真白にオレンジ、そして青

書き殴ってくスタイル

科白劇 舞台刀剣乱舞/灯 綺伝いくさ世の徒花(※打ち消し線が入ります) 改変いくさ世の徒花の記憶 観劇直後の殴り書き

2020/7/17昼に観劇したものです。

 

 

 

 

 

 

パライソ……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


舞台刀剣乱舞、観劇致しました。

 


新型コロナウイルスの件があり、正直観劇を直前まで迷いました。

除菌と検温とソーシャルディスタンスを徹底したこの公演では本当に人と近付くことがなく、あるとすれば手洗いと観劇の熱冷めやらぬ退出時といった自らが距離を開けるべきタイミングのみなので、その2点くらいを忘れなければあとは本当にスタッフの方々の指示に従えばというような、とても心強い対策がされていました。関係者の皆様、本当にありがとうございます。

寒いと聞いていて、座席的に冷風直撃の気配がしたので秋物カーディガンとお腹用のマフラータオルと膝用のハンドタオルを用意してみました。元々の気温が高くなかったから、そこまで冷房をきかせていなかったのかも分かりませんが。

 

 

 

 

 

 

 


届けられた、他本丸での特命調査の報告書。

それを紐解く物語でした。


え、どっちがどっちの本丸??


って思ってしまった。


科白劇と聞いて、報告書を読んで過去を語り聞かせてくれるのかと思っていたんですけど、まさかの他本丸。他本丸の報告書。

講談師の方は刀装。報告書を手に入れた本丸の刀剣男士たちに視認される存在でした。なんてこったい。

 

 

慶長熊本に派遣された部隊は3組に分かれて様子を探っていくのですが個人的にはもう、もうですよ。そこ!!!山姥切長義と亀甲貞宗!!!!丁寧に物騒。丁寧に物騒(大好きありがとう)。あらぬ疑いを掛けられたことを逆手に取って交渉に持ち込む丁寧に物騒なコンビが個人的に大好きすぎたのですが、交渉の場で酒を勧められた長義はいうわけです「酒は飲めないんでね」

 

酒は!!!飲めない!!!!?????

 

あの本丸なら腹割るようになったのね…ってなるんですけど他所の本丸なら個体差!てなります。ただ情報を聞き出そうという場で自身の弱みを先に零すというのも手としては…手としてはあるのか…?とか思ってしまうんですがどうなんでしょう。策士なのか?と思いながら、どっちの本丸…てなりながら、長義を見ることしか出来ない。だってあの本丸での物語を知ってる刀剣男士は長義と歌仙のみじゃないですか。

だからどの本丸かの判断材料も含めて見てしまうんですけど、山姥切長義、ふたりで交渉持ち込んだ時に後ろ向いて亀甲に話を任せるんですけど、その時の首を傾げた雰囲気がすごい見知った山姥切国広を思わされて。どけ、だか替われ、だか言った時の言い方もどことなく山姥切国広の言い方を思い出したりもして。本歌〜!てなりました。亀甲と長義、元々あわよくばと話し合っていたのかなぁ…政府所属の監査官だった山姥切長義と並べる亀甲ほんと好き。あと椅子に座るときに両膝そろえて右に流す座り方が綺麗すぎて、これが国宝の座り方か…と心で拝みました。長義はどっかり座って思いっきり足組んでました。美しいが高慢、他に臆する事がないを座り方ひとつで体現しているようでしたがそう椅子!!!!!!椅子捌き!!!!!!!椅子滑るんですけどその椅子捌きがやばいんですよマジでほんと…山姥切長義が……椅子…あそこは山姥切長義のターンだと思う……心臓撃ち抜かれたかとおもった…


そして籠手切江と獅子王との会話の中で、この本丸は文久土佐の特命調査に小烏丸を向かわせていたと触れられる。あの本丸なのか、それとも同じ編成をしていた別本丸なのか…。長義が、歴史を守ることを刀の本能だと言い表すけれど、それは南海太郎朝尊がいればどの本丸にでも出会う可能性がある言葉だと思うから、そういった自本丸での物語に触れない限り生まれないだろう言葉については判断材料には出来ないなとも思うんですよね。

ところでここで獅子王が小烏丸の真似をするんですけどマジで本当にめちゃくちゃ似てるんで驚いて欲しい。平安太刀とか喜びそうでやばい。


にっかり青江がさ〜〜〜〜〜なんかもうにっかり青江なんですよ。私だってミュも観てる。向こうのにっかり青江も知っております。大磨上の大脇差の気配がする青江からも、脇差然とするにっかり青江からも揃って同じような声が聞こえてくるのはなんなの声帯にっかり青江なの??????

