのお供え物説を取った際にジャックは招待状をどうやってオトシモノに入れられた?という話になってきますね。お供え物説はないかもしれないという自己完結を迎えそうになる。ただ台本ではなんでジャックからの招待状がここに?というニュアンスだった夏の反応、日向さんは届くのが分かっていたように自然にサラッと反応していて共謀みが増す感じがとても良かったです。いつも通りすぎて初見時は流してしまったもの。協力者がいたら別だけど、とりあえずおじさんマジックとしておこう。ほんと、これからのことに夏は了承していたんだろうか。そして最後の夏(N)は、姉弟もおじさんもいなくなったこの先も夏のままでいられるのだろうか。
登場人物説明は読んでからの観劇だったから、初手の感想が新入りのメロに偵察行かせるんかい!だったわけなんですが。最初の辺りを黒くする影、ほんとにメロを狙っていてそれをマダムが撃退していたんですね台本…。メロを返らせようとする気配をマダムは感じ取っていたのかもしれない。メロが他者に触発されるようき自己性を確立させていく姿に、その成長と時間経過を感じられて良かったなあと思いつつ。メロ宛のお手紙がもしお供え物ならメロは本名だけれど、名付けの前であっても、込められた想いでオトシモノは宛先を得るのかもしれないよねと思う。メロの成長にはマダムからの学びも様々にあるだろうなあと思っているのですが、だから正直秋を留めるためのあの投げかけを、最初に感じた通り微笑ましいものとして見ていていいのか、なんなのか、考える時間が増えるたびに分からなくなっていきました。成長過程が垣間見られるからこそメロは本当に強くなると思えてならない。少なくとも2回目の観劇において、私はあの子をしたたかな子だなと思うようになっていったので。
ところで、佐々木って性別の自認どうなってると思います?というのも、弟と呼ばれお兄ちゃんと呼ばれた秋に対して「男の子だったんだろうな」って秋の言動を受けてから言うんですよ、大きくなったなの同意として。秋ちゃん正真正銘男の子だよ??となったんですけど、佐々木がオトシゴになった時期って安定期もまだの本当に早い時期だったと思うので…親が性別を把握する前の。男の子なんだけど、男の子として接せられていないから性別の概念は根付いてないんじゃないかなぁと思って。佐々木にそれを教えられるとして神様なんでしょうけど、本人が知りたがっても教えたところでの情報だとも思うんですよね。名前の由来が電気ネズミなことも伝えていなかった様子だし。佐々木はボックスにいる時間が長いのか、オトシモノの時間での対応に手慣れていて自分の役割も確立させているけれど、何にでもすごく純粋に心から食いついてはしゃぐ、本当に子どもらしくてすごくかわいかった。そしてけなげでやさしい子。「教えた覚えないわよ!」って言われていたから、花子より後にボックスに来たのかなあとも思ったり、花子がキャッチした子だったりしないかなぁと夢見てみたりしています。
花子、好きに触れられた時一気に口調が崩れるのがもうかわいくてかわいくて…………お金のキラキラに隠して心のうちにキラキラをずっと持っていたんだなぁって。隠すことの巧さはどこか子ども離れして見えるけれども、それでも花子頑張れよってなる。なりました心から。なるんですけど、花子のあの傷ってなんだったの?という気持ちと「あたしにしか出来ない仕事」に拘りがあるなら、彼女ワンチャン死神…って思ってました。選ばれたら、そのままなりそうというか。ミナトの言い方から何も言わずにいなくなることが今までにもあったようなニュアンスだったし、同じように作中で怪我をした描写のある人がひとりいるし。そして「マダムが死神」なんて情報、声が届かない離れた距離で竜太の無線機は壊されていてマダムの近くには竜太しかいなかったはずなのに、どうやって得た情報だったんだろうなとも思って。無線機能妨害しといて無線機つけたままのマダムが自分の正体バラしたとかってある?貸してって言われてはいたけれども、あの場面でマダムが装備していた可能性ってどうなんだろう。