そして気付いたら二刀開眼によって斬られていたので脇差と打刀が来たら身構えるようになりました。ひと呼吸置くわけでもなく繰り出されるからもうね、あーッてなる。なった。

あと青江と亀甲のコンビがとてもとても好きでにこにこしてしまった。気が合うね!

 

キリシタン大名たちは血気盛んな方々もいたけど総じて慈悲深い方々なんですよ。なんですけども黒田孝高………………

 


ねぇ、やっぱり黒田官兵衛は怖いよ。


敵対する黒田官兵衛めちゃくちゃに怖いよ。

 

 

ていうか、わぁジョ伝と同じキャストだ〜とか思ってた私へ!!!喜んでる場合じゃないわ!!!!!

なに、なに放棄された世界で同じ時間軸を繰り返す中で別の時間軸で生きた己の記憶も持ち合わせるようになったって???????

ジョ伝の黒田官兵衛の記憶を持ち合わせる黒田孝高!!!!!が!だからこそ今の自分が同じ時間軸を繰り返していると気付いている男が!刀剣男士と対立する位置にいるの本当の本当に心臓に悪くてですね……………ていうか本当に怖くて………知略で丸め込まされるのでは、というのももちろんなんですけど、黒田孝高、最期に諦めるんですよ。どうせここで果てても時間はまた繰り返される、と…

願いが叶うまで繰り返してみせるという意志のある言い方ではなくて、今生を生き切ることを諦めてしまっているような語り口で。

ふと三日月宗近を思い出しましたよね。

その時に相対したのは山姥切長義まさかの一振りなのですが、ジョ伝の記憶に山姥切国広がいたと言われた時に自分こそが本科山姥切であると、刃持ちて語らうと言ってくるんですよ。刃持ちて。

ただ、この本丸の山姥切長義は凄く仕事人って感じのする刀で。ことを事前に把握して備えておきたいという。本能に従い歴史を守る。それだけのために刀を振るえる刀のようでした。

 

 


この放棄された世界が紡ぐのは花の物語か、それとも蛇の物語か。

 

 


ガラシャ様は夫忠興が憎くて、自分たちキリシタンの末路を嘆いて神の国を作り上げた。ガラシャ様と時間遡行軍の手により自身の結末を知った他のキリシタン大名たちも、生きたい、そう願って国を治めて天下を取ろうとしていた。不遇の死をなかったことに、生きながらえるために。キリシタンとして、ひとりの人間としての決意。

だけど地蔵行平と行動を共にして、細川忠興の刀であると、忠興の心もここにあると訴えた地蔵行平と縁を交わしてガラシャ様はもしや、と自身の心に気付いてしまって。忠興様に蛇と称された己の心。

己の内のまことはどちらかと、答えを探しに走れるガラシャ様はやっぱり強いひとだなぁと思ってしまう。

講談師の方が史実に触れてくれて、忠興様はどうしたってガラシャ様を愛していたんだなぁと思わされて。だからこそ、忠興様とガラシャ様の邂逅が美しかった。お前が憎いと、憎いのは愛おしいからだと咽び伏す忠興様に向けて、あなたが憎くて憎くて愛おしくてと、自身の心を確かめるように、愛おしくてと、心の内のまことはこれぞと確かめるように、泣いてしまうような声で繰り返すガラシャ様が、愛を持って確かに向き合えた忠興様に斬られようとする。


のを


斬れない忠興様。



斬り伏せてしまったガラシャ様を守らんとした高山右近………

 


ここ思わず別作品で過ちって意味のタイトルがついた壮大な曲が脳内をよぎりましたよね……

 

個人的に高山右近って大河の軍師官兵衛に出てきた高山右近のイメージが強くて、こう、綺伝でもあなたはそういうお人だった……みたいなキャラクターをしていてとてもとても慈悲深いお方で。

 

なのに!!!なんで!!そんな人に刀を振るわせるの!!!!血に染めてしまえるの!!!!どうして!!!!そんな美しい景色を血で染めてしまえるの!!!!!!高山右近にその手を血で汚させて!!!!!!!なんで!!!!!!!!


あの夫婦を好きだと思っていた人なのに…

 


夫を失って、ガラシャ様はガラシャ様ではなくなってしまわれた。

 


文久土佐の特命調査の時の土佐藩士たちのように、白く

 

 


……………土佐藩士ってさぁ、髪白くなって顔黒くなって服真っ黒になったじゃないですか?

 

 

 

 


ガラシャ様がウェーブのかかった長い白髪に金の肩章と蛇が柄として施され真っ白なパンツスタイルの麗人になるなんて誰が思った???????????????

 

 

 

麗しすぎてやばい。


忠興様と幸せに暮らして赤子に子守唄を歌ってあげていた(歌ありました)可憐なあの人が、ならざるものになって堕ちた先の姿が美しすぎていけない…

 

 

そして守ると言う地蔵に、ガラシャ様はそれは無用だと言って袖に手を伸ばす!飛んでくる長物!

 


薙刀!!!!!!!!!

 


ほんの少しの金を差し色にしたパンツ姿のまっっしろなガラシャ様が薙刀を扱うのが本当の本当に格好良くてですね……なにあれ……


なにあれ…。

 

 

ていうか地蔵行平が「姉上」と呼んでいた理由がガラシャ様に呼ぶよう言われたからなのやばくないですか。

それまではただ地蔵が逃げるがままだったのに、姉上と呼ばせることで立場を生じさせたの、やばくないですか…。

衝動的に連れ去ってしまって、刀の本能とは別にあなたに生きていて欲しいと願うその心はどこから来るのかと問われて、それは自分が持つ忠興様の心からだと伝える地蔵。心はここに。

だけどそれ以上にガラシャ様に鬼と呼ばれた歌仙兼定がもう!もうね…

細川から明智に渡った地蔵行平には弟という肉親の立場を提示し、夫忠興の愛刀を鬼と呼んだガラシャ様のお心は計り知れないけれど。鬼が来たのねと呟くガラシャ様の背後にボス戦1週目の寄り添う夫婦像があるの、本当に泣くかと思った。そしてガラシャ様から直接鬼と呼ばれた歌仙は、鬼と呼ばれたからにはと決意を新たにした歌仙はその胸に何を思ったか。

作中仲睦まじい夫婦の姿も見せてもらえたんですけど、その時そこに在ったんでしょうね、ふたりの会話に楽しそうに口を挟む歌仙がいて。その景色があまりにも尊くて咽び泣くところだったんですけど、忠興様の物語を持ち、ふたりの愛を近くで見てきた歌仙兼定なんですよね…


「鬼の妻には蛇がお似合いでしょう」

キリシタンの未来のためにいて貰わねば困ると守られ、キリシタンだからこそ自死を選べないガラシャ様を終わらせることが出来るのは誰かに斬られるしかなくて、夫を憎んだことを忠興様から許されたかったけれどもその夫は斬り伏せられてしまって、そんな彼女を忠興様の元へ行けるよう斬る、歌仙兼定。彼女が鬼と呼んだ刀。細川忠興の愛刀。


そして何よりガラシャ様の最期があまりにも美しくて、美しくてたまらなかったんですよ。

だって光に包まれる。光輪のような美しい金色の光に包まれて、そして砕け散る。手を合わせそうになった。まるで神を見たような心地になって、あぁ解放されたんだ…と思った。その後のEDで真っ白なキリシタン大名の方々が白地に金の装飾をされた衣装で出てくるんですけど、それがなんか、同じ時間軸を繰り返して繰り返して繰り返してきた彼らが、パライソに至った景色のように思えて泣きたくなってしまった。

 

キリシタン大名たちは、負け戦であると認めているんだと思います。

彼らは国を作るという目的があって動いていたのに、自身の姿も白く、白地に金の施しがある装いに変わっていて、刀剣男士たちと戦わなければならない時が来たのだと、そう悟って。