実のところマダムに唆された竜太が海花を手にかける時、凶器が銃だとは思わなかったんですよね。まるで締めるような竜太の強張りと、銃声あったっけ?という認識からだったんですけど、あの舞台では台本が銃の役割もするんですよね。だから竜太の体の強張りは引鉄を引く最後の一歩を踏み出すかの葛藤だったのかと思えて。責任転嫁したけど。「やっちゃった」の発言、ボックス初キャッチの「やっちゃった」と言葉が同じでぞわりとしました。成功体験と同じ言い回しをするんじゃない。死神の銃で海花を撃つことにマダムの躊躇いがなかったということは、海花は死ぬ運命にあったんだろう。彼女のいた部屋は新生児室というよりはNICUあたりだろうか。死ぬ運命にあるなら少しくらい面白くなりそうなことをしてやろうと、その時マダムは思ったのかもしれない。そんな企みを思いつきそうな、唆しそうな奴だと神様に思われていたから仕組まれた。神様の助けたいと言う言葉に嘘がないなら、マダムは場を整えられた状態で、神様に試されたんだろうと思う。チャンスを与えられていた。賭けられたとも言えるかもしれない。またひと匙の己の欲のために周りを誑かすのか、己に課された役目だけを全うするのか、そういった類の。そしてそれはきっと喧嘩の種じゃないはずだったのではと、思う。…ところで台本を読むに海花の誕生日と逝去日は12/31、竜太が自分に銃を向けるタイミングでまた鐘が鳴るから最悪竜太は翌年1/1逝去の可能性があるってことになるんでしょうか。タイミングでしかないけど年跨ぎの有無がこの親子に生じるのもなんか、後味の悪さの尾を引かせるようで重苦しく感じます。
そんなふたりを目の当たりにしてからナイフを握ったソラ。享年28とのことだったけれど、竜太は早生まれだったのかな。死神の銃声、銃槍も血も現世に残らないのではと思うので、ソラが見た海花と竜太は傷ひとつない姿だったのかもしれないし、海花にとっての銃槍は父親の手だったかもしれない。結んで、離れて、戻って、断ち切って、失う…その実奪われた関係になった。酷い話。それはそう。だけどひとつだけソラに思うのは、入籍報告をする前にちゃんと授かった命の話を竜太と共有するべきだったんじゃないかということで。きっとソラは竜太を信じていたんだと思う。この人となら大丈夫って。だけど蓋を開けてみたら出てきた話はおろしてってお願いで、実際見えていなかった現実もあって。立て続けに色んなことが降りかかって、きっと自分が夢見た未来も崩れ落ちていて、本当に限界だったんだろうと思う。ソラを限界にさせた原因はもちろん竜太にもあるんだと思う。できたから結婚したんじゃないの?ソラが言わなかったんだから、それは違う、違くないかもしれないけどそれだけじゃないはずなんだ。その女誰よ!写真なのか会話履歴なのか明かされていない、擦り減って余裕の欠片もないソラが誤解したのかもしれない。お金に困ってるなら言ってよ。聞く耳持たずで竜太を信じられず疑いもしない。竜太に頼った家計だったのかもしれない、お金に不安があるならそもそも堕ろさずの判断をしなかったかもしれない。「誰の子だよ!」お前の子だが??とはなるけれど、聞く耳持たずの早とちりは似たもの同士なのかもしれない。竜太の夢に出てこないのなら愛花は死んではいないんだろう、自分の子だと思ってなくて意識から弾かれてるなら違うけど。そんなまさか。愛花、正直この環境下なら里子か施設かと思ってしまう。家族のままでいられてソラの実家か。竜太だって無職になってしまったし、濡れ衣で前科ついたかもしれないし。本当に、お互いがひとつずつ向き合って、耳を傾けあって話し合っていっていたら、何か、どこか違っていたのかもしれないなと、思ってしまう。願いたくなってしまいました。私は。もちろん見限るのも手のうちだったよと思いつつ。