そのなかで、神はいないのではと嘆いてしまう。だけどそれに神はいるよって付喪神が返す。たまらなかったです。

獅子王キリシタン大名たちを鵺みたいなものだと出会った当初から言い表していて、なるほど特命調査に獅子王はもってこいなのかもしれない、と思わされました。存在の本質を見抜けるというか。おそらく時間を繰り返すなかで塗り重ねられた己の意志や、記憶も、色んなものが合わさって今の彼らが成り立っている。そんな彼らも文久土佐藩士たちのように、意志が残ってどこか朧になっている部分もあったのかもしれないけれど。今回のキリシタン大名たちは刀剣以外の武器を手にして戦います。あれらが海外の武器なのかは私の知識では全く分からない。槍しか分からなかったごめん。

キリシタン大名らも土佐藩士のように、縁ある物が形をつくった存在ではなかったのか。放棄された世界を構築するものは何なのか、謎は深まるばかりでした。

 

刀剣男士たちを取り巻く謎は、話が進むごとにどんどんどんどん深まるんですけど、その度にあの本丸の三日月宗近がチラつくんですよね…。何かがそこにある気がするんですけど、明確な答えは分からないまま。暗闇に手を伸ばしているような心地になります。

もっと情報を集めて、調べなければ。

と、入手した他本丸の報告書をソーシャルディスタンスのため(忠告ありがとう刀装講談師)に投げ渡された山姥切長義は、今回入手したもの以外にも多くの報告書が集まっているとして、自本丸が出陣した特命調査と異なる点を探し出そうとしていました。その熱は出陣した慶長熊本で、重大な何かがあったのだとしか思えなくて。

正直特命調査を比較して調べて異なる点を探す、という行為に驚いてしまったんですが、なんだろう、自分たちが相対した物語を史実の通りに戻す、物語を食って強くなる、物語を見届け受けとめる、とかいう次元の話ではなくなってるじゃないですかもう。もっと違う何かが起きていて、それを本丸総出で調べているような。何があったのか、本当に気になる……

ここでは情報共有が出来てるんだろうな、とか思いながら。


「おや主」と歌仙は、あの時の陸奥守吉行のように主に話しかけます。

この本丸での特命調査慶長熊本は、細川ガラシャ細川忠興の物語は、いつか必ず語ろうと。

そして、2020年に厄介なことが起こっていてその調査に乗り出す、それが終わったら。

 


的なことを言うんですけど、待ってそれは大演練の話ですか????????

(観劇した友人に言ったら、厄介ってマイナスなイメージの言葉じゃない?て言われました。なるほど、じゃあコロナのことかもしれない)

 

つまり報告書を入手した本丸が今まで私たちが見届けてきた本丸であって、彼らが今回見せてくれたのは他本丸で行われた特命調査の記憶であったということでよろしいのでしょうか。…悲伝から先の時間軸で平行する本丸が生じてどの本丸も居る時間軸が違うだけの同じ本丸とかそんなことはない…と思いたい…。

綺伝の文字にしっかり打ち消し線入ってますもんね。

あとOPとED歌わないし。番傘ないし。


そうなると今回の物語、刀剣男士を16振り見ていたということですよね…?

だから今回の物語を食った刀剣男士たちは別の本丸の彼らなので、あの麗しいガラシャ様にあなたは良き刀だと、夫もさぞあなたを自慢に思っていたことでしょうと微笑んでもらっていた歌仙兼定は、私たちが初めて目にした個体の歌仙兼定になる。

報告書を記した本丸の山姥切長義は周りから山姥切長義と呼ばれていて、周りに仲間がいる中で酒が飲めないのも自分から言ってしまえるあたり山姥切長義として受け入れられているんだなぁと思ってしまった。この本丸では慈伝のような騒動はなかったのではないかとすら。人様の事情を聞かされても歴史を守る為に斬るという判断がブレなくて、交渉の場でも引く気配を見せない山姥切長義めちゃくちゃに強いんです。長義の殺陣、変わらず速くて鋭利で大好きなんですけど、今まで見てきた本丸の山姥切長義は心も含めどう強くなっているんだろうなぁ。なんて思ってしまう。

個人的にはあの打刀な時間遡行軍が絡んできているのではと思うんですけどね、どうなんでしょう。あの物語を食うなら山姥切長義かなと思ってるんですけど…どうなんですかね。

 

事実なのは、ひとつの強烈な物語が目の前で紡がれていたということ。


あとひとつ歌仙で気になっているのが、本丸に合わせて立ち姿変えてましたか…?ていうことで。分かんないんですけど、最後どちらがどちらの本丸かに気付けた時、歌仙の立ち姿が見慣れたものになっている気がしたんです。役者の方が他キャストの身長に合わせて立ち姿を常より下げていたと聞いていたので、もしやと思ったのですが、どうなんでしょう。今まで見てきた歌仙はこちらだと、ふと思っただけなのですが、何か理由があったのならその辺りかなあと思いまして。

 


ところで発言はなく終わるカーテンコールでやっと分かったんですけど、慈伝で皆が横一列に並んで座長から挨拶があった時、隣で手を横に動かして皆々様、としてから礼をしていた山姥切長義。あれ今回もやっていたのでそれが彼の礼の仕方なんですね。慈伝で個人の礼は番傘を持ったものだったから、今回でやっと知ることが出来ました。そして忠興様が捌けながら自分の刀の柄に力強く手を置いていたのがとても印象的で。やはりあれは自慢の歌仙兼定なのではと…。盗みをしたって手離さない武士の魂。忠興様とガラシャ様が同じ方向に捌けていくのも素敵だなぁと思って見送りました。

あと最後にですね、作中では見なかったと思うんですけど真っ白いパンツスタイルのガラシャ様がカーテンコールでは肩で風を切るように捌けていってらして、見えなくなるまでしっかりと口角を上げて笑みを受かべている姿がどうしようもなく元宝塚スター七海ひろきさんで、ラジオとLINE LIVEの配信でしか知らないけれどきっとこの立ち振る舞いがそうなのではと、思えてしまってめちゃくちゃに格好良かったんですよ…………。あと三方に手を向けて礼をしてくださって、それがまた優雅で美しかったんです……

 

 

 

今回の報告書にあるように、細川ガラシャを討ち取ることが出来た。特命調査は終了した。けれども他本丸の報告書が沢山あるように、それは放棄された慶長熊本が繰り返す時間軸のなかのひとつを潰したに過ぎなくて、きっと討ち果たされた数だけ時間を繰り返しているのだろうと思う。そしてきっとまた、終わりを迎えて新しい時間軸が始まるんだろう。黒田孝高が思うように。

放棄された世界に終わりはあるんだろうか。

むしろ特命調査やらない方が良いのではとすら思ってしまう。どうやって本当の意味で終わらせることが出来るのか。三日月宗近の件とあまりにも似通った描かれ方に思えてならないんですよね…。

なにこれこわい

 

散々、どの本丸だなんだと言ってはいましたが、この作品は刀剣乱舞の舞台作なんですよね。数ある本丸のなかで重大なイレギュラーが生じてしまったひとつの本丸に焦点が当たっていただけで、作品はどんな本丸の物語だって描き上げることが出来るんですよね。報告書を集める本丸があるから、その報告書のひとつを描こうとする考えも凄いなって思います。どの本丸にも強い絆と心があって、強く強く前に進んでいる。役者は刀剣男士と向き合い、その心はどの本丸の刀になっても変わることなく。地蔵行平の慟哭を、歌仙兼定の叫びを、彼らが見届けた物語を胸に。

 

 

 

 

最後に思い出したから書くんですけど、虚伝で魔王織田信長が舞台の中心で背を向けて、両手を広げながら消えていくじゃないですか。あれ三日月宗近もやって、坂本龍馬もやって、細川ガラシャもやったんですけど、あの演出どう捉えたらいいと思います……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸

観劇から2週間を過ぎ、元気でいることが出来ています。

元気に過ごせている今を噛み締めて。

運営の方々には感謝するばかりです。

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

最後に。

「これが刀ステです!これが演劇の力です!」

これほどにも力強い言葉を、大千穐楽の日に聞くことができたこと。本当に幸せに思います。

演劇を再開するなら役者も全員マスクで、という方針が発表された5月15日に丁度自身の配信があって、舞台上でマスクをしながらでも演劇は出来ると、新しい可能性として挑む人たちはきっといると話をしていた人の言葉なんです。

見せつけられたこの戦い続ける座組の力強さを、意志を、手繰り寄せた未来への灯を、自身の胸に咲かせて。いちファンではありますが、本当に、誇りに思います。

大変ありがとうございました。刀ステ、最高に格好良いなぁ…!!!

(2020.8.9追記)