冬については、生まれないことを選んだ春と、冬と繋いだ手を離してしまった秋のことがあるから、もしかしたら冬は生を受けたのかもしれない。男女の性差はある三つ子だったし、早産児だったとしても、もしかしたら可能性はあるのではと。ジャックのいう「念願の妹に会える」はやっぱり春と秋を送った先が冬の生きる現世だからなのではないだろうかと、思っている。そしてもしかしたら自分から生を手放した春だから、冬の心拍だけ確認できる状態で流産死産のはざまで、まだ3人は母胎内にいるかもしれない。でもそうしたら、やっぱり夏はどうなるんだろうな。可能性だけを考えればいくらでも祈れてしまう。だから春にも「いなくなれ、邪魔だ」と言った母親の声は、春たちに向けたものではなかったのかもしれないよ、とも思えてもしまう。だって相手は4人をお腹に抱えて、姉妹弟妹だってわかるまで宿していたお母さんだから。言葉は本物であっても、その矛先が誰かなんて春には分からない。お腹を守っていたのなら、お母さんが他のものから4人を守っていたのかもしれないから。ただ私からひとつだけ言えるのは、たとえ春たちの味方のお母さんじゃなくても、お母さんの周りが酷いという状態でも、4人でいられたら、生きた先で自分がいたことでうまれた失いたくない何かを得られたなら、生まれたくなかったを結論として出して良いのかずっと迷って選べなくなると思うから、ならいっそ踏み出してみても良かったんじゃないかなあと私は思うよ、ってことで。無責任だけどそんなことを私は思う。あの人たちの声が聞こえていたら生まれてこなかったのに、約5ヶ月動かず丸1日出てこようともせずだった畜生はやっぱり生まれたくなかったんじゃないの?と繰り返し考えていた時期もあるので大目にみてほしい。だから私は、声を聞いて、判断して、妹弟を守る決断をした春の心を尊敬します。
ところで気付いたのが最後のジャックとしんちゃんの場面だったんですけど、いつからBGMにさざなみの音は聴こえていましたか??あの場面で、音の大きさでやっと耳に届いて。その後の竜太とミナトのシーンでも小さく聴こえていたので…エアコンや送風機の音じゃないよなと思いつつ。私の気のせいならそれまでだ。正直まだ時間なくて配信で確認出来ていないので…申し訳ない。で。私はさざなみの音を聴くと海の場面でない限り似た音であるという胎内音、そこから回帰、再生、始まり等を連想します。というか、そういった舞台演出にいくつか出会ってきたので。大きなさざなみの音に包まれながら時間を迎えたジャックはきっと正しく返ったんだろうなと思ったんです。きっと輪廻転生の輪のなかというものに。次の命になることと、今大事な弟と一緒にいられる時間。どちらも大切だと思うしんちゃんはぎりぎりまで粘っちゃったのかなあと思ったり。だってオトシゴで兄弟って双子じゃないですか、ボックス内で兄弟という関係性を特別に構築していない限り。もう別れだ送らなきゃ殺さなきゃって覚悟したしんちゃんの苦悩と優しさを見越していたジャックもまた優しい子だったと思う。そしてしんちゃんに死神の銃が返ったということは夏は本と使命を受け継いだだけということになって、そしたら夏はどうオトシゴを送る使命を果たすんだろう?とも考えだしてしまった。オトシゴが突然いなくなることもあるって話だし、死神だけでなくオトシゴであるジャックが「大して成果の出せなかった」というんだから、銃以外にも手段はありそうで。どうなのかな。その手段というのが冒頭でメロを襲った暗いものかもしれないけれど。
さざなみの音があったとして。ずっとその音が流れていたのなら、ボックスって胎内に通ずるものってことですかね。オトシモノにお供え物説が残るなら区域としてのボックスは、子どもたちを想うゆりかごのようなものだろうかと初めは考えていたけれども。現世と繋がる一本道もあるし、舞台装飾の正方形にも赤い一本と繋がったものもあったし。ボックスから返された子どもはその時々で誰かの母胎に宿るのではないかなあなんて、思うなどしています。どうだろうね、でも胎内に繋がる話ならジャックの持つ本(台本)が赤かったのも納得できる気がするんですよね。ただ観劇後の今、ネット環境を使える今、天国でも地獄でもない中間にあるボックスはバルドとは関係あるのだろうかとか、ぼんやり思ったりもしています。
銃以外の可能性をジャックの持っている本で考えていました。そのかたちは「本」、閻魔大王がいるからと「仏教」、対ボックスの子どもたちというので「死者」、を組み合わせて検索した結果チベット仏教における「死者の書」という仏典にあたりました。深くは触れる気はないですがジャックが持っていた正義として役に立つことができる書が同様のものであるならば、それはしんちゃんの仕事の一助となるものだったのではと、思いたいところです。しんちゃん、閻魔大王ですし。
かもしれないを繰り返して想像し続けるのが私は楽しいのと、答えを絞るのが勿体無いというか、ひとりで結論付ける度胸はご覧の通りないので、皆さんどう思います??って聞きたい。突然の暴投。
ボックスは次に生まれるための中間期間なのかもしれないし、胎内に通ずるものかもしれないし、また別のものかもしれない。
ジャックが持つ書はしんちゃん、閻魔大王の仕事を助けるものかもしれないし、次の転生への手助けとなるものかもしれない。
オトシゴが排除対象なのは、次の命となるためかもしれないし、解脱を迎える最大のチャンスを逃さないためでもあるのかもしれない。
ただこの物語で輪廻をあるものとして、子どもたちが先へ進む理由があるとしたら。産まれられなかった第一のいのちがあって、ボックスのなかで人の姿と自我を第二のいのちとして得たとき隣に無二の片割れである兄弟がいたら、自分にその次があると分かっていても今、片割れと一緒にいきたいってなるよねきっと……と、思う説得力も増されるのではと思い、噛み締めています。ジャックたちの言う時間切れ。死者が迎える時間といえば四十九日、十三王がおられるなら三十三回忌までが思い当たるけれど、どうなんでしょう。ジャックの正義が前述の書に通ずるものなら返るのは早ければ早い方が良いんでしょうし、そうであるならタイムリミットの重さも増すように感じられます。
秋が三つ子の末っ子から自分で立ち上がり、願い、選ぶ姿はどれも姉のいない時に見られて。自分対他者である時に見せる秋の自我は、みつの総意ではなく秋の意思に他ならなかった。メロが立ち上がったように秋も立ち上がった。メロにマダムが絆されたように、秋の存在もジャックには響くものがあったのではないかと思んですよね、まっすぐな生きたいを受けて。最後に少し素直になる足掛かりになったりしてないかなぁとか、思ったりしていますがどうなんでしょうね。まあ、生きたいって認識でいるのは秋だけなんでしょうけど。
まあ。とかなんとか、言ってますけども。なんかパッと行きついた似たニュアンスから考えることなんてどうにだって出来ますからね。それが真相だとか思う頭はありません。これはもう想像や妄想でしかない域の話。というかそうじゃないとだって、「なんでジャックはジャックって名前であんな死神みたいなビジュアルしてるんだよ死神じゃないのに」「死神ねーーーーハロウィン近いし。そういやジャック・オ・ランタンってなんでジャックなんだろう」「……なんかワンチャン繋がりありそうな名前…いやどうかな」って思考回路すらまかり通しちゃうんですからね!でもしんちゃんもジャックもマダムも、オトシゴとしての記憶から拾ってきた名前にしては仮というか役職名みが強すぎるから名付けられる前に命を落とすことになってしまったのかなとは思ったりしていましたが。ジャックがもし本当にそうで人を導きつつ彷徨っていたというのなら、彼が返っていった時の「おかえり」にもなんかまたニュアンスが深まる気配はあるなあって、しない味を噛み締めています。
マダムの名前については、閻魔大王の座を狙ったりの野心家なところがボックスにいた頃からのものなら、みんなで仲良く一緒にオトシモノを取るぞ、の連携にハマりにくかったのかなあとか考えます。ボックス内で少しでも自由に優位に動けるポジションとして見つけたのがみんなのお母さんポジなら、マダムの名前のカテゴリーはマリーアントワネットに近いんだろうなと思った。
連想ゲームに興じてるだけの戯言なのは忘れずに。
けれどジャックに正義があるとしたら、もちろん相対する悪もあって。だからここで一度、オトシゴは排除対象という認識であるからボックスにいる子どもたちは排除対象であり今の、いわゆる第二のいのちを持ち続けようとする姿勢は悪に分類される、としてみる。輪廻転生の輪に返り次の生へ向かうべきというのが彼の正義であり終着点であると仮定して。その場合、オトシゴのなかで唯一明確に彼の正義に添った子どもがいるんですよね。「冬ちゃんのところに行く!」と。冬がやはり現世に生まれていた場合、夏の言葉は再び現世へ返ろうという意思に他ならなくて、だからこそジャックも使命を夏に託したのではないかと思えてくる。一瞬でも終着点を同じくしたものとして。双子のオトシゴとしては三つ子のオトシゴなんて気にならないわけがないし。呼び出されたのが春だけで秋が付いてきちゃったかたちになったのは、秋も来ると分かっていたからか、「3人一緒だ」と現世へ向く夏の意思をボックスに縛られたと早々に春が悪(仮)とみなされてしまっていたからか、いまここで姉弟妹ならタイムラグがあっても現世でまた出会えると信じているからか、そもそも返すタイミングにこだわりがなかったのか。でも夏が選ばれたことに理由があるなら、描かれた台詞のなかではやっぱりそこが理由かなあと、考えています。そんなに早くから目をつけていたのなら、マダムも夏については知ってたんじゃないかなあと思うんですけど、どうなんですかね。マダムなら自分とメロについて指摘されたら代わりにジャックと夏について突いてきそうなのに言われるままで。戯れに突けないほど夏の存在と計画はマダムにも共有されていたのかもしれない。完全敵対とも言い難いふたりだと感じたので、そんなこともあるかもねの戯言として。
ところで閻魔大王って地蔵菩薩と同一存在とみられているんですってね。輪廻転生の輪に還るにはオトシゴは次のいのちとなる必要があって。だけど地蔵菩薩は子どもの守護尊としての信仰をもつから、子を亡くした親の、失った子に心を寄せる家族の想いが届くんですよね、きっと。だからしんちゃんはボックスの子どもたちに手を出さず、ずっと見守っていたんじゃないかなあと思います。自分もかつてはそうであったから。しんちゃんの前には、かつての自分と同じような子どもたちが自我を持ち死した己として第二のいのちを生きる様が、あの子がどうか安らかにと祈る現世から届く声の願いが叶った景色が広がっているのだと思うし、その願いは自身もジャックに、マダムに向ける想いでもあるのかもしれないから。第二のいのちとして生きている子どもたちを問答無用で返すなんて出来ないよね…人好きの神様だもの。だからこそジャックが別に動くのだと思う。一緒にいる優しいしんちゃんの抱えた仕事を手伝える、唯一の弟として。そこに特別さを見ても許されるだろうか。
竜太の、覚えていない、自分は悪くない、は本当に本当に酷い話だと思う。覚えていなくても今目の前の営みで共生すべく出来ることをやってくれよと思う。ボックス内ではそうだったんじゃないの?と思うたびに拳を握ったわけですが。記憶をなくす前の自分との齟齬に戸惑いもあっただろうし、ボックス内での様子を見るに根っからのどうしようもなさというわけではないだろう竜太だけれど、戸惑う自分を親身になって支えてくれる人がいなかったらダメなんだろうな、とは思わされて。もらいたがるそれを相手に返せないのに、自分からの一歩がないのに「もう疲れた」じゃないのよ。自己保身に逃げるのではなく自分からも寄り添うということを学ぶには、ボックス内での共同生活は時間が足りなさすぎたんじゃないかなと思い、冒頭で偵察が怖くて逃げたメロがよぎった。人の成長速度は違うし、何を学び取るかも違うし、準備万端になってから時間切れを迎えられるわけでは決してないんだよなと、改めて噛み締めたところでした。
でも、ところなんだけど、最後現世に繋がる道でのミナトと竜太の会話。えぐくなかったですか?私はあのシーンが一番キツかったです。愛していた幸せ家族があったんだよ、みたいな空気を出すな現実覚えてないのか??と。ミナトに格好つけたいのか、本気で現実をそう捉えていたのか、ミナトにだけはそう思っていて欲しかったのか。自分を忘れてくれとか言うくせに。忘れさせたいなら本当の関係を全部曝け出して見限られれば良かったのに。竜太には出来ないんだろうなと心底思わされました。だからこそ、その場面ですごく幸せの気配を表情から声音から滲ませるからこそ、そこからの顛末が余計に響くんですよね…。
愛はひとつの呪いだと、どこかでは言うけれど。
「お父さんって呼ばないでくれ」と、懇願しつつ最期まで見続けた家族の夢。マダムが再び現れたのだから、ラストの竜太は99歳の竜太だったんだろう。酷いなと言ってくれた竜太へ。愛を、囁かれる家庭の夢を罰として生涯受け取って苦しんでくれた竜太へ。あなたが許しは人から与えられるものだと思ってくれていることに、なんだか涙が出ました。生涯許されないでいてくれてありがとうと思った。神様の言うとおりなら99歳までの人生は2人分の人生を背負った償いであって、閻魔大王としての正式な沙汰はこれからだと思うんですよね。
佐々木の健気さを家族にも縋って、自分も忘れられたい幸福を祈られたいとか甘い夢をみるんじゃないよ、そういうところだよお父さん。
…ところで。
とあるポストから前説のおふたりが吉岡さんと林さんだと知りました。お声を聞きながら、こんな関係のふたり組ボックスにいたかなぁと思い、ああ声は揃えても抑揚はバラけるんだなぁと思っていました。これがボックスで仲良くしてた頃のジャックとマダムだったら私の脳内が大変なことになりますオタクなので。ほんと、どうなんでしょう。そしてそうなると、メロと秋のシーンを見る色が増えます。重ねてしまいますよ、寂しがり屋というか仲良く一緒にいたかったメロと自分を見てくれる存在よりも姉を選んだ秋に、ふたりを。
どうしましょう。
そして、親より先に死んだ子どもたちを親不孝と扱う賽の河原に対し、生まれるより先に親から殺された子どもたちを集わせたのがボックス…?とか、今また考え始めています。作品を受けて考えだしたことではあるけれど、私の思考を垂れ流すことで作品の邪魔になっていたら申し訳ないばかりです。
本当は舞台タツノオトシゴで吉岡さんに出会うはずでした。だけど今、このタイミングでこの作品に出会えて良かったと心の底から思います。舞台作品から朗読劇に形を変えて、きっとブラッシュアップもされて、今か今かとたくさんの人が待ち望み迎えた幕開け。時折我が身を振り返りつつ、こんな気持ちでこの作品を迎えられた自分をどこか誇らしくも思います。やっと会えました。生まれてきてくれてありがとう。
さて、自分はこれからどう生きていこうか。どう判断と行動を続けていけるだろうか。観劇後ひと呼吸ついて、そんなことを思いました